第十二章 裁判

 それでも目を覚ました後、三十分程休んだ所で体調を回復させた徹は、再度証言台に立つと主張した。それを聞いて裁判長達は審議し、一時間後に裁判を再会すると宣言したのだ。

あらためて証言台に立った徹に対し、途中となっていた質問を女性弁護士は繰り返したが、先程の様子を見て心配したのだろう。彼女は優しく声をかけてくれた。

「大丈夫ですか? 無理にお答えする必要はありませんよ」

 だが徹は歯を食いしばり、震えながらもなんとか絞り出すように口を開いた。

「できませんでした。先程のように、思い出しただけで震えが止まらなくなるのです。彼女が襲われていた時も同じでした。過去の出来事が頭に浮かび、体が思うように動かなくなって私は逃げるようにその場を立ち去ったのです。結婚して彼女を守るつもりでしたが、そんな度胸や強さ等、父の前では何の力も発揮できなかった」

「何故そのような事が起こったとお考えですか。和美被告の供述が正しければ、およそ十年ぶりの出来事だったようですが」

「おそらくですが祖父の肇、つまり忠雄の父が亡くなった為に、彼はそれまで受けていた苦悩から解放されたのではないでしょうか。私もそうだったように、樋口家を継ぐ重責というものは、計り知れないものがあります。それは父も同じ、またはそれ以上だったのでしょう。何せ祖父はまさしく街の創始者の一人でしたから」

「そうした偉大な父がいなくなり、開放された反動であなたの父親は和美被告を襲ったというのですか」

「はい。祖父は伝説のスリ師として名を馳せるだけでなく、大勢の仲間達から相当の信頼と尊敬の念を抱かれていました。私も祖父の孫というだけで、周りからは坊ちゃん、坊ちゃんと可愛がられ、特別扱いを受けていた事を覚えています。そんな偉大な人を父に持ち、幼い頃からスリ師の頭領を継ぐ為の厳しい特訓を受けてきたからでしょう。同時に街を統括する立場も継承しなければならないのですから、そのプレッシャーは想像を絶します」

「それだけですか」

 徹は首を振った。

「いいえ。確認してはいませんが、忠雄もまた祖父から虐待を受けていたのかもしれません。だからこそ大人になり集団の頭領という地位を得た父は、自分がされてきた事と同じ行為をしていたのだと思います。幼い和美に手を出した頃、六十近くになっていた祖父は第一線から退いていました。その頃から少しずつ、父のたがが外れだしたのでしょう。 もしくは幼い頃から受けた心の傷により、性的な依存症に陥っていたのかもしれません。そういう私も幼い子にこそ興味は持ちませんでしたが、結婚後も和美以外の女性と何人も関係を持ちました。その一人が良子です」

「彼女とはある時期から、同じ家で暮らし始めたのですね」

「はい。十年程前に父が体調を崩し始め、寝込みがちになりました。そこで食事や看病など、女手が必要だったことも要因の一つです。集団の仲間に属する女性達が、入れ替わり立ち代わり出入りするようになりました。その中の一人だった良子が特に献身的に尽くしてくれていたので、一緒に暮らし始めたのです」

「その間、和美被告はどうされていたのですか」

「彼女は引き続き、街から離れた家に住んでいました。過去の件もあり、父の世話などさせられませんでしたから。それに彼女自身も、近づきたがりませんでした。しかし父が元気な頃は、私がいない隙を狙って何度か出入りしていたようです」

「娘である樋口春香さんは、どこで過ごされていたのですか」

「生まれてから三年程は、郊外の家で私と和美の三人で暮らしていました。しかしやがて父が、春香を街の長屋へ連れて来いと言い出したのです。春香は女であっても樋口家の血を継ぐ者ですから、父が手放したがりませんでした。それで止む無く、私は和美だけを家に残し、春香を守る為に長屋へと移り住んだのです」

「守る為というのは、どういうことですか」

「父の性分から、必ず春香にも手を出すだろうと思っていました。それを防ごうと思ったのです。しかし和美の時と同じです。私は全く無力でした」

「理由はそれだけですか」

「いいえ。一時期私は、父の子を産んだ和美を抱けなくなっていました。表面上は仲の良い平和な家庭を築いているように装っていましたが、実態は違ったのです。仕事上のストレスも抱えていた私は、結局その捌け口を他の女に走ることで解消するようになりました。ですから和美と離れたのは、罪悪感を少しでもなくそうとしたからです」

