【Session34】2016年03月13日(Sun)
凍えるような寒さの中、みずきたちは石巻商店街や仮設住宅のひと達に別れを告げるため、『石巻立町復興ふれあい商店街』に集まっていた。そして今年のお盆にまた来ることを約束したのだ。学にとって、この『東北被災地の旅』は忘れられないものとなった。そして地元の代表のひとが学にこう言った。
地元の代表:「確か君、倉田さんだったちゃ?」
倉田学:「はい、そうですが」
地元の代表:「夏も来れるんちゃ?」
倉田学:「僕を必要としてくれるのであれば」
地元の代表:「君の第二の故郷だと思って来るちゃ」
倉田 学:「ありがとう御座います」
学はとても嬉しかった。心理カウンセラーは必要とされてナンボだから、この言葉がとても学のこころに響いたのだ。そしてまた夏に皆んなに逢えることを誓って車に乗り込んだ。現地のひと達が最後まで学たち四人の乗る車を見送ってくれた。
学は車に乗り込む前に、ゆうに一枚の絵をプレゼントしていた。そう、一日早いホワイトデーとしてゆうにプレゼントしたのだ。その為、昨日学はゆうのお店にスケッチブックとペンを持って出掛けていたのだった。ゆうは学からその絵を受け取ると嬉しそうな笑顔を浮かべてこう言った。
ゆう :「倉田さん、また来てください。笹かま用意しておきます」
倉田学:「ありがとう。僕もまた来れるよう頑張るよ」
ゆう :「わたしも『チーム復興』のメンバーです。忘れないでくださいね」
倉田学:「僕は『風の又三郎』。いつか皆んなの前からいなくなる。だけどまた風が吹いたら、その間だけ戻ってくる」
こう学はゆうに告げたのだ。ゆうにはこの意味が良くわからなかった。しかし何となく感じ取ることが出来たのだ。こうして学たちは復興道路『三陸沿岸道路』を抜けて仙台駅に向かった。車のラジオからは中島みゆきの『愛だけを残せ』の曲が流れて来た。四人はこの唄を聴いて、それぞれ想い思いに今回の『東北被災地の旅』を振り返っていたのだ。
倉田学:「今回の旅で、僕は被災地のひと達に何が出来ただろう」
美山みずき:「わたしに出来ることは、わたしの想いを形にするだけかな」
ゆき :「わたしは両親を故郷に残し、本当に今のままでいいのだろうか」
みさき:「まだ戻れない故郷に、家族といつ戻れるのだろうか」
お互いの想いが交錯する中、学たちを乗せた車は仙台駅のロータリーで停まった。そしてみずきを残し三人は仙台駅に入って行ったのだ。みずきはと言うと、駅の近くにレンタカーを返しに行き、そして学たちの元に戻って来た。四人は揃って仙台駅から東北新幹線に乗り東京駅へと向かった。車内で学たちは牛タン弁当を食べたのだ。厚切りの牛タンが五枚ご飯の上に乗っており、小ぶりの笹かまも入っていた。学はその笹かまを食べてこう思った。
倉田学:「うん、やっぱり宮城のウイスキーには笹かまが合うはずだ!」
そう独り言を言ってお弁当を食べたのだ。そして電車の中でみさきが自分のカバンからスクラップブックを取り出し眺めているのを学は観た。そしてこう尋ねた。
倉田学:「それは何ですか?」
みさき:「これですか。これは『福島第一原発事故』に関する新聞の切り抜きです」
倉田 学:「観せて貰ってもいいですか?」
みさき:「ええぇ」
そう言うとみさきは学にスクラップブックを手渡したのだ。そしてその内容を学は観たのだった。その内容とは以下のような内容であった。
【2011年(平成23年)3月11日】
▼14時46分 地震発生(3・4号機の中央制御室はほこりで煙幕を張ったように真っ白になる。各号機で原子炉非常停止の作業。)
▼15時地震発生直後(東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故で、米政府が申し出た技術的な支援を日本政府が断った理由について、政府筋は18日、当初は東電が「自分のところで出来る」と言っていたと述べ、東電側が諸外国の協力は不要と判断していたことを明らかにした。)
