第11話
「聖女様、お迎えに上がらせて頂きました。さあ、どうぞこちらへ」
そう言って、ロマンスグレーの髪をした老練の執事の方は、一礼したのち私に向かって手を差し出しました。
今朝になり、急に追い出されるように離宮の外へ連れ出されたところ、彼が待っていたのです。
その背後には、やや小ぶりな馬車が停まっております。……あれに乗れと、いうことでしょうか?
馬車の見た目は、一見すると質素です。王宮の敷地内でよく見かけるような、いかにも貴族然とした馬車とは比べるべくもありません。
しかしよくよく観察すると、それはただ派手ではないというだけで、やはり高級な馬車のようでした。造りや材料の質が、王家への献上品を運んで来る馬車よりも、良いもののような気がします。
……いえ、私は馬車専門家ではないので確信はありません。
派手ではないけれど、これも貴族向けの馬車なのかな? と、なんとなく思った程度です。
「いかがなさいましたかな?」
「あ、えっと……」
その場から動かない私を、老執事の方が不思議そうに見つめます。
ブルーの瞳で、なんだかシャム猫のような方です。事実、そうなのかもしれません。
そして、とてもとても申し訳ないのですが、彼のようなご高齢で厳格そうな方に、猫の耳と尻尾があるのは、なかなかシュールな光景でした。
さすがに今さら笑ったりはしませんが、この国に召喚されたばかりの頃であれば、危なかったかもしれません。
「早く行ってくださいよ」
ふいに後ろから、苛立たしげな声が聞こえました。
あまり振り返りたくはありませんでしたが、私はゆっくりとそちらを向きます。
「私たちも暇ではないのですよ。ユイ様が出て行ったら、離宮の掃除をしなければならないのです。なにせ高貴な
「…………」
「黙ってないで、早く行ってくださいよ。……まったく、なんでこんなのに見送りなんか……」
そう言って私を睨むのは、以前、王様に告げ口をした侍女の方でした。
彼女とともに並んでいる他の侍女の方々も皆、私を射殺さんばかりに睨んでおります。
……ここまで何の説明もなく、追い出されるように連れてこられた私ですが、どうするべきかは分かります。
「どうも、お世話になりました」
そう言って、にっこりと微笑んでやりました。
我ながら意地の悪い発想ですが、この瞬間の彼女たちの表情は、心のアルバムに仕舞っておく事にします。
馬車の中には、あの方が待っておりました。
黒猫の、背の高い獣人の方です。今日は白衣を羽織っていません。
彼がいる事はなんとなく予想してはおりましたが、私は少し逡巡し、それから馬車に乗り込みました。
カタンと、微かな揺れを感じます。どうやら馬車が動き出したようです。
「……あれから、どこも異常はないか?」
「……ない。と思います。あの、これは一体、どういう事なのですか?」
「後日、迎えに来る事になるだろうと伝えたはずだが?」
「そう、ですけれど……」
尋ねると、彼は怪訝そうな顔をしました。
たしかに先日、彼はそう告げて去って行ったのです。……私に何の情報も、与えないまま。
おかげさまで、昨日はモヤモヤしてよく眠れませんでした。
微睡むと、悪夢を見るのも原因かもしれません。ミーシャに殴られ顔を潰された経験は、大きな食虫植物に喰い殺される悪夢を、私に見せるようでした。なぜ食虫植物なのかは、分かりませんが……。
「ミーシャ・フェリーネは、あの離宮に軟禁される。表向きは、ハロウズ侯爵の『番』を歓待する、という名目だ」
「そのよう、ですね」
「お前の身柄を保護する権利は、俺が預かる事となった。まあ実質は、掠め取ったというところだが」
「はぁ……」
状況が、よく分かりません。
なんとなく予想できるのは、ミーシャが私を再び殴ったりしないよう、引き離すという事なのかな? という程度です。
それだけならば、会わせなければ済む話に思えますが……。
「……結局、あなたは誰なのですか?」
「フィル。そう呼べ」
私の問いかけに対し、彼は短く答えました。
質問したい事は他にも山ほどありますが、何から聞けばいいのか分かりません。
……ふと、聞き覚えのある声が聞こえた気がして、窓の外へ目を向けます。
「――っ!? リカルド様っ!?」
「止まらんぞ。奴には面会する権利がない。何のつもりかは予想が付くが、存外ツラの皮の厚い男だな」
「そんな言い方っ!?」
窓の外、馬車へと走ってくるリカルド様の姿が見えます。
彼は何かを叫んでいるようでしたが、何を言っているのかまではよく聞き取れません。
「と、止めてくださいっ! リカルド様が、私をっ」
「お前を、何だ? 迎えに来たわけではないぞ?」
「っ、」
「……奴はお前に、ミーシャ・フェリーネの恩赦を求めるだろう。それでも、馬車を停めて奴と話すか?」
フィルの言葉に、私は頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。
思わず顔に手を触れて、目を、鼻を、口を、確かめます。
それから、絞り出すように、言いました。
「…………いえ、いいです。そのまま、行ってください」
「賢明だ」
不機嫌そうに息を吐き、フィルはぼそりと呟きました。
リカルド様の姿は、どんどん遠くへ離れていきます。彼はもう、馬車を追うのを諦めて、立ち尽くしているようでした。
「……奴がお前に近付いたのは、奴を取り巻く派閥、そして教会の思惑もあるが」
しばらく無言の時間が続き、フィルがぼそぼそと、私のほうを見ずに話し始めます。
「その後にあった感情については、俺には推し量る事はできない。他人の心など、己の物差しで測れるものではないからな」
「…………なんですか、それ?」
私は彼に、怪訝な目を向けました。
派閥、教会、思惑。そういった事柄に驚きもありましたが、それよりもなんというか……なんだか急に、思春期の男の子のようなセリフを言われた気がします。
少し考え、私はフィルに尋ねました。
「……もしかして、慰めているんですか?」
「違う。見解を述べただけだ」
「そうですか……」
フィルの黒い尻尾が、ぱたぱたと揺れておりました。
猫の尻尾が揺れるのは、犬とは違う意味だった気がします。
「……お前は」
「はい?」
またしばらくして、フィルはこちらを向きました。
彼はじっと私の顔を観察し、それから真剣な表情で言いました。
「俺たち獣人の姿が、こんなに中途半端なのは、どうしてなのか考えた事はあるか?」
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