第6話 言えない

「ただいま」


 部屋でベッドに寝そべって、俺の傍で眠るみいを撫でていると。

 結奈が帰ってきた声がした。


 チラッと時計を見ると時刻は夜七時。

 まあ、初デートなら妥当な頃合いか。


 そして足音が近づいてくると、部屋のドアをノックする音が。


「みい、起きてる?」


 ドア越しに結奈が話しかける。

 すると俺より先にみいが、ドアの前までいって「みい、みい」と鳴き始めたので彼女は、そっと扉を開ける。


「ただいま、みい。ちゃんとご飯もらった?」

「みい」

「悟、部屋にいるんなら返事くらいしなさいよ。おばさんからのメモ、みたわよ」

「飯なら勝手に何か食えよ。ていうかお前、何か食べて帰ってきたんじゃないのか?」

「私が?なんで?」

「え、いや、それは……別に。帰り、遅かったからそうかなって」


 言えなかった。

 訊けなかった。

 飯島と、飯食ってきたのかって。


 盗み聞きしてたのがバレるようで。

 答えを聞いたら、本当に俺とこいつの関係が、終わってしまうんだなって思って。


「あいにく、まだなの。お母さんがお金置いてくれてるから、それで何か頼むわ」

「ああ、そうしろ。俺はいい」

「……そう」


 腹は減っていた。

 でも、今は食べたものを全部吐いてしまいそうで、やっぱりいらなかった。


 みいをそっと床に置いて、結奈は入り口を閉める。

 その時、向こうをむいたまま彼女が、独り言のように言う。


「デート、誘われたから。明日、行ってくる」


 そのままぱたりと、扉が閉まった。



 昼休みのこと。

 

 私の事を好きだと言っている人がいると、悟が教室を出て行ったあとにすぐやってきた隣のクラスの女子から訊かされた。


 飯島翼。それは誰もが知る名前。

 確か以前にも、何度か声をかけられたことはあったけど、特別なにかを話したことはない。

 小学生の時も同じ学校だったけど、でも、その当時も話した記憶なんてない。

 それなのに、どうして私が好きなのかと、率直に疑問に感じた。


 容姿が好みなのだろうか。

 それとも、自分で言うのもなんだけど、一応学校で目立つようになった私をブランド品か何かと思ってるのだろうか。

 

 どちらにせよ、興味はなかった。

 でも、いい機会なのかもしれないと思った。


 飯島君のように目立つ人間と私が付き合えば、きっと悟は私を諦める。

 そして、多分最初はかなり傷つけて、ボロボロにしちゃうかもだけど、彼ならきっと、私よりいい女を探してやるんだって、躍起になる。

 負けず嫌いで、途中で投げ出すのが嫌いなタイプの悟のことだから、きっとそうなる。


 それを思うと、回りくどく彼に冷たくあたるより、そうしてしまった方が楽なんじゃないかとも。


 でも、好きでもない人と付き合うなんて、そんなことが自分にできるのだろうか。

 その迷いは晴れないまま、放課後を迎えてしまった。


 そして。

 中庭で、多くの生徒が見守る中で私は、彼に告白された。


「俺と付き合ってくれ」


 ストレートな言葉は、それでもなぜか私の心に響かない。

 悟に対してみたいに、嘘の自分を演じて、ここで「よろしくお願いします」と返事しようとも思ったけど、喉がキュッとなって、声が出ない。


 その後私は、無意識に「ごめんなさい」と呟いた。

 

 その後のことはよく覚えていない。

 騒然とする生徒たちの声と、必死に何か言っている飯島君の悲痛な様子を何となく覚えてるだけ。


 私は、一人でそのまま学校をあとにして、しばらく家の近所の公園のベンチに座って、うなだれる。


 悟には酷いことができて、冷たい態度がとれて、ひたすら嫌われたいっていう一心で行動出来てるはずなのに、どうして他の人と付き合おうって思うと、こんなにも苦しくなるのか。


 その答えはわかりきっている。


 ……やっぱり悟が、好きだから。

 それだけだ。


 多分私は彼に相手される限り、彼のことを嫌いにはなれない。

 自分のことだから自分が一番よくわかってる。

 

 だから意地になってどんどんひどいことばかり。

 もう引き返せないくらい酷いことを言って、早く嫌ってもらおうと意地になってる……


 それなのに心のどこかでこんな私ですら好きでいてくれないかなんて、訳の分からないことを願う自分もいる。

 

 好きでもないふりして愛されようなんて、虫がいいどころではない。


 それに私は卑怯だ。

 自分から彼に別れを告げる勇気だけ持てなくて。

 最後のトドメの一言を彼に言わそうとしているのだから。

 

 聞きたくもないことを。

 本当は彼も言いたくないだろうことを。


 はあ……でも、私がいると苦しむから。

 だからこれでいいんだと、言い聞かせてるのに心がついてこない。

 結局どうしたいんだろ、私。


 結局頭の中でずっと、答えの出ない悩みをずっとぐるぐると巡らせてから、やがてあたりが暗くなり始めたので家に帰った。


 玄関には悟の靴だけが脱ぎ捨ててある。

 多分両親たちは出かけたのだろう。


 週に何度もみんなで食事に行く仲の良さが、羨ましい。

 どうしてあんなに素直に、純粋でいられるのだろう。


 私なんて。


「デート、誘われたから。明日、行ってくる」


 とか。


 また嘘をついて彼を傷つけてるというのに。



 結奈が部屋から出て行ったあと。

 俺は眠れなかった。


 何をする気も起こらず、ただひたすらボーっと、見慣れた部屋の天井を見つめていた。


 そして今朝、教室で話したことを思い出す。


 あいつのこと、俺は本当にこれっぽっちも恨んでないのか?

 もしあの時あいつが俺を助けようとしなかったら、邪魔しなかったら、俺は今のようにはなってなかったのにと。そんなことを本当に考えたことがなかったか?


 嘘だ。ずっとそんなことばかり考えていた。

 ひどい話だ。猫に対しても、運転手に対しても、これはほんとにこれっぽっちもそんな気などないというのに。


 俺のことを思って動いてくれた結奈の事、そんな風に思ってるんだから。


 だからあんなひどい言葉が言えたんだ。

 あれは勢いとかヤケとかじゃない。俺の本音だったんだ。

 だからあいつに刺さった。あいつはそれで、俺の本心がわかってしまったんだろう。

 

 でも、そんな風に思ってても俺は、多分まだ結奈が好きだ。

 好きだけど、でも、心のどこかでそんなことを思ってる。

 だから素直に謝ることも、仲直りしようとすることもできずにいる。


 もう、やっぱり俺たちの関係は終わってるのかもな。

 いくら好きでも、それでも、どうしようもないことだってあるって話だ。


 それに、もうとっくの昔に結奈は、俺のことを嫌いになってる。

 あの冷たい態度が証拠だ。

 あいつを傷つけて、そんな風にしたくせに、勝手に被害者ぶって落ちぶれて。

 そんなやつのことなんて嫌いになって当然だ。

 

 だから今更あいつを追いかけてもどうにもならないことだってわかってる。

 ああやってあいつに嫌われて嫌味を言われてる方が、まだ楽なのかもしれない。


 なのに、どうしてまだ、胸が痛いんだろう。


 明日はデートか。

 休みだもんな、学校。

 俺は、なにしようかな。


 


 


 

 

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