▼15時27分(津波の第1波到達)
▼15時35分(津波の第2波到達)
▼15時37分(1号機で全電源喪失)
▼15時38分(3号機で全電源喪失)
▼15時41分(2号機で全電源喪失)
▼15時42分(1~6号機の全電源喪失。照明や表示灯が徐々に消える。水位計の電源も落ちる。計器類の復旧のため、構内からバッテリーやケーブルの収集を始める。長さ約200メートルのケーブルは重さ1トン以上。約40人の人力での敷設は、津波による水たまり、障害物散乱などのため難航。余震のたびに作業中断を繰り返した。2号機側の中央制御室は非常灯も消えて真っ暗に。「10条事態の判断」との連絡が東電から保安院へ届けられる。)
▼16時36分(1号機で、緊急炉心冷却装置(ECCS)による原子炉への注水ができない状況になる。)
▼16時36分以降(1号機で、中央制御室で、ベントに必要な弁や位置を確認。2号機で、緊急炉心冷却装置による注水が不能と判断。)
▼17時前(「15条事態と判断」との連絡が東電から保安院へ届けられる。)
▼17時12分(1号機で、代替注水手段や、防火水槽を用いた消防車の使用の検討を開始。中央制御室の計器が電源喪失で使用できず、暗闇の原子炉建屋へ入る。2号機で、代替注水手段や消防車の使用について検討を開始。代替注水ラインを構成するため暗闇の中、原子炉建屋とタービン建屋で残留熱除去系(原子炉の冷却システム)などの弁を手動で開け、原子炉圧力の減圧後に注水可能な状態にした。)
▼19時03分(政府による原子力緊急事態宣言の発令。)
▼21時過ぎ(1~3号機で電源車が福島第1原発から約5キロ離れた、国の対応拠点「福島オフサイトセンター」に到着。しかし、東北電力から提供された電源車2台だったが、高電圧であり、接続に必要な低圧ケーブルが用意されていた訳でもなく、接続口は津波で浸水していた。)
▼21時過ぎ(1~3号機でこれは東電が立てたオペレーションの失敗を意味する。東電が立てたオペレーションは、冷却システムを再起動させる為の電源車をバッテリーが切れる7~8時間以内に福島第1原発に集めること。電源喪失が午後3時42分で、タイムリミットは午後11時前後から12日午前0時前後。)
▼21時19分(1号機で、炉内の水位が燃料棒の頂部の20センチ上と確認。)
▼21時51分(1号機で、原子炉建屋の放射線量が上昇し、立ち入り禁止に。)
▼21時23分(半径3キロ以内の住民に避難、10キロ以内に屋内退避指示。)
▼23時過ぎ(1~3号機で地下の危機管理センターで首相や海江田経産相、班目原子力安全委員長、原子力安全・保安院幹部を交えて対応を協議。「早くベントをやるべきだ」との意見で一致し、東電側と連絡を取った。)
▼23時50分頃(1号機で、格納容器圧力の上昇を確認。)
▼24時06分(1号機で、吉田所長がベントの準備を指示。)
【2011年(平成23年)3月12日】
▼01時30分頃(1号機、2号機のベント実施を首相、経済産業相、経済産業省原子力安全・保安院に申し入れ了承を得る。東電本店から「あらゆる方策でベントしてほしい。しかし、東電側からは、できるかどうか明確な返答はなく、いらだつ官邸が「何なら、総理指示を出すぞ」と威圧する場面もあった。)
▼01時48分(1号機で消防車からの注水を検討開始。消火栓からは水が噴出、別の水源を探す。消防車を1号機近くに配置するにも、移動が難航。ゲートも停電で開かない場所があり、道路の通行可能な場所のゲートのカギを壊し1号機を目指す。防火水槽へ水を注入するたび、消防車のホースを抜かねばならず、注水はたびたび中断した。)
▼02時20分過ぎ(1号機、2号機で、それでも保安院の中村審議官は午前2時20分過ぎの会見で「最終的に開ける(ベントする)と判断したわけではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者判断だ」と説明した。)
