第4話 海童邦洋 3
正式なメンバーとなった白井君は率先して活動に参加してくれた。仕事の都合で私が参加できないときも精力的に働いてくれていた。他のメンバーからも白井君の働きぶりは好評だった。彼女が来てくれたことでなにかが変わる。確証はないがそういう気分にさせてくれた。そういう意味では彼女はよきムードメーカーといって差し支えなかった。そのことは多少なりとも私の鼻を高くする要因となった。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい。邦洋さん」
リビングの扉を開けると夕飯の匂いとともに優子が笑顔で迎えてくれる。その度に家族とはいいものだと思う。一人暮らしが長かった分より強くそう思う。
――――
優子との出会いのきっかけは共通の友人である、
楡金君は自称探偵で、仕事がらどうしても必要な情報がある時に、度々情報収集を依頼していた。優子はもともと彼女のアシスタントをしていた。だから私と優子は顔を合わせることもあった。だからといって優子に恋愛感情を抱いたことは一度もなかった。そもそも歳が離れすぎていてそういう考えなど浮かぶわけがなかった。
ところがあるとき、楡金君からこんなことを言われた「
――こんなおじさんを捕まえて何の冗談だ。と、最初はからかわれているのだと思った。実際楡金君はよく冗談を言う。
しかしどうやら本気のようで楡金君から「一緒に食事でもしてきたらどう?」と提案された。困惑した。若い女性が一回り以上も歳の離れたおじさんを好きになるなんてあり得るのかと。年の差なんて、という言葉を耳にはするが、将来のことを考えたら絶対に優子のほうが苦労する羽目になる。そういう現実が見えていないのだ。優子は幼い頃に両親を亡くしているということは楡金君から聞いて知っていた。だからもしかして私に父親を見ているのかもしれないと。それを愛情だと勘違いしているのかもしれないと。そう考えていた。
私は一応楡金君の提案に乗ることにした。もちろん交際を断る前提でだ。人伝に断っておいてくれというのは大人の男として情けない。だから直接断るべきだと判断した。優子を傷つけることになるがそのほうが誠意は伝わるだろうと。
それから楡金君を介して互いの日程を調整し優子と二人で食事に出かけることになった。金はすべて私が出すのだからと少し高めのレストランを予約した。
電車での移動中。20歳差の男女が隣り合って立つ姿は客観的に見れば親子にも見えるか。だが顔は似ていない。だとすれば俗に言うパパ活にも見えるかもしれない。そう考えるとちょっと気恥ずかしい。しかし、電車に乗ってから、お互いの間に一切の会話はない。ならば、ほかからはただ隣に立つだけの赤の他人のようにしか映っていないかもしれない。
こういうとき男から会話をふるのが普通なのだろうが、共通の話題など検討もつかない。それは年の差だけが要因ではない。私が仕事以外で世間の流行り廃りに触れる機会がないからだ。相手が男ならまだ何かしらひねり出せたかもしれないが、女性とのプライベートな会話の経験がゼロに等しい私にとっては難題だった。
そうやって、ひとりで思考の渦に囚われているとき、それは起こった。
「この人痴漢です!」
電車内の視線が声の主に集まる。声を上げたのは隣でつり革をつかんで立っていた優子だった。反対の手で抵抗する男性の腕をつかんで逃げられないようにしている。最初は優子が被害に遭ったのかと思ったが違った。被害者は別の女性で、異変を感じた優子が痴漢を捕まえたのだ。
私は呆然として優子を見つめていた。呆けていたわけではない、感心して言葉を忘れていたのだ。自分ではなく他人のためにこれだけのことができる人間が世の中にどれだけいるだろうか、と。
被害者の女性と捕まえた痴漢と一緒に次の駅で降り、痴漢を駅員に引き渡した。被害者の女性は優子にとても感謝していた。私はそれがまるで自分の事のように嬉しく感じていた。弁護士も依頼人から感謝されることはあるが、それとはまた違った感覚だった。
その後、予約の時間に少し遅れてレストランに到着。気づけば私は率先して優子に話題を振っていた。話はもっぱらその勇敢な行動とその原動力についてだった。聞けば、最初のきっかけは優子自身が痴漢に遭ったことだったという。だから被害に合う女性の気持ちがわかるのだとか。それから何度か痴漢に遭っている女性を助けた経験があるのだと自慢げに語って聞かせてくれた。楡金君から優子は正義感が人一倍強い子だという話は聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかった。
