第18話 今はまだ


 結局結奈は屋上には来なかった。

 もう、日が沈む。

 このままここに締め出されたのではたまらないからと、俺は急いで暗い校舎を降りていった。


 結奈の姿も探してみたが、どこにもいない。

 もう帰ったのだろうかと、俺も家路を急ぐ。


 すると、学校の近くの喫茶店で結奈と飯島が、楽しそうに話しているのを見つけた。


 あの二人が何を話しているのかはもちろん聞こえない。

 でも、結奈も普通に話してる様子だったのでそっとしておこうと、その場を去った。


 しかしそこを離れてしばらくして、胸騒ぎが起きる。

 加藤に言われたことを思い出す。


 飯島は結奈に執着している。

 その言葉がひっかかり、俺は夜道を走って引き返した。


 飯島は、一度結奈を襲おうとしていたやつなのに、何を拗ねて無視したんだと。

 なんであの時、喫茶店にいるあいつに声をかけなかったのかと後悔した。


 必死に結奈を探した。


 すぐに引き返したがさっきの喫茶店にはいない。

 でも、そう時間は経ってないからまだ近くにいるはずだと、また必死で走った。


 そして、走っている時にわかったことがあった。


 走れる。

 その事実に俺は、一度足を止めた。


 まだ痛みはするが、それでも俺は走ることができていた。


 必死だったからというのもあるが、しかし、足が動く。


 その少し痛む膝を見ながら、走れなくなったなんて喚いて、勝手に結奈を恨んでいた自分が急に情け無くなる。


 結局悲劇のヒーローを気取って、自分の言ったひどい言葉を正当化しようとして、結奈を傷つけていただけなんだと。

 もう一度ゼロからやり直す勇気がなくて、結奈に罪の所在を押しつけて、楽をしていただけなんだと。


 ……多分、簡単なことだったんだ。


 もう一回ゼロからやってみるから、支えてくれって、言えばよかったんだ。


 許婚のままでいてほしいと、そう伝えたらいいだけなんだ。


 ああ、だから。

 結奈を探さないと。



「結奈!」


 喫茶店からほどなくした裏路地で声が聞こえ、向かってみると結奈がいた。

 飯島に迫られて、今にも泣きそうなのが暗い中でもはっきりわかる。


「さー、くん……」

「おい、邪魔するなよ毎回毎回。お前、式神のストーカーか?」

「……襲われてる女子を助けるなんてベタなイベント、二回も経験しなくていいんだけどな」

「おい、聞いてるのか?」

「飯島。お前さ」


 小さいな。

 俺はバカにしたように言った。

 別に煽るつもりもなかったが。

 嫌味の一つくらい、いいだろうと。


「な、お前」

「そんなんだから、こいつに相手されないんだよ」

「殺すぞ!」

「……その手離せよ」

「お前に関係ない。こいつと付き合ってもないんだろ?」

「付き合ってない。でも、今はまだ大事な許嫁だ」


 俺は喧嘩も強くない。

 ここで飯島とやりあってもどうなるかわからない。

 でも、だからといって結奈をどうされてもいいわけがない。


「許嫁? 何言ってんだ」

「なあ飯島、お前がやってることは犯罪だ。離さないなら警察呼ぶぞ」

「は? 俺はこいつに告白してただけだ。何を証拠に」

「……結奈、どうなんだ?」

「たす、けて……」

「ちっ」


 飯島はつまらなさそうに手を離して、また鬱陶しそうに言う。


「なんだよお前ら。まじでウザいな」

「お前こそ、しつこいなんてもんじゃないな。そりゃあ彼女にもバカにされるはずだ」

「なんだと?」

「いいのか? やるならお前を徹底的に追い込むから、覚悟しとけ」

「……くそが」


 飯島は、そばにあったゴミ箱を蹴り飛ばして、そのまま路地を抜けて姿を消した。


 その様子を確認してから結奈をみると、震えながらこっちを。