 そう答えたが、実際の理由はもう少し複雑だ。忠雄から性的虐待を受けていた徹は、自分が普通ではないと悩み始めた。時には同性愛者ではないのかと悩みもした。そうではないと思いたいが為、まだ互いに十代である頃和美を抱いて確かめたのだ。

 もちろんそこに、彼女への愛情もあったことは間違いない。ただそれだけでなかったのも事実である。彼女なら既に父親達から抱かれて経験済みであり、自分と同じ境遇だという仲間意識、または同情心を抱いたからだろう。

 どちらにしても彼女を抱いて、父から受けた虐待を打ち消そうと試みたのは否定できない。再び父の毒牙にかかり春香を産んだ彼女を、しばらく抱けなくなった。その為他の女に走ったのも、父から受けた苦しみから逃れようとした結果だった。

 しかし良子を囲った後も、和美の家に通って彼女と関係を続けた。その理由はやはり和美を愛する気持ちが残っており、他の女では感じられない奇妙な安心感があったからだ。

 また春香を奪っただけでなく自分まで完全に離れてしまえば、彼女の精神は崩壊してしまうとの恐れを、常に持っていたからかもしれない。

 だが別件をきっかけに、彼女の狂気が表に出て来てしまったことは想定外だったのだ。

「春香さんと被告との関係はどうでしたか」

「和美とは時々連絡を取ったり、会ったりはしていたようです。しかし彼女は物心がつき始める少し前から、私と父が住む長屋の家で育てられました。食事等の世話は、良子と一緒に暮らすまで周囲の仲間やその奥さんが見てくれていました」

「和美被告は、その事に対し何も言わなかったのですか」

「父の言葉に逆らう事など、誰も出来ませんでした。それに春香は、スリ師としての高い才能を持っていましたから余計でしょう。私や父から学んだ腕は、小学生の頃には大人が舌を巻く程の腕前でした。祖父である肇の生まれ変わり、とまで呼ばれていました。恐らく隔世遺伝だったのでしょう」

「だから手放さなかったのですね」

「そういう一面もあったと思います。その一方で、祖父を彷彿させる彼女を性的に虐待し精神的な支配下に置くことで、父は過去に受けたトラウマから解放されたがっていたのかもしれません」

「少し質問を変えます。いずれにしても樋口忠雄が和美被告及び娘の樋口春香に対して行ってきた虐待は、多かれ少なかれ他にもあったと伺いました。山塚の街と古くから呼ばれる、窃盗集団が形成してきた特殊なコミュニティーの中で珍しいことでは無かった。それが今回検察の主張する、和美被告による連続殺人を生み出し、中川氏が殺された一連の事件に繋がったということでしょうか」

「きっかけや動機の一つになったことは間違いないと思います。和美に関しては、四人もの人をあやめたのですから、いかなる理由があろうとも情状酌量の余地はありません。死刑判決が出ても、止むを得ないでしょう。ただ春香に関しては殺人計画を立てていたとはいえ、未遂に終わっていてしかも被害者になりかねなかった」

「樋口春香が自らの死を覚悟し和美被告らを殺そうとしたのは、大事にしていた愛犬を殺されたから、でしたね」

「はい。一彦と名付けられていました」

「確か三十年余り前に和美被告が座敷牢に入れられたのも、そういう名の犬を殺したのがきっかけでしたね」

「はい。原田良子が飼っていた犬の名が、そうでした。というのも街で拾われた犬は、必ずそう名付けられていたからです」

 聞くところによると、街の創設者の一人がかつて飼っていた犬の名前らしい。その為代々、おすの場合は一彦という名称が引き継がれていたのである。

 和美が殺したのは確か五代目の一彦で、春香が街から連れ出して一緒に住んでいたのは七代目だったはずだ。一彦の次に現れた雄犬は次郎じろう、その次は三雄みつお武四たけし信五しんごと名付けたと聞いている。めすの場合は一子いちこ二美ふみ三江みつえ喜四きよ五香いつかだった。

 昔はたくさん飼っていた時期があるのだろう。徹が知っているのはせいぜい三雄や三江までだ。集団の頭領の名を引き継ぐという風習が、そんなところにも残っていたのである。

 またあの事件は和美が良子とちょっとした口論をし、その腹いせに彼女の可愛がっていた犬を殺したのだ。それを根に持った良子は復讐の為に、閉じ込められていた和美に同じく花火で襲った。その為彼女も別の座敷牢に閉じ込められたのだ。