▼03時頃(2号機で、東電が官邸に「2号機は冷却装置が働いている」と報告。)
▼03時05分(1号機で、午前3時に経産相と当社がベント実施を発表する。発表後にベントすること」との情報。政府がベントによる蒸気放出を表明。)
▼03時05分(1号機、2号機で、海江田経産相は「ベントを開いて圧力を下げる措置を取る旨、東電から報告を受けた」と説明し、小森常務にバトンを渡す。しかし、小森常務は「国、保安院の判断を仰ぎ、(ベント実施の)判断で進めるべしというような国の意見もありまして」と述べる。方法はドライベントではなくウエットベント。さらに小森常務は2号機でベントを実施すると表明したが、代わった東電の担当者は「今入った情報では、2号機は冷却機能が働いていると確認出来た。1号機になるかもしれない」と説明した。)
▼03時45分頃(1号機で、原子炉建屋の二重扉を開いたところ、白いもやもやが見え、閉鎖。)
▼04時30分頃(1号機で、余震による津波の可能性から、現場操作の禁止を指示。線量がさらに上昇。)
▼05時44分頃(避難指示区域を半径3キロから10キロに拡大。)
▼06時14分(秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めるも、首相が陸自ヘリで原発視察に出発。機内では首相の隣に座る班目委員長が、「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」と首相に説明。後に班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と釈明。首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語る。)
▼06時50分(1号機で、政府が原子炉等規制法に基づき、東電にベントを命令。)
▼07時過ぎ(福島第一原発に着いた首相は免震重要棟に移り、「そんな悠長な話か。早くベントをやれ」と怒鳴る。未明に指示したベントが実施されていなかったため。現場を熟知する吉田昌郎福島第一原発所長は実施を約束。この後、官邸は東電本店よりも吉田所長に信頼を置くようになる。)
▼08時03分(1号機で、吉田所長から「1号機のベントは9時を目標」と指示。)
▼08時27分(1号機で、大熊町の一部住民が避難できていないとの情報が届き、避難終了後にベントをすることで調整。)
▼09時03分(避難完了を確認。)
▼09時04分(1号機で、第1班が懐中電灯を持って出発。手動で格納容器ベント弁を開く操作に着手。続いて第2班が圧力抑制プールの弁開放のため出発するが、線量が高く引き返す。作業を断念。)
▼11時36分(3号機で、冷却システム停止。所内の消防車は1号機の海水注入に使用していたため、応援を要請するも到着せず。バッテリー不足で逃がし安全弁を動かせず。社員の通勤用自動車のバッテリーを外して集め、中央制御室に運んで計器盤につなぎ込んだ。)
▼12時30分頃(1号機で、弁開放に使う空気圧縮機「仮設コンプレッサー」を協力企業で発見、原子炉建屋付近に設置。)
▼14時00分(1号機で、コンプレッサー起動。格納容器の圧力が低下。)
▼14時30分頃(1号機で、ベント実施と判断。)
▼14時54分(1号機で、吉田発電所長から海水注入の準備の指示。)
▼15時36分(1号機で、1号機で水素爆発が発生。原子炉建屋で水素爆発が発生、現場退避、海水注入のホースが損傷。がれきを片付け、ホースを探して再敷設。2号機で、飛散物でケーブルが損傷し、高圧電源車が自動停止。作業を中断し、全員が免震重要棟(作業拠点)へ退避。)
▼17時30分(2号機で、ベント操作の準備を開始するよう吉田所長が指示。3号機で、格納容器ベントの準備を開始するよう吉田所長指示。)
