第32話 無理はしないで
「みい」
部屋では変わらず、みいが出迎えてくれた。
「ただいま、みい。ご飯あげるね」
「みい」
結奈は、みいが大好きだ。
もちろん俺もだけど、俺以上に彼女はみいのことを気にしてる。
俺たちがあんな風にいがみ合ったきっかけでもあり、でも、そんな俺たちをずっと繋ぎとめてくれていた一匹の猫。
そんなみいのことを、子供のように可愛がっている姿を見ると少し和む。
「みいったら、手を舐めてきたわ」
「嬉しそうだな。あいつも、早く帰ってきたから喜んでるんだよ」
「……明日から学校、気まずいね」
「まあ。でも、堂々としていよう。周りがしらけるくらい仲良くしてたら、そのうちみんな諦めるだろ。人気者の式神さんはいなくなるかもだけど」
「そんな人気いらない。好きでもない人にいくら好意を向けられても困るだけだって、よくわかってるから」
結奈は、多分これまでの間に無数の男に告白を受けてきたのだろう。
それでもずっと、俺のことだけを考えて誰とも付き合わずにいてくれたのだと思うと、無性に愛おしくなって、とっさに結奈を抱きしめた。
「結奈……」
「ちょっと……急にどうしたのよ」
「ごめんな、今までずっと。もう、離してやらないからな」
「……うん、私も。逃げたら怒るから」
「ああ、わかってる」
ぎゅっと結奈を抱きしめる力が強くなる。
すると、結奈が少し気恥ずかしそうに言う。
「あの……お弁当、あるんだけど食べる? 私も、結局食べてないんだ」
「うん、もらう。結奈の弁当、食べたい」
そっと結奈から離れると、顔を真っ赤にした結奈が震える手でカバンから弁当箱を取り出す。
そして顔を伏せたまま。
俺にそれを渡してくる。
「……おいしくなかったらごめん」
「そんなわけあるか。結奈の料理、好きだよ」
「あと、急に抱きつくのなし。は、恥ずかしいから」
「照れる結奈がみたいから、それは約束できないかな」
「……バカ」
弁当のおかずは唐揚げと、卵焼き。
それに可愛いタコさんウインナーだ。
「結構、ちゃんとしてるんだな」
「さーくんのお母さんに手伝ってもらった。変、かな」
「変なもんか。いただきます……うまいよ」
「明日から毎日作るね。いらないって言われても、毎日作るんだから」
「はは、なんかその言い方重いな」
「なによ、いやなの?」
「いいや、全然。作らなかったら怒る」
「なにそれ、亭主関白みたい」
「いやか?」
「……嬉しい」
肩を寄せ合って、みいがご飯を食べるのを見ながら俺たちも静かに弁当を食べる。
静かな部屋で、しばらくそんな時間を過ごす。
すると、先に弁当を食べ終えた結奈が俺に言う。
「今日、お父さんたちに話しない?」
「話って、なんの?」
「一応……正式に付き合いましたってこと。おかしい、かな」
「いいんじゃないか。みんなも喜んでくれるだろうし」
「じゃ、じゃあ先に走りにいって、シャワー浴びて化粧しないと」
「どこの結婚の挨拶のつもりだよ。普段通りでいい」
「……いいのかな」
「いい。無理も強がりもなしだ。でも、走りに行くのは賛成だな。ジャージに着替えて、玄関で待ってる」
まだ明るいうちだが、親が帰ってくるまでにやることをやっておこうと、早速準備をする。
結奈も一度部屋に戻って、すぐに下に降りてきた。
「お待たせ」
ジャージ姿の結奈も、やっぱり可愛い。
普段から家着を見慣れているはずだけど、改めて結奈のジャージ姿を見ると照れくさい。
「……まずは歩こうか」
「無理してもだから、そうだね」
一緒に家を出て、学校とは反対側に向いてふたりで歩き始める。
少し早めのペースで歩く俺に結奈はついてくる。
その間、しばらくは言葉を交わすことがなかったがやがて、信号に引っ掛かった時に彼女が言う。
「さーくん、足、痛そうだね」
「そうか? あんまり違和感ないと思うけど」
「なんか無理してる感じする。やっぱりまだ」
