第9話 対岸から見た景色
週末ともなればアルカミア魔法学校の敷地内(主に湖)には、逢瀬を重ねるカップルであふれ返っている。
俺はその中に見覚えのある男子生徒と女子生徒の姿を発見した。
アレス・ソルジャーと件の痴漢少女だ。二人は優雅にボートを漕いでいた。
俺は人気のない対岸の林の中から、その光景を横目に見ている。
「パイセン! そんなに羨ましそうにボートをガン見されても、ティティスは一緒に乗ってあげないですよ!」
「誰も羨ましそうになんてしてないし、ティティスと乗りたいなんて一言も言ってないだろ」
「嘘はいけませんね。しっかりティティスと一緒に乗りたいと顔に書いてあります!」
「嘘つけ!」
「本当です! ここですよ、ここ! ここにティティスと乗りたいって書いてあります!」
どこだよと威圧的な態度でティティスに顔を近付けると、ササッと頬にマジックを走らせる。
「なにすんだよ!」
「ほら、やっぱり書いてあるじゃないですか!」
「お前が書いたんだろうがァッ!」
あの日以来、俺はこうして時々ティティスの修行に付き合っている――いや、付き合わされていると言うべきか。
「くそっ、洗っても全然取れないではないか!」
「取る必要なんてないということです!」
「喧しいわ」
しかも家に帰ると、たまにティティスが庭先でユニとお茶会を開いていたりする。なんでも俺の留守中に自宅に訪ねてきたらしく、その際にユニと友誼を結んだのだとか。
ユニに同世代の友人ができたことは非常に好ましいので、ティティスに自宅にまで来るなときつく言えないところが辛いところではある。
「で、なんでお前までこっちに来てんだよ? ティティスは寮生なんだから逆だろ?」
ティティスの修行に半ば無理やり付き合わされていた俺が自宅に向かって歩くなか、さも当然のように並んで歩く下級生。
「何をいやらしい顔で勘違いしているんですか! ティティスはユニちゃんに会いにいくだけです。間違ってももう少しパイセンと一緒にいたいな〜とか思ってないですよ! なのでカップルみたいだな〜とかって、パイセンも勝手に浮かれたりしないでください!」
「この顔のどこをどう見たら浮かれたように見えるんだよ!」
これから自宅の書庫で改めて呪いについて調べようと思っていたのに、こいつが居たらうるさくて集中できないんだよな。事ある毎にいちいち絡んでくるし。
「ん?」
「パイセン、突然立ち止まらないでくださいです。置いてっちゃいますよ」
アルカミア魔法学校から程近い貴族街を歩いていると、見覚えのある人物を発見してしまい、俺は足を止めた。
先日進級を祝して催されたダンスパーティにて、俺に婚約破棄を突きつけたこの国の第三王女、アリシア・アーメントである。
浮かない顔のアリシアは、小走りで林の中に駆けていく。緑で仕切られた林を突っ切った先には、先程ティティスが修行していた対岸へと続いていた。
「従者も連れずに何を急いでいるんだ?」
あのように忙しく走るアリシアを、俺はほとんど見たことがなかった。
「パイセン?」
「あっ、忘れてた! 俺、サシャール先生に聞きたいことがあるんだった。悪いが先に行っててくれるか?」
「え? それならティティスも――」
「この間の授業に関することだから、ティティスはユニの淹れてくれた紅茶でも味わっていてくれ」
「ちょっ――そっちは林ですよ?」
「湖の上を走ればショートカットになるんだよ」
「それ、まだ教わってないです!」
「今度じっくり魔力吸着についてレクチャーしてやるよ。じゃあな」
「あっ、パイセン!」
俺は後ろ手に別れを告げ、アリシアの後を追うように林の中に入っていく。
しばらく突き進むと、対岸から儚げな表情で湖を見つめるアリシアを発見する。彼女の視線の先には、ボートの上で女子生徒とくちづけを交わすアレスの姿があった。
「どうして貴方がこんなところにいるんですの?」
背後から歩み寄る俺に気がついたアリシアが振り返る。目が合った彼女は柳眉をさかだてた。その顔に、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
俺は余程婚約者に嫌われているらしい。
「従者も付けず、婚約者が一人で夕暮れの林に入っていくところを見かければ、あとだって追いたくなるというものだ。迷惑だったか?」
「そこまでは、言っていませんわ」
「なら、良かったよ。内心不快にさせてしまったらどうしようかと、冷や冷やしていたところだ」
「…………」
相変わらずの苦笑いを浮かべる俺に、アリシアは驚いたように眉を持ち上げた。次いで不思議そうに俺を見つめる彼女が、わずかに首を傾ける。
「貴方がそんなことを言うなんて、少し意外ですわ」
「そうか?」
「そうですわ。だって貴方はいつも私が話しかけても、つまらなさそうにふんっ、と鼻を鳴らして素っ気ない態度ばかりでしたもの。私、正直貴方に嫌われているものだとずっと思っていましたのよ」
「俺が君を嫌う? まさか……あり得ない」
「だから、正直戸惑いの方が大きかったですわ」
「戸惑い?」
「私、てっきり貴方は清々したと、私との婚約解消をあっさり受け入れるものだと思っていましたもの。元々お父様たちが決めた婚約でしたし」
アリシアがそう思うのも無理はない。現に醜くなってしまった俺は自分に自信が持てず、コンプレックスから彼女を遠ざけてきた。この醜い顔を見られるのが恐ろしかったのだ。
嫌われてしまうのではないかと思えば思うほど、いつしか俺は彼女を見ることさえできなくなっていた。
本当に愚かだったと思う。
アリシアは何度も、こんなにも醜くなってしまった俺に優しい言葉をかけてくれていたというのに。つくづく情けない自分に嫌気が差す。
「好きなのか? アレス・ソルジャーが」
茜色に染まる湖。そこに浮かぶボートに目を細めながら、俺は彼女に問いかけた。
アリシアも遥か前方をじっと見据え、少し困ったように、そして悲しそうに微笑んだ。
「正直、自分でもわかりませんの」
「わからない?」
「彼の側にいると胸がこう、高鳴ってドキドキしますの。まるで昔の貴方と居たときのように」
でも、とアリシアは続ける。
「彼が側からいなくなると、まるで夢から覚めてしまったように何も感じなくなってしまいますの」
彼女は苦しそうに胸元を手で押さえながら、その胸の内に秘めた想いを話してくれる。
「彼が女子生徒とボートに乗っているという話を聞いても、どこか他人事のように思っている自分がいましたの。それで、たしかめようと思って見に来ましたの。この目で実際に彼が他の女子生徒といるところを目にすれば、この心は張り裂けるほどに辛くなるのではないかと」
「で、どうだった?」
「……わかりませんの。こんなの、おかしいですわよね。自分の心なのに」
赤く染まった夕暮れに、儚げに微笑む彼女の横顔が印象的だった。
「アリシア―――」
戸惑い立ち尽くす彼女に声をかけ、俺は屋敷まで送らせてほしいと懇願した。
頬を赤く染めたアリシアは何も言わず、黙って来た道を引き返しはじめる。俺も黙ってその後ろを歩いた。
そして彼女を自宅まで送り届けた俺の脳裏には、やはりどうしても魔法剣の授業でのあの不可思議な場面が過ぎってしまう。
アレス・ソルジャーがモテる理由は、単に彼が【恋と魔法とクライシス】の主人公だからというわけではなさそうだ。
彼にはもっと何か、言葉では言い表せない何かがあると思った。
それこそ、俺のこの顔の呪いのように。
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