▼18時頃(1号機で、官邸では午後6時ごろから海水注入の検討を始め、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長の指摘に基づき、再臨界を防ぐホウ酸を投入するなど防止策を協議していた。その間に東電が海水注入を始めたことは官邸には伝わっていなかったという。)
▼18時頃(1号機で、それまで1号機に注入していた淡水が足りなくなったため、首相は午後6時ごろに内閣府原子力安全委員会や経済産業省原子力安全・保安院などに対し、海水注入を検討するよう指示した。)
▼18時頃(1号機で、炉心冷却に向け真水に代え海水を注入するとの「首相指示」が出た。だが、政府筋によると原子力安全委員会の班目春樹委員長が首相に海水注入で再臨界が起きる可能性を指摘、いったん指示を見送った。)
▼18時頃(1号機で、東電関係者や原子力安全委員会などとの協議で、再臨界の危険性を含め注入に際しての課題を検討するよう求めたことを認めた。ただ最初の注入について東電からの報告はなかったと強調。「わたしが止めたことは全くない。報告が上がってないものを、やめろとか言うはずがない」と中断指示を否定した。原子力安全委員会の班目春樹委員長は「首相から海水注入の問題点を全て洗い出せと指示があり、『再臨界の可能性はゼロではない』と申し上げた」と説明した。)
▼18時25分(避難指示区域を半径20キロに拡大。)
▼19時04分(1号機で海水注入を開始。午後7時4分に海水注水を開始。海水注入は発電所長らの判断で始まった。前後して、官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローが現地と連絡を取り、官邸で核燃料の再臨界の可能性について検討中であることを伝えた。)
▼19時04分(1号機で、首相官邸での検討は午後7時半ごろまで続いていたが、東電はそれに先立つ午後7時4分、現地の判断で海水注入を開始した。東電は現場の判断で同7時4分に海水注入を始めた。これを聞いた首相が激怒したとの情報が入った。ところが、東電は現場の判断で同7時4分に海水注入を始めた。これを聞いた首相が「聞いていない」と激怒したとの情報が入った。)
▼19時25分(1号機で、同25分に停止。現地は「政府の判断を待つ」として同7時25分に注水を中断。ホースやポンプがきちんと動くかどうかの「試験注入」で、順調ならそのまま注入を継続する予定だったというが、官邸にいた東電担当者が現地や東電本店に政府内での協議が続行していることを伝えたため、同7時25分に注入を停止した。)
▼19時25分(1号機で、東電側は首相の意向を受けてから判断すべきだとして、同7時25分に海水注入を停止した。)
▼19時40分(1号機で、午後7時40分、保安院などが首相にホウ酸を加えた海水注入案について説明。)
▼19時55分(1号機で、その後海水注入でも再臨界の問題がないことがわかった。首相は同55分、海水注入を指示。午後8時20分に再臨界を防ぐホウ酸を混ぜたうえでの注水が再開されたという。)
▼20時20分(1号機で、午後8時20分に海水とホウ酸による注水開始。その30分後、菅直人首相の注水指示が出たのを受け、午後8時20分に注水が再開された。海水注入が再開したのは午後8時20分だった。)
▼20時45分(1号機で、ホウ酸投入は午後8時45分に始まった。)
【2011年(平成23年)3月13日】
▼時間不明(2号機で、格納容器ベント弁を手動で開くため、当直員が原子炉建屋に出発。)
▼08時41分(3号機で、ベント開始。)
▼09時24分(3号機で、格納容器の圧力が減圧されたことを確認、同20分ごろにベントが実施されたと判断。)
▼09時25分(3号機で、消防車による代替注水を開始。電源復旧作業を実施するが、度々の余震や劣悪な作業環境により思うように作業が進まず。)
▼10時15分(2号機で、ベントを実施するよう吉田所長指示。)
