第16話
真夜中に、私は目を覚ましました。
ここ数日、食虫植物に喰い殺される夢はみていません。
寝る前に焚く、香の効果なのかもしれないと思います。少なくとも、眠れるようにはなりました。
しかし代わりに今日は、生クリームになる夢をみました。
ボウルの中、私はホイッパーで、ぐるぐるとかき混ぜられているのです。じつに不思議な夢でした。
……もしかすると、私はケーキが食べたいのでしょうか?
フィルとお茶を飲む際に、茶請けはいつもクッキーです。それも、ほとんど甘味を感じません。
悩みごとのせいで、糖分が不足しているのだと思います。
「…………」
無言で、真っ暗闇を見つめます。
天蓋付きのベッドで眠る経験は、元の世界ではありませんでした。
今では、これがないと落ち着かないと思います。ひらひらのカーテンは、可愛らしさのためだけではないのです。
むしろ、ひらひらしていなくてよいので、もう少し厚手のカーテンが欲しいかもしれません。
カーテンの外で、何かが動いた気がします。おそらくは、気のせいでしょう。
私は体を起こしました。
「何だ。こんな時間に、何をしている?」
暗い廊下へ出て、窓から外を眺めていると、近付いてきた灯りに声をかけられました。
フィルです。
ぼうっと蒼白く光る灯りは、手にした小さなランプのものです。炎ではなく、魔法で光る、魔石が入っていると聞きました。私には、光らせる事のできないものです。
『聖女』などと呼ばれていても、私にはこの世界にある『魔法』は使えないようでした。
自分がただの『浄化装置』、フィルのいうには『排水溝の栓』でしかないのだと、ああいうモノを見ると改めて再確認させられます。
つまり私は、この世界にとって本来あるべきではない、ただの『異物』に過ぎないのです。
やはり、帰るべきなのでしょう……。
「……あなたこそ、こんな時間になぜ歩き回っているのですか?」
「猫はもともと、夜行性だ」
問い返すと、フィルはむすっとした表情で答えました。
そうだったろうか? と私は内心首を傾げました。違ったような気もするし、確かにそんなイメージの気もします。
でもだからといって、猫の獣人まで夜行性という事はないでしょう。
本当に、彼は何をしているのでしょうか……? トイレに起きて、迷ったとかでしょうか? それともまさか――
「……見回りだ。トイレでも、夜這いでもない」
「そうですか。……私は何も言ってませんけど」
「そういう顔をしていた」
「どんな顔ですか」
「胡乱な者へ向ける顔だ」
「…………」
冤罪というわけでもないので、私は黙って窓の外へ視線を戻しました。
窓は真っ黒な板のようでした。
……おそらくフィルは、毎晩見回りをしているのだと思います。
私が逃げないように、でしょうか? いえ、多分ですが、そうではないような気もします……。
とはいえ彼がダンスの練習の際、ちょくちょく欠伸を漏らしていたのは、こういう理由だったのだと今知りました。
足を踏まなくなったので、暇なのかと思っていました。
「あの、フィル……?」
「っ、なんだ?」
名前を呼ぶと、フィルは少し戸惑ったように、返事をしました。
「私は、元いた世界に……」
帰るべきなのでしょうか? と尋ねかけ、私は言葉を飲み込みました。
そんなのは、当たり前の事だからです。
それに、それは私の『望みの半分』であるはずでした。
「……帰ります。帰りたい、です」
「……分かっている。もうすぐだ」
言い直すと、フィルは低い声音で答えました。
「……もう寝ろ。明日も練習がある。寝不足ではまたリンゴを落とすぞ」
「どの口が言いますか」
夜更かしは、フィルも同じだと思います。
『リンゴを落とす』というのは、私の姿勢を矯正するため、頭に乗せて歩く練習をするリンゴです。
「乗せるのは普通、本ではないのですか?」と尋ねたら、バートンさんに怪訝な顔をされました。
元いた世界で読んだ書物か何かでは、貴族のご令嬢が頭に本を乗せて、同じような練習をしているシーンがあったと記憶しています。
でもこの世界では、本は乗せないようでした。獣の耳が、あるからですね。
フィルにじとりと見据えられ、私は部屋に戻る事にしました。
たしかに彼の言うとおり、寝不足で練習するのは大変そうです。
それになぜだか、少し気持ちも落ち着きました。多分、眠れると思います。
「っ、」
扉を開けて、私は息を呑みました。
誰かが私のベッドの傍で、じっと佇んでいたのです。
真っ黒い服で、背の高い誰かは、何か細長い物を持っているようでした。
「――ッ!?」
細長い、銀色の何かが暗闇に煌めき、私は大きく息を吸い込みました。
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