【Session08】2015年08月15日(Sat)

 新宿のオフィス街はお盆で人通りも少なく、それに比べ新宿歌舞伎町はお盆の真っ只中にあり、観光客で溢れかえっていた。また外国人旅行者も多く目立つ、そんな暑い夏の終戦記念日(戦没者を追悼し平和を祈念する日・戦後70年)である。


 学はお盆ではあったが特に何時もと変わりなく、自分のカウンセリングルームでひとり物思いに耽っていた。そしてカウンセリングルームで、彩のカウンセリングの準備と、前回のカウンセリングの後に郵便ポストに入れられた彼女からの手紙と扇子を見つめていたのだ。

 学は彩から貰った手紙の言葉の意味をもう一度振り返りながら読み返していたのだった。その最後の文の「そんなわたしを愛してくれますか?」と言う意味が、この時の学には理解できず、学自身どう受け取ったらいいのか少し困惑していたのだ。


 しかしこのことを彩に問い詰める訳にもいかず、学は自分が心理カウンセラーだから彩はあのような文章を書いたのだろうと自分に納得させていた。また彼女から貰った扇子については、学自身やはり貰ったままにはしておけなかったので、学はネットで彼女から貰った扇子が幾らぐらいの値段か調べ、同じような物を彩にプレゼントしようと思い用意していた。

 学が彼女から扇子を貰った次の日、彩の最初のカウンセリングで書いて貰った面談用紙に、彼女の誕生日が記入されていたのを思い出したからだ。そして今日、8月15日が彼女の誕生日であった。


 学はこのチャンスを逃すと、クライエントである彼女に借りを返すことが難しくなると思い、慌てて彼女から貰った扇子と同じような扇子を彼女にプレゼントすることにしたのだ。

 そして彩とのカウンセリング予定時刻が近づき、何時ものように1階ロビーのチャイムが鳴り、彩は学のカウンセリングルームを訪れた。学は何時ものようにおもむろにチャイムに反応し、彩は学の『カウンセリングルーム フィリア』へと吸い込まれて行ったのだ。


木下彩:「こんにちは倉田さん。宜しくお願いします」

倉田学:「こんにちは木下さん。こちらこそ宜しくお願いします」


倉田学:「この間から今日まで、何か変わったことはありましたか?」

木下彩:「ええぇ、まあぁ。アルコール(お酒)を飲んでいないのに…」


倉田学:「アルコール(お酒)を飲んでいないのに、どうかしましたか?」

木下彩:「それが不思議なことに、もうひとりの自分が…」


倉田学:「もうひとりの自分が、どうかしましたか?」

木下彩:「こないだ、新宿歌舞伎町のホストクラブに…」


倉田学:「そのホストクラブでどうかしましたか?」

木下彩:「アルコール(お酒)を飲んでいないのに、もうひとりの自分と入れ替わったんです」


倉田学:「そのホストクラブで、何か変わったことはありましたか?」

木下彩:「えぇーと…」


 その時突然、彩のスマホの着信音が鳴った。


木下彩:「すいません倉田さん。スマホが…」

倉田学:「カウンセリングの時は電源を切っておかないと駄目だよ! しょーがない。スマホを確認してもいいよ、今回は特別に…」


 彩は申し訳なさそうにカバンに入っているスマホを取り出し確認した。そして何やらスマホをいじっているのを学は観ていたのだ。すると突然、彩の表情がみるみる変わり別人のような表情になっていったのだった。


