第18話(ハルクの後悔)
ハルクにとっては千載一遇のチャンスを得たと言うのに、なぜかマナリィはその喜びを分かち合ってくれなかった。
それどころか思い出などとくだらない感情論を持ち出してチャンスを不意にしようとする始末。
これにはハルクも呆れ果てた。
だがどうにか宥めすかしてハルクは欲しかったものを手に入れた。
妻は機嫌を損ねてしまったが、換金したお金を見せればすぐに機嫌を直してくれるだろうとどこか楽観していた。
だがハルクがスキップしながら帰ると、家は電気が落ちていて、物が散らかったままだった。
綺麗好きなマナリィならそのままにしておくことはないというのに。
まさか本当に閉じこもってしまったのか?
ハルクがマナリィの部屋をノックすれど返ってくる言葉はなかった。
夕飯の支度もされておらず、仕方なくハルクは外食しに行く。
自分が原因で妻が閉じこもったというのに、翌日になったら頭も覚めるだろうとどこか楽観視していた。
しかし翌日。起き抜けのハルクは日が随分と高いことに焦りながらマナリィに文句を言いに行く。
「どうして起こしてくれなかったんだ! これじゃあ遅刻だ」
「もう私なんてどうでも良いんでしょ? お金さえあれば良いんだから放っておいてよ」
「まだ言ってるのか! 良い加減に機嫌なおせよ! 俺が仕事クビになったら困るのはマナリィもだろ!?」
「もう十分困ってるわ。これ以上困ることがあるとすればそれは貴方が何処かから借金を作ってくることぐらいよ。とにかく私はもうあなたに期待してないから。昨日換金したお金で好きにすればいいでしょ」
「どうなっても知らないからな!」
ハルクはそれだけ口にして、慌てて会社に向かった。
マナリィと付き合ってから今まで一度も会社を遅刻したことのなかったハルクがその日初めて遅刻した。
普段余裕を見せる姿が、今では嘘みたいに落ち着きがない。
常にイライラした様子で、自分より下の役職の人物に当たり散らす。そんな様子が見て取れた。
それを気にかけた上司がハルクを個室へと呼びつける。
「どうした、今日は随分とご機嫌斜めじゃないか。我が社の広告塔がそんな有様じゃ困るな」
「いえ、そんなつもりはないですけど」
「見たところ常に持ち歩いてた愛妻弁当は今日は持参していない様だが? ついに愛想を尽かされたか?」
図星を言い当てられてハルクはバツの悪そうな顔をした。
しかしそれを認めるのは負けを認める様で嫌だったハルクは反論する様に元気に応答する。
「ははは、今日は偶然持ち歩いてないだけですよ。それと今日は本当に調子が悪いだけです。明日からはいつも通りになりますから」
「そうかい。ならそうなる様に祈っておくよ。それでターナー商事との商談の件なんだが」
上司は話を切り替え、今後について話を詰め込む。
いつもなら余裕満面なハルクに任せておけば大丈夫だと話はとんとん拍子に進むはずが、その日はどうにも歯切れが悪くてこのままハルクに任せて大丈夫かという気持ちになる。
「今日の君は本当にお疲れのようだ。少し休んだ方がいい。それと奥さんには謝れるウチに謝っていた方がいいぞ? 旦那は奥さんに支えられて安心して仕事に打ち込めるんだからな。それを忘れた奴から脱落して行く。私もそれを知ってから妻を労う日々さ。彼女に出ていかれたら困るのは私の方だよ。君も案外そうじゃないのかね?」
「本当に、なんでもないですから」
「ならいいのだがね」
上司はそれだけで会話を切り、ハルクを下がらせた。
ハルクは早速行動に移すべく、マナリィにあの時とそっくりなネックレスをお土産に買って行く。
しかし、家に帰ったハルクはテーブルの上に残された置き手紙を見て心臓を跳ねさせた。
『少しの間距離を置きましょう。私がいたら、あなたはダメになる。ダメになって行くあなたを見るのは辛いわ。だからごめんなさい』
