最終話 ホントウニ アリガトウ<下>

 空が落ちたその日から、新たな流れが動き出した。

 東都のオーバーフロントにおける内政腐敗が各都市に知れ渡り、同様の環境下に置かれていた“下界民”達は軒並み反旗を翻し、それぞれのオーバーフロントの執政部は解体され、全ての都市の空も落ちた。

 再び、地上に人が改めて踏みしめる事になった。

 しかし緩やかに移行していった先は、やはり繰り返しとなっていた。

 “天上人”を自称した者達は、当初こそは最低限の権利のみを確保された状態で放逐されたが、徐々に隅に追いやられ、今度は“差別される対象”に堕ちて行った。

 そして“下民”などと卑下されていた者達の中で力を得た者達は、その元“天上人”達を恰好の標的とし、民を操作していった。

 誰もが生活やスタイル、主義思想が変わっても、変わらない普遍的な本質。

 かつての昔にもあった事が再び繰り返された事に気付く事なく、誰もが再び鬱屈した雰囲気に気付かずに呑まれて行った。




 空から圧迫する存在がいち早くなくなった東都のヘカテイアに、アイラはいた。

 願いを叶え、人間としての新たな生を授かり、初めて人生を歩み出していた。

 しかし、心底から謳歌しきれないでいた。

 成り行きとは言え、思いもしない方法で、ガイの願いを叶えてしまった。

 そして、時間をかけて“後悔”の感情を覚えていた。

 ガイには、やはり生きて、隣にいて、共に過ごしていたかった。

 出会った当初は機械らしく即答していたものの、一年もなかったガイと過ごした年月がアイラの構築されたシステムに変異を及ぼした。

 しかしガイは今際の際に、優しく笑って、逝ってしまった。

 いや、やっと逝けたんだ。

 アイラは、ガイがいなくなって初めてガイの感情の理解も出来ていた。

 そして今日もサリーの手伝いをして日々を過ごす。


 全てが終わった後、アイラはガイの遺言通りに、サリーに頼っていた。

 改めて人間になったはいいが、今後どうしたら良いのかわからない。

 そう伝えた時のサリーの顔は心底喜んではいなさそうな複雑な表情ではあったが、アイラの環境を整えた。

 衣食住、それを得る為の糧となる仕事。

 人間なら目標は必要だと思うが、すぐには見つかるものではない、仕事しながら考えたらいいとサリーは快くアイラを受け容れた。

 そして働き出して二カ月が経った頃に、アイラはサリーにこのような質問を投げかけた事があった。


 私が人間になったのは、良くなかった事?


 この質問には、サリーはやはり聞かれたかと察した顔になったのをアイラは見逃さなかった。

 そしてサリーはあっさりと答えた。


 人間って思う以上に苦労するものなのよ


 そう言われアイラは、どことなく腑に落ちた。

 機械だった頃であれば絶対に理解出来なかったが、今なら全てを聞かなくてもわかる。

 それでいて、言葉では簡単には言い表せない。

 ガイも当初は、アイラの願いを“けったくそな願い”と言い、凛堂レイもこの感情には徹底的に嫌悪していた。

 それでも何故か、否、前世の自分がそう強く思っていたのか。

 繊