倉田学:「木下さん。どうしましたか?」

綾瀬ひとみ:「わたしは木下じゃなく、ヒ・ト・ミ」


倉田学:「えぇー、あなたは木下さんではないんですか?」

綾瀬ひとみ:「そう。わたしは綾瀬 ひとみよ!」


 学は何が起きたのか最初さっぱりわからなかった。しかし彩がスマホを観たとたんに豹変したことを見逃していなかったのだ。


倉田学:「ひとみさん、誰からの連絡だったのかなぁ?」

綾瀬ひとみ:「先生、それってプライバシーの侵害じゃない」

倉田学:「ではひとみさん。こないだのホストクラブはどうでしたか? 木下さんから聴いたのですが…」


 学は彩からホストクラブの話を聴いていたので、彩からおおよその内容を聴かされていると言う素振りで、ひとみからその時の状況を聴き出そうとした。


綾瀬ひとみ:「なーんだ先生、知ってたんだ。あのパーティーは透の誕生日パーティーで、じゅん子ママと透の『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』に行ったの」


倉田学:「ひとみさんは、その時も木下さんと入れ替わったんですよねぇ?」

綾瀬ひとみ:「そうよ」


倉田学:「では、ひとみさん。あなたは木下さんのことをどう思います?」

綾瀬ひとみ:「彼女が裏の世界に行き、わたしが表の世界に出たいわ」


倉田学:「それは普段がひとみさんで、スマホを観ると木下さんになると言うことでしょうか?」

綾瀬ひとみ:「そうね」


倉田学:「では、そうする為の方法があります。その為には、スマホの何を観ると変わるのか教えて貰えますか?」

綾瀬ひとみ:「えぇー、そんなことできるの? でも、教えなーい」


倉田学:「…………」


 学はこころの中で「失敗した」と思った。彩からひとみに変化するトリックが掴めると思っていたからだ。しかしその原因を突き止めることができず、とりあえず今のひとみの状態から彩に戻すため催眠療法を行ったのだった。

 学は前回と同様に海の上にひとみがいて、海の中に深く潜り海の底でもうひとりの人格の彩にバトンを渡し、バトンを貰った彩が地上へと上がって来ることにより、木下彩と言う人格に戻ることを試みたのだ。そしてこう言葉を掛けたのだった。


倉田学:「あなたの名前を教えてくれるますか?」

木下彩:「木下彩です。わたし、どうかしてましたか?」


倉田学:「もうひとりの人格、綾瀬ひとみさんが現れたんです」

木下彩:「えぇー、本当ですか。何か言ってましたか?」


倉田学:「まぁー、いろいろと。人格が入れ替わるもうひとつの原因がわかりましたよ」

木下彩:「えぇー、本当ですか。それは何ですか?」


倉田学:「どうやら、スマホと関係があるみたいです。でも、はっきりしたことはまだ…」

木下彩:「そうですか」


倉田学:「まぁー、前進したから気を取り直して」

木下彩:「そうですね」


 こうして彩のカウンセリングは終えようとしていた。そして学は彩から貰った扇子のお返しに、同じように扇子を彩に差し出したのだ。


倉田学:「木下さん。確か今日、誕生日だったよねぇ?」

木下彩:「ええぇ、まあぁ」


倉田学:「この前、郵便ポストに手紙と扇子を入れて帰ったよねぇ?」

木下彩:「ええぇ、まあぁ」


倉田学:「本当はクライエントさんから、僕はプレゼントとか差し入れを受け取らないことにしているんです」

木下彩:「はあぁ、そうですかぁ」


倉田学:「でも、木下さんからのプレゼントを開けてしまったので、その時の誕生日プレゼントのお返しに僕からのプレゼントです。木下さん、26歳の誕生日おめでとう御座います」

木下彩:「ありがとう御座います倉田さん」


 学は彩から貰った扇子のお返しに扇子を送ったのだ。この辺も学の心理カウンセラーらしい一面が見られる。それは貰ったものと同じものをプレゼントするといった行動が、ある意味カウンセリングで言う『ミラーリング』と言う仕草のような行動であったからだ。

 そして彩の26歳の誕生日を一緒に迎えることにより、こうしてカウンセラーとクライエントと言う立場でありながらも、より親密な関係に結びつける出来事となったのであった。またこの日が奇しくも、終戦記念日(戦没者を追悼し平和を祈念する日・戦後70年)であると言うことを、二人の中では特に意識していなかったが、二人にとって大変意味深い一日になったのである。彩は次回のカウンセリングを9月11日(金)15時から何時ものように予約し、そして学のカウンセリングルームを後にしたのだった。