▼10時30分(3号機で、(原子炉への)海水注入を視野に入れて動くとの吉田所長指示。)
▼13時12分(3号機で、海水注入を開始。各所に消防車の応援要請を継続して行っていたが、構内の放射線量、汚染の問題や発電所までの道路状態が悪いことなどの理由により、発電所に直接向かうことができず。水源として、4号機タービン建屋の地下にたまった(津波による)海水を利用するため、タービン建屋大物搬入口のシャッターを破壊して消防車を入れて取水を試みるが、引くことができない。)
▼14時31分頃(3号機で、原子炉建屋二重扉北側で毎時300ミリシーベルト以上(中は白いもやもや状態)。)
▼15時28分(3号機で、中央制御室の線量が毎時12ミリシーベルトとなり、当直員は4号機中央制御室側に退避。)
【2011年(平成23年)3月14日】
▼明け方(3号機で、応援の消防車が到着。淡水源として要請していた自衛隊の給水車5トン(計7台)も到着。補給作業を開始する。)
▼11時01分(3号機原子炉建屋で水素爆発。2号機で準備完了状態だった注水ラインは、消防車及びホースが破損して使用不可能に。圧力抑制プールのベント弁につながる回路が外れ、閉まる。当直員を除く作業員は、免震重要棟に退避。3号機で、原子炉建屋で水素爆発。)
▼16時頃(2号機で、原子炉の圧力を下げるため、車両からバッテリーを集めて中央制御室に運び電源ケーブルをつないだが、バッテリーの電圧が不足。バッテリーを追加して複数の逃がし安全弁の動作を試みる。)
▼16時20分(2号機で、圧力抑制プールベント弁を開く操作をしたが、コンプレッサーからの空気が十分でなく操作できず。)
▼16時30分頃(3号機で、消防車による海水注入を再開。)
▼19時20分(2号機で、海水を注入する為の消防車が燃料切れで停止。)
▼19時54分(2号機で、原子炉内に消防車による海水注入開始。)
▼21時頃(2号機で、圧力抑制プールベント弁を開く操作。)
▼21時20分(2号機で、逃がし安全弁を二つ開き、原子炉水位の回復を確認。)
▼24時02分(2号機で、格納容器ベント弁を開く操作。)
【2011年(平成23年)3月15日】
▼06時00分~10分頃(2号機で、圧力抑制プール付近で爆発音が発生。応急復旧作業に必要な要員を除き、一時的に福島第2原発へ避難。)
▼11時00分(半径20~30キロ圏内の住民に屋内退避を指示。)
学は全ての内容に目を通し、そしてこう一言言った。
倉田学:「これを観る限り『福島第一原発事故』で一番冷静に判断していたのは、吉田所長だと思うよ。もし吉田所長が投げ出していたら、東京も確実に放射能による被爆を受けていたはずだ」
倉田学:「僕たちはもっと吉田さんに感謝しなければならない。そしてこの教訓を活かさないと」
みさき:「そうですよね。わたし達一家は、いつになったら福島県 南相馬市に戻れるんだろう」
倉田 学:「僕にもわからない。日本政府や東京電力はどこを向いているのか。吉田所長はその後どうなったの?」
みさき:「2013年(平成25年)07月09日に食道癌で亡くなったの」
倉田 学:「…………」
学はスクラップブックをみさきに返し、そしてもう何も言わなかったのだ。電車は東京駅に到着した。まだ空は明るく、東北で観た雪空とは違って明るい陽射しが差し込んでいたのだ。
四人は改札を出て、そして別れた。学は自宅へと向かった。自宅近くの最寄駅の高架下では、女性のストリートシンガーのエリが中島みゆきの『糸』をカバーして歌っていたのだ。この唄を聴いて学は空を見上げた。そしてこう思った。
倉田 学:「この東京の空は東北と繋がっていて、僕たちは今まで観て見ない振りをして来たんだと…。でも、何処にいてもこの空のように何処までも繋がっているんだと…」
そう思いながら少し立ち止まって、この唄を聴いていたのであった。
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