 しかしその後、二人は解放されてから仲直りをした。それは良子が、

「火傷させてごめんなさい。これで私の首に火をかけて。それでお相子あいこにしよう」

と言ったからだと聞いている。真剣な目でそう言われた為断れなかった和美は、言われた通り受け取った花火に火をつけ、彼女の首にかけたそうだ。

 この後もやはり大人達は騒然とした。だが和美の時とは違い、良子から言い出したと分かった為、再度牢に入れられはしなかった。しかし和美が負った火傷は大人になるにつれて綺麗に消えたが、良子の首には今でも醜い痕跡が残っている。

 当時はわだかまりを解消した二人だったが、成長するにつれて徐々に状況が変わった。徹が和美と結婚したこともそうだ。そうした積み重ねが、良子の恨みとなっていたのだろう。その歪んだ私怨が中川に手を出し、また春香へ向けられた為にあのような事件を起こしたと思われる。

「つまり樋口春香は、生き甲斐にしていた愛犬を中川誠にさらわれ、原田良子に殺された。だから二人を殺すような計画を立てたのですね」

「それだけではありません。春香が生まれた環境に大きな問題があり、彼女のスリ師としての罪に関しても、酌量の余地があると思います。それに彼女をそこまで追い込んだのは、私の責任でもあります」

「それはどういう意味でしょうか」

「私はSNSにおいて、フランス語で救うという意味を表す“ソヴェ”という女性を名乗り、同じく性的暴行を受けた経験者として、彼女の悩みを三年以上聞いてきました。そのやり取りは、別の裁判で既に証拠として提出している通りです。その会話を見てご理解いただけると思いますが、私は彼女の心に寄り添う言葉をかけてきました。しかし身近にいながらあたかも他人の振りをして、何一つ彼女を守る手立てを打っていません。彼女をもっと早く救い、街の異常さに気付き告白していれば、被害はもっと少なくて済んだでしょう。もしかすると、和美の蛮行をも阻止できたのかもしれません」

「確かにやり取りを拝見したところ、あなたがもっと踏み込んでいればと思う個所やタイミングは、いくつかあったでしょう。でもそれができなかった理由は、先程も見せたあなたの反応を見れば想像がつきます。性的虐待を受けてきた人物が、いかにそこから抜けだし立ち直ることは、相当な困難を伴うものであるとここにいる人達も理解してくれたでしょう。春香さんがこの証言台に立つ要請を拒否した理由も、当然だと思います。それでもあなたはもっと早く、公にすべきだった。厳しい事を敢えて言いますが、これだけの死者が出て、大きな被害をもたらした事実は消せません。そう思いませんか」

「思います。私の勇気の無さ、臆病さ、自己保身がこのような結果を招いた原因の一つであることは否定しません。また何を言っても、他人から物を盗み生計を立てて来た犯罪者の戯言たわごとに過ぎないでしょう。それでも敢えて言わせてもらえば、こういう私達を産みだした社会に、全く責任は無いのでしょうか」

 再び社会批判に繋がる発言をし始めた為か、検察側は慌てて遮ろうとした。しかし徹はそれを振りきってこれまでの口調を変え、主張を述べた。

「和美だけでなく、私や春香や街の住民達が犯した罪は償わなければならない。しかしそれは適正な判断による、適正な法律の解釈によって行われることが前提だ。この日本の社会がもっとまともに機能していれば、私達のようなクズが大量に生まれはしなかっただろう。その責任は、誰が取ってくれるというのだ」

「不規則な発言は慎むように」

 裁判長により強く注意を受けたが、徹はそれを拒絶した。

「冗談じゃない。俺は質問に応じただけだ。もっと早く摘発していれば、こんなことにならなかったと思わないか。そう言っただろう。だから責任の一端は俺にある。そう答えたじゃないか。しかしこの腐った社会のせいでもあると気付いてくれ。そう言っているだけだ」

「今回の一連の事件の責任は、あなた達が作った特殊な街にないというのですか」

 業を煮やし、眉間みけんに皺を寄せた弁護人が放った言葉に徹は反論した。

「そんなことは言っていない。もちろん街の環境が、悪影響を与えたことは確かだろう。だがそんな街をつくらせ、七十年以上も存続させたのは何だ。それはいつまで経っても無くならない、貧困の連鎖と差別、社会的弱者への仕打ちにあるんじゃないのか」