 この日は19時から、美山みずきと言う女性からのカウンセリングの相談も学は受けていた。学は初めて『カウンセリングルーム フィリア』に訪れるみずきについて、どのような女性なのか想像を膨らませていたのだ。と言うのも『銀座クラブ SWEET』のママであるみずきは昔、新宿歌舞伎町でキャバ嬢をしていた。そして当時、彼女は物凄い美貌で、新宿界隈で有名であったと言う噂を知り合いのカウンセラーからひとづてに聴かされていたからだ。

 また学は最初に彼女からの電話を受けた時に、とても芯が強く自分のお店のスタッフのことを本当に心配しているんだなと言う印象を受けたからであった。そんなことを考えていると、あっという間にみずきとのカウンセリングの時間が近づいて来た。そして1階ロビーのインターフォンの音が鳴ったのだ。学は待ち構えていたかのようにインターフォンに出たのだった。


倉田学:「『カウンセリングルーム フィリア』の倉田ですが、どちらさまでしょうか?」

美山みずき:「すいません、美山みずきと申します。19時からカウンセリングを予約している者です」


倉田学:「美山さんですね、お待ちしていました。いま、玄関ロビーを開けますね」

美山みずき:「宜しくお願いします」


 こうしてみずきは学の待つカウンセリングルームへとやって来た。そしてみずきに初めて会った学は、彼女の可憐な姿と顔立ち、そして彼女から甘い香りがするのを感じ取ることが出来たのだ。


美山みずき:「こんばんは倉田先生。宜しくお願いします」

倉田学:「僕は先生じゃないから、倉田さんって呼んでくださいね」


美山みずき:「わかりました倉田さん。今日ここに来たのは、わたしのお店で働いている女の子についてです」

倉田学:「どのような女の子なのでしょうか?」


美山みずき:「ええぇ、歳は25歳で仕事のすごく良くできるいい子なんですが、熱中しすぎると周りが見えなくなることがあるんです」

倉田学:「そうですか、名前は何ていう子なんでしょうか?」


美山みずき:「のぞみと言う女の子ですが…」

倉田学:「そうですか。話を聴いただけでは僕には判断できないので、一度その子に会ってみる必要があると思います」


美山みずき:「そうして頂けると有難いです。一度、わたしのお店に来て頂けないでしょうか?」

倉田学:「構わないですが、出張カウンセリングと言う形になります。問題ないでしょうか?」


美山みずき:「その場合の費用とかはどうなるのでしょうか?」

倉田学:「僕のところでは60分1万8千円。それと、ここ(新宿)からの交通費を頂きます」


美山みずき:「わかりました。そうしましたら9月2日(水)の19時にわたしのお店に来てください」

倉田学:「わかりました」


 こうしてみずきは自分のお店『銀座クラブ SWEET』の名刺を学に差し出し、住所と電話番号を学に教えたのだ。またその女の子やお店のスタッフについての話も少ししたのだった。そしてこう言った。


美山みずき:「お店のスタッフには内緒にしているので、連絡する時はわたしの携帯番号にお願いします」

倉田学:「わかりました。では9月2日(水)の19時に伺いますね」


 こんなやり取りをして、みずきとのカウンセリングを終えたのだ。学はみずきをカウンセリングルームの玄関で見送り、みずきの言っていた25歳ののぞみのことを考えていた。またその子のことも気にはなったのだが、今さっきまで『カウンセリングルーム フィリア』に来ていたみずきのことについても色々と想像を膨らませていたのだった。それは彼女の美しさと力強さの中に、少し暗い影の部分があるように学には感じられたからだ。しかしそれが何なのかは、この時の学にはわからなかったのである。

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