「だとしても、やってみないとわかんないだろ。ほら、いくぞ」
「……」
俺がこうして走ることを始めたら、きっと結奈は明るくなると思ってたけど。
余計に心配をかけているだけにも見える。
俺の現状を見ると、やっぱり結奈は心を痛める。
……なかなか難しいな、ほんと。
「よし、ちょっとジョギングしよう」
「え、もう?」
「ああ、大丈夫だよ。軽くだから」
随分家から離れたので、帰りは走ることに。
ゆっくりとだが、ジョギングを開始するとすぐに、膝がズキンと痛む。
「……」
「ねえ、痛くない?」
「まあ、ちょっと。でも、走れないほどじゃない」
「そっか」
そのまま痛みをこらえて結奈と静かにジョギングを続ける。
走るのはやっぱり気持ちいい。
でも、足を踏み込む度に響くその痛みは、やっぱりもう全力では走れないのかもしれないという現実を、俺に突き付けてくる。
ただ、そんな弱気は見せられない。
結奈には、もう一度走れるように頑張ると誓ったんだ。
そうじゃないと結奈が、いつまでも罪悪感から解放されないんだ。
「……ちょっと、休もうか」
「やっぱり痛いの?」
「そうじゃない。久しぶりだから息が切れたんだ。一回家で水分補給でもしよう」
「わかった」
本当は痛みで足の感覚がほとんどなかった。
どうして結奈が飯島に襲われてた時に走れたのかはわからないが、あの時はそれだけ必死で無我夢中だったということなのだろう。
結局、足は少しも治ってなんかいない。
多分、よくなることも、ない……
家に戻ってリビングの椅子に座ると、結奈が飲み物を持ってきてくれる。
「おつかれ。今日はこの辺にしとく?」
「そうだな、最初だしこの辺で」
「さーくん、無理してる」
「え?」
「無理してるのバレバレ。痛いんでしょ、足」
「……」
よく見ると、足がぶるぶると痙攣していた。
それに汗もひどい。
痛みをこらえて脂汗で額がべっとりだ。
「……ごめん、まだ痛くて」
「謝らないで。さーくんは悪くない」
「でも、走れるようになれば結奈がずっと気に病む必要もなくなるって、大見栄はってすぐにこれだと」
「それでも。私に無理するなっていったの、さーくんでしょ」
「……ああ」
結奈の指摘はもっともだ。
お互い無理して、意地張って、相手に嘘ついてきたから、散々な二年間を過ごしてきたというのに、また俺は同じことをしようとしていた。
結奈の為だと言って無理して、自分で抱えてパンクしそうになって。
それじゃダメだって、わかってたつもりなのに。
「さーくん、私はさーくんの何?」
「え、まあ、許嫁……」
「うん。それに、彼女だよね? だったら、隠し事はしないで」
「そうだな。ごめん、また一人で無理するところだった」
「うん。私も無理しない。そんなさーくんの姿みると、やっぱり辛い。でも、辛いってちゃんと口にするし、逃げない。辛いけど、支えるのが私の今の仕事だから。だからさーくんの隣から逃げない」
「……結奈、ありがとう」
「はやくシャワー浴びてきて。汗ひどいし」
「じゃあ、お先に」
少し痛む足を引きずりながら、風呂場へ。
そのまま服を脱いで、シャワーを出して座り込む。
……結奈は優しいな。
変わってしまったって思ってたけど、やっぱりあの頃と何も変わらない。
シャワーを浴びながら、考えこんでいると脱衣所から声がする。
「さーくん、いる?」
「結奈? ああ、すぐに出るよ」
「洗濯、一緒にやっとくけど、いい?」
「いいのか? 結構汗かいてるけど」
「……大丈夫。私、さーくんの彼女だから」
「結奈?」
「私、汗かいて一生懸命なさーくんの顔、好きだよ」
「……恥ずかしいこと言うなよ」
「うん。じゃあ、部屋でみいと待ってるね」
そう言って脱衣所から声はしなくなった。
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