 徹は春香が忠雄から受けていた性的虐待に悩んでいると知って、何とかしてやりたいと考えていた。そんな時、父が彼女に買い与えた携帯の中身をチェックしていることに気付いたのだ。

 とはいっても彼は綿密に操作できるほど、スマホに詳しくなかったからだろう。一度徹に尋ねてきたことがあった。その時は彼女が知られたくない情報もあるだろうと、適当に教えるに留めた。

 だがロック解除のパスワードを、こっそり確認しておいたのである。そしてある時一人で詳細に調べてみた所、彼女がSNS上で同じく虐待に悩む人達と交流しているアカウントを突き止めたのだ。

 そこから徹はソヴェと名乗り、同じ被害者としてネット上で近づき、彼女が追った心の傷を何とか癒そうとした。そこで虐待についての書物などを読み漁り、様々な知識を得たのだ。

 そうして徹は、自らも受けた虐待の闇の深さを改めて学び、彼女にアドバイスを送りながら、自分が負ったトラウマの解消にも努めたのである。

 さらに貧困や虐待の連鎖が起こる要因に気づき、どうすれば解消できるかを少しずつ考え始めた。その結果、いずれ街は解体しなければならないと考え始めるようになっていたのだ。

 徹は高度成長期以降、貧困に関する社会的関心が後退した例を挙げた。

「俺や和美が生まれ成人するまでの七十年代後半から九十年代後半だって、児童福祉問題は社会現象にもなっていたじゃないか。八十年には全国に校内暴力が広がり、少年非行第三ピーク到来と呼ばれていただろう。その後非行少年達を集めて更生させる施設などがマスコミでも取り上げられ、そこで死亡事件が起こったりもした。それなのに八十五年には児童福祉法の改正により、児童相談所に対する国の補助率が段階的に削減された。いじめと学校での体罰が、社会的問題になり始めた頃だったにもかかわらずにな」

 この時代から現在に至るまで、働く人々の長時間過密労働などにより、疲弊した親達の元で生まれ育った子供達にもしわ寄せがいった。和美の生い立ちと街の住民になった経緯が、まさしく良い例だ。

「八十年代後半は体罰や不登校、校内暴力や非行が激増した頃だ。皮肉な事に春香が生れた九十九年頃から児童相談所に対する虐待の相談件数が増え、施設も徐々に増加していった。テレビ局が虐待死した児童を扱ったドキュメント番組を放送し、大きな反響を呼んだからだとも言われている。あの時和美が義父から虐待を受け、子供まで産まされたと通報していれば、こんな事件は起こらなかった。あなたは本気でそう思いますか」

 問われた弁護人は言葉を詰まらせた。当然だろう。そんな簡単な話では済まない環境にいた事を、彼らもこれまでの取り調べ等で十分把握していたからだ。

 徹は答えを待たず、演説ともいうべき主張を続けた。

「二〇〇〇年に児童虐待の防止等に関する法律を制定、施行し、国も何とかしようとしていたのは認める。だが現在に至るまで貧困と格差拡大は、全く改善されていない。児童相談所での虐待対応件数も、この三十年で急増している。にも拘らず、施設や人員の確保が全く間に合っていない。だから虐待死する児童が、後を絶たないんじゃないのか。それは何故なんだ」

 周囲を見渡したが、誰も答えてくれるはずなどなかった。それでもことの深刻さは、徐々に伝わっているとの感触を徹は掴んでいた。その為自らその答えを口にした。

「貧困が続いているからじゃないか。先進国であるはずの日本の貧困率は、驚くほど高い。現在でも子供の七人に一人が貧困状態にある。何故それが問題なのか。それは親などの環境状態の悪さが、子供達の発達に問題が生じ学習能力を低下させているからだ。そうした子供が大人になり、子供を産むことで貧困の連鎖、ひいては障害をも引き継いでしまう。児童相談所などに引き取られ、大事に育てられればまだいい。だがそこからもはじかれた者達が、私達のような街へと集まるんだ。国が取って来た不十分な政策のツケが、後の人口減少や様々な社会問題を引き起こしてきたんじゃないか」

 児童相談所に来所する多くの子供達は、幼少期から自らの意思と無関係に人生をズタズタに切断されてきた。そうした様々な発達過程で出現する、多様な障害が起きる現実を認めなければならない。