「……冗談だろ、マナリィ!」
慌ててハルクはマナリィの私室へと赴き、ベッドの他には必要最低限以外の物が何もないがらんどうの部屋を見て唖然とする。
自分の部屋とあまりにも違う、質素な部屋。
趣味のものなど一つもない。
あのネックレスこそが彼女の唯一の宝であったのだと、今になって自分のしでかしてしまったことの愚かさを後悔する。
そして買って帰ってきたネックレスでご機嫌を取ろうとしていた自分の浅はかさに心底吐き気がした。
「あああああああああ……ごめん、マナリィ。俺は、なんて事をしてしまったんだ……」
後悔してももう遅い。
自分の選択肢が最悪の結果をもたらしてしまった事を今になって気がついても、当の本人は家を出て行ってしまった後だった。
それ以降、ハルクはマナリィの居た生活の暖かさを思い返しながら寂しい生活を送ることになる。
もう優しい声かけで起こしてくれる姿も、体に気遣った食事もない。洗濯機もない家庭では、一枚づつ冷たい水を張った桶でもみ洗いしていたのすらハルクは知りもしなかった。
そして食事も足繁く通って不要になった野菜クズを無料でもらって、それをスープの具材に当てていたりなんてハルクには思いもつかない。
内職の仕事もそうだ。
マナリィのいう簡単な仕事は、ハルクからしてみたら想像もできない超絶技巧の応酬だった。
なにせ型紙すらなく、生地の状態からあのハンドバッグが作り上げられていたのだから。
簡素な室内にはミシンすらなく全部手縫いだった。
一般家庭にあって当たり前のものが全くない家で、それ以上のサービスを当たり前の様に受け取っていたハルクはその日を境に人が変わった様に、ー昔の誠実だった勤勉なハルクへと戻ることにした。
もうお金なんかに惑わされないぞと、上司に自ら頭を下げに行く。
上司は残念がっていたが、ハルクの目を見て本気なんだなと受け取ってハルクをモデル業から降ろした。
マナリィが居なくなってから一週間。
自分がどれほど傲慢だったかを思い知るハルク。
「たった銀貨15枚で一ヶ月持たせる? どんな手品だそれは」
自分が一人暮らししていた時でさえ、そんな切り詰めた状態で生活できた試しはなかった。それを二人分。
あまつさえ銀貨二枚のお小遣いまで捻出した。
自分だったらまずできない。できないという現実を塗り替えてきた彼女に心底頭が上がらない。
けどマナリィと出会って、それが当たり前になって、
「……そして俺は勘違いしたんだな」
思い返せば彼女からの告白だった。
ただそれに返事をして、いつのまにか自分の生活に彼女がいた。
彼女が自分を思ってくれるのが当たり前になってから、ハルクは自分から彼女に何かしてあげたことがない。
結婚する前のお付き合いしていた時も。
常に先陣切ってマナリィがしてくれるのでハルクが何かをすることがなかった。
だからって何もしなくていいわけではないのに、何をしても無駄だと、そう思う様になっていた。
「今更こんな事しても彼女は戻ってきてくれる訳じゃないけど……」
家の掃除をしていた。
欠陥のあるこの家の管理をずっと一人でしていた妻に、少しくらい頼ってくれてもいいのにと今になって思う。
けど、当時のハルクはマナリィの頼みを忙しいからと断り続けてきたことを思い出す。
「あれは彼女からのSOSだったんだな。それなのに俺は、さして取り合わなかった。自分のことしか考えてなかったんだ」
つくづく自分のダメさ加減に呆れて物が言えなくなった。
けどそんな掃除に時間をかけるハルクの背中へ声をかける人物がいた。
「何してるの、ハルク」
「マナリィ?」
一週間ぶりに見る、妻の姿だった。
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