弁護士になりたての頃のやる気に満ち溢れていた自分を思い出す。でも間違いなくその頃の自分よりも優子のほうが上だ。その出来事がきっかけで私は自分の気持ちが180度変わった。優子の人間性に惚れたのだ。そして今に至る。
――――
「いいよいいよ、あとは私がやるから。体に障ったらどうするんだい? ささ、座って座って」
優子の肩を軽く押しながらテーブルまで移動して椅子を引いてあげる。
「もう、邦洋さんは心配しすぎですよ。ちょっとくらい動いても全然平気だって病院の先生も言ってましたよ」
優子は呆れながらも引かれた椅子に腰を落ち着ける。
「そうなのかい? でも、用心することに越したことはないと思うんだよ。なにせ初めてのことだし、勝手がわからないからね」
「ほんと、心配性なパパですねぇ」
優子は自分のお腹を優しく撫でながらそこに向かって話しかけた。パパという言葉に気恥ずかしいものを感じ、照れを隠すようにテレビのスイッチを入れる。そして先程まで優子が支度していた夕飯の続きに取りかかるためダイニングのキッチンへ移動した。
優子が妊娠してから五ヶ月目に入っていた。お腹も目立つようになり彼女のマタニティウェアを押し上げている。子どもを欲しがったのは優子の方だった。私もやぶさかでない思いだった。年齢を考えれば先立つのは私の方だ。私がいなくなれば、優子は孤独になってしまう。でももし子どもがいればその孤独を埋めることができる。しかし、自分の気持ちがどうあれ、年齢的、体力的な事情がそれを阻んだ。結婚して子どもを作ろうと決心した時点で46だった私の性事情に問題があった。若い頃と違って、そういったことに対する興味も薄れ、専門医に相談したり薬に頼よったりと手を尽くしてみたがなかなかうまく行かなかった。
子どもを作ろうと計画してからおよそ2年が経ち、私たちの間にあきらめムードが漂っていた頃だった。優子が子を授かった。まさに奇跡と言えた。泣いて喜ぶ優子の姿を私は今でも覚えている。「大げさだよ」なんて言葉をかける私も優子の涙に誘われるように涙ぐんでいた。新しい命を授かるというのはそういうことなのだ。だからこそ大切にしたい。なによりこの新しい命を逸すれば、おそらく次はもうないのだから。
「殺人事件ですって。物騒ねぇ」
過去の思い出に浸っていた私は優子のセリフで現実へと引き戻される。自然と手が止まりテレビに注目した。強盗殺人のニュースが流れていた。場所はここから離れた場所にある閑静な住宅街。被害に遭ったのはアパートで一人暮らしをしていた女性とのことだった。
「あれ? この子?」
テレビ画面に被害者の女性の写真が映し出されると、優子はそれを見て小首をかしげた。
「ん? どうかしたのかい?」
「えっと、この写真の子、どっかで見たことあるような気がして……」
どこかのキャバクラで撮影されたものと思われる写真。そこには複数の女性が写っているが、被害者の女性以外の顔にはぼかしが入っている。紺碧のドレスに身を包む被害者女性はこちらに笑顔を向けているが、どこか無理をしているような印象を受けた。しかし少なくとも優子との接点はなさそうに思う。
「天狩笑舞? たしかに、どこかで……」
写真の女性に見覚えはなかったが、それと同時に表示された
「ああ! そうだ!」
私の声に驚いた優子が振り返った。
「あれだ、二年前の裁判だ」
それは私が丸岡君とともに児童福祉法違反の罪に問われた男性を弁護した裁判だ。その事件で被害に遭ったとされた女性の名前が天狩笑舞だった。裁判が行われた時、彼女はすでに成人していたため自ら法廷に立った。だから名前はもちろん顔も覚えている。だが見た目の印象はその時とテレビに映る写真とでだいぶ違っていた。彼女の名前は珍しい部類のもので同姓同名の他人というのは考えられないだろうから、おそらく化粧と服のせいだろう。当時の地味な印象は影も形もない。
「へえ、そうだったんですねぇ」
優子はまたテレビに視線を戻した。それを合図に夕飯の支度を再開した。
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