 障害児問題は一九六〇年代に注目され始めたが、当時重度の障害児は就学免除、中度の障害を持つ子は就学猶予と学校教育から除外されていた。その子供達の多くは子供同士の交流や相談し合う場もなく、家庭の中だけの生活を強いられたのである。

 その後一九七〇年には、障害児者の為の施設が注目を集めた。と同時に施設側だけでなく、地域との関わりが不可欠であると提起された。家族と共に豊かに発達していけるような「場づくり」と「内容作り」の努力が一部ではされている。

 しかし実態はそう簡単なものでは無い。幼児期における言葉や社会性の発達の遅れから、学童期における落ち着きのなさ、飽きっぽさ、知的遅れ、無口などの症状が現れる為だ。

 あの中川がそうだった。そうした子供達が社会からはじかれたからこそ、犯罪を繰り返すようになったという一面は否定できない。

「それでもどんな環境であれ、生きること自体に意味を見い出さなければならない。その為に私の祖父達は街を作ったのだ。しかしその結果が、今回の一連の事件を引き起こしてしまった」

 これが世代間の「弱さ」の連鎖と言える。貧困とはまさに再生産、世代間継承されることが多い。加えて「社会的排除」が続くことも同様だ。貧困家庭は世代から世代へと引き継ぐべきポジティブな物質的精神的財産を持てない、また引き継ぐべき財産を社会的に略奪されるのだ。

 挙句の果てに諸能力の発達の遅れを生み出し、社会的形成不全に陥ってしまう。受け継がれず奪われることが、家族の担い手である親の行方不明や、先天的障害をも産むのだ。

 社会が何もしなければ、崩壊の連鎖が止まることは無い。そこで児童に対する支援として、生活環境の安定を図る必要が出てくる。

「遡れば戦争で二千万人を超えるアジアの諸国民、三百十万人の日本国民の命が奪われ、両親を亡くした戦争孤児を日本だけで十二万三千人も生み出した。その慟哭を経て児童福祉法が制定され、児童相談所が出来たはずだ。もう一度今自分が生きているこの国の、政府の、自治体の、社会の大人達を冷静になって見て見ろ。過去に犯した大きな過ちと同じ道を、これまで辿ってきたとは思わないか。俺は街を解体する覚悟で、今回の告発をした。それは当初の街が持っていた子供達や住民達を守る機能を失い、限界を感じたからだ。しかしその前に言わせてくれ。私や街の住民の特殊性を責める前に、こういう事態を引き起こした背景を、他人事と捉え目を背けないで欲しい。耳が痛いからこそ、話題にしたくない人達もいるだろう。だがどこかで断ち切らなければ、同じ問題を繰り返す。自分達の子や孫が、俺達の街で起こしたようなことをしないとは限らない。だからこそ、立ち向かう勇気を持って欲しい。それができなかった俺達だから、言えるんだ。希望をくれ! 俺達だけでは無理なんだ。少しでも希望を持てる未来を見せてくれ! これは決して他人事じゃない。俺達の街が特殊なケースだと納得してんじゃねぇ!」

 徹の主張はここで強制的に打ち切られた。検察官が異議を主張し、裁判官がそれを認めたからだ。それでもまだ言い残している大事な事があった。

 その為弁護士に頭を下げ、最後の質問を許して貰った。彼女も事前に聞いていた重要な事実について、まだ触れていないと気付いたらしい。そこで徹に尋ねた。

「それでは最後の質問をします。あなたは窃盗や街ぐるみで行った犯罪について多くの事を自供してきましたが、まだ他に述べていないことはありますか」

「あります。父の忠雄が現在寝たきり状態であり、警察の事情聴取もまともに受けられないのは、私が良子と手を組んで毎日少しずつ食事にヒ素を混ぜて食わせてきたからです。和美と別居し、春香と暮らし始めていつか復讐してやろうと思っていました。それを実行に移させたのは、春香が親父の虐待に苦しでいると知ったからです。その為に父を殺す決心をし、同じ恨みを持つ良子と手を組みました。私達はただの盗人ではありません。人殺しです。だからこんな私なんかがまとめている街なんて、無くなった方が良い。腐った大人達は、思う存分処罰していただいて結構です。その代わり子供達や障害を持つような社会的弱者を、どうか助けてくれませんか。彼らに罪はありません」

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