 大きな瞳を潤ませながら見ていた。


「……結奈、大丈夫か?」

「な、なんで……?」

「気になったから。結奈が、飯島と飯食ってるとこ、見ちゃったから」

「だからって……私たち、もう何も関係は」

「ある。今はまだある」

「自分が……許婚やめようっていったくせに」

「言った。でも今はまだ許婚だ。わがままだけど、許嫁を放ってなんかおけない」

「わがまますぎるわよ、それ。憎いんでしょ、わたしのこと……」

「ああ、そうだ。でも、それでもやっぱり俺は……。いくら憎くても、俺はお前が」

「……ずるい」

「……」


 涙目のまま、少し困った様子で俺の言葉を結奈が遮る。

 

 ずるい、か。

 まあ、そう言われて当然だ。

 自分で蒔いた種だというのに、自分で勝手に悩んで拗らせて。

 そんな様子を結奈に見せつけて困らせておいて、さらに許嫁はやめようなんて潔い男を演じようとして、関わらないようにしようとしても最後まで続かず。


 こんな風になって、やっぱりなかったことになんて言うのは、ずるいよな……。


「ごめん」

「いえ。わたしこそ、ごめんなさい……」

「なんで結奈が謝るんだ」

「……だって、約束すっぽかして、こんなことになっちゃって」

「結奈のせいじゃない。悪いのはあいつだ」


 結奈は、いつになく目が泳いでいる。

 恐怖と、申し訳なさとでどうしたらいいかわからないといった様子だ。


 そんな彼女を慰めようと、言葉を選んでいると結奈の方から。


 少し震える声で尋ねてくる。


「……ねえ、もう少しだけ、許嫁のままでいてくれる?」

「え?」

「だから、……飯島君が何するかわかんないし……許嫁なら、守ってくれるんでしょ? だったら……悟が、いやじゃなきゃだけど」

「結奈……?」

「だって、あんなことされたら怖くて学校いけないし。一応、守ってくれる人がいないとだし……」

「それで、いいのか?」

「し、仕方なしだもん……それより、今日も先に帰るの?」

「え、いや、それは」

「夜道に女子を一人置いて帰るなんて、やめてよね。ちゃんと家まで送って」

「当たり前だろ。帰ろう、結奈」

「……うん」


 このあと、結局結奈は一言も発することはなく。

 俺もまた、結奈に何も言えず。

 二人で家に帰り、それぞれの部屋に戻っていった。


 部屋に入ると、みいは窓際で眠っていた。

 俺も、ぐったりしたようにベッドに寝転ぶ。


 結奈が無事でホッとしたというのがまず。

 でも、言いたいことは少ししか伝えられなかった。

 

 それでも許嫁はとりあえず継続となった。

 あんなことがあったから、怖くて俺に頼るしかなかっただけだとしても。

 いまはそれでいい。

 

 明日からは、もっと素直になれるように努力しよう。

 結奈に、ずっと許嫁でいてもらえるように。



 ……最悪。

 私のバカ、アホ、まぬけ、死んだらいいのに!


 何あの態度……

 ずるいってなによ、それ……。


 それに、さーくんの言葉を遮っちゃったけど、あの後何を言おうとしてたんだろ?

 やっぱり私の事をまだ……あー、なんでちゃんと聞かないよの私のバカ!


 怖かったって、素直に泣きついたらいいのに。

 ほんと、怖かったんだから……。


 ……でも、許嫁は継続できた。

 そうだよね、今はそれくらいで十分だよね。

 

 はぁ……私ってどうやったら素直になれるんだろ?

 さーくんを見ると、自然とスイッチが入ってしまう。

 長年の習慣みたいに、この冷血女が身についてしまってる。

 ……とりあえず、寝よう。


 起きて、みいの様子見に行くふりして。

 明日また部屋に行こう、なんて……。

  

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