第3話 噂の下駄箱

 その手紙は差出人も受取人も知らない相手だった。


 嫌な予感がしつつも思わず持ち帰ってしまったのだが、迷った挙げ句中身を見ることにした。

 そして、その予感は的中した。


 女子がよく使ういわゆる丸文字をさらに崩して記号化した、もはや象形文字にしか見えないような文字が羅列していたのだ。

 封筒の宛名書きを見た時点では解読不能な文字列をじっと眺めるわけにもいかず持ち帰ったのだが、そこからさらにネットで調べて対応表のようなものを見つけ出して、これがやはりラブレターであると確信するに至った。

 ある種の暗号、言葉遊びのようなものだ。

 いじらしい愛情表現である。


 だが、男子として言わせてもらえば、こういう類の遊びに男子は全く興味がない。

 むしろ面倒とすら思う。

 この挑戦的な態度すら面倒で、「ああ付き合ったらサプライズとか期待されるんだろうな」とかが頭によぎって、そもそも解読を試みようとすらしないだろう。


 しかも読んでみたところ二人の関係性はこういう遊びが許容されうるほど親しくもない。

 そんな相手に対して彼女は大真面目にこの象形文字で勝負を仕掛けているのだ。

 流石に勝ち目がない。


 同じような封筒と便箋を用意して、そのラブレターを書き直した。

 内容自体はただの愛の告白なので問題ない。


 その相手の下駄箱というのが、二つ隣の区画の同じ位置にあったのだ。

 これもおそらくただの入れ間違いだったのだろう。

 翌日、正しい位置にこっそりと入れ直しておいた。



 その結果がどうであったのかは僕の知り及ぶところではない。

 だが、きっとうまくいったのだろう。

 うまくいってしまったのだ。


『その下駄箱にラブレターを入れると両思いになれる』


 なんて噂が、おおよそ恋と無縁の僕の耳にまで入るようになっていたのだから。


 なんでもその女子生徒は自分が手紙を入れ間違えたことに気付いたのだが、取りに戻ると手紙が忽然と姿を消し、にもかかわらず翌日その相手が彼女の告白に応じたのだという。

 これは神様か愛の天使が二人の仲を取り持ってくれたに違いないと。

 ああなんともはや、素敵なお話だ。

 神様ないし愛の天使とやらの正体が僕かもしれないという点を除いては。


 もちろんそんなこと誰にも言えるはずがない。

 ひょっとしたら僕の知らないところで似たような出来事が起こっているのかもしれない、なんて考えたりもした。


 放課後、一通の手紙が開かずの下駄箱に入ってるのを見るまでは。



 進学校と言っても所詮は高校生。

 やはり勉強よりも恋に目覚めるお年頃。

 恋の噂となればどんな相手とも話せる共通の、極上の娯楽だ。


 それから僕の日課と言えば、文房具店巡りで似たような封筒や便箋探し、書き続けても手が疲れないシャーペンやボールペン探しと、それらを用いて高校生たちが織りなす愛の言霊を写経すること。

 情熱的な謳い文句、業務連絡みたいな定型文、ただの再確認みたいなノロケまで様々なラブレターを書き直してきた。

 中には書き直す必要もないほど字のキレイな手紙もあったので、それはそのまま相手先の下駄箱に投函した。

 とはいえ、男子の字は全員書き直したと思う。

 相手に送るならもっと丁寧に書けよと思ってしまう。

 それだけで印象はグッと変わるというのに。


 同学年だけに及ばず、下級生や上級生にまで噂は広まっていた。

 他の学年の下駄箱に入れ直すにはとにかく慎重になった。

 こんな冴えないやつが愛の天使だとバレたら一巻の終わりだ。

 おかげで全校生徒の下駄箱の位置はほぼ把握した。

 間違いなく不要な知識だ。


『あの下駄箱にラブレターを入れたら添削されて相手に届くんだって』

『誤字脱字も直されてるとかチョー便利じゃない』


 添削なんてした覚えが――いや、あったな。

 最初の手紙だけは彼好みの内容に少しだけ書き直したんだっけ。



 手紙の置かれる頻度はますます増え、最初は一週間に一度あるかどうかだったのが、ここのところほぼ毎日置かれているような気がする。

 このままでは勉強が追いつかなくなる。

 最初は勉強の息抜きにちょうど良いと思って始めたのだが、そちらがメインになって勉強が疎かになってしまった。


 そんなことを思い悩みながら登校していたある日、間違って開かずの下駄箱に自分の靴を入れてしまったのだ。


『ねぇ、開かずの下駄箱がなくなってたんだけど』


 そんな言葉を耳にした。

 そうか、これで良いんだ。

 噂は噂でしか無い。

 開かずの下駄箱をなくしてしまえば、手紙を入れようとする者もいなくなるだろう。

 そんな簡単なことにも気付かないほどに僕は疲弊しきっていた。


 すると手紙が入ることはなくなり、僕は安心して靴を自分の下駄箱に戻した。

 手紙が入ることはあっても、週一程度のペースに戻っていった。

 これくらいなら、まあいいだろう。



 噂が落ち着きだしてきたある日のこと。

 僕は久々に開かずの下駄箱に手紙が入っていることに気付いた。


 何気なく見たその差出人の名前を見て、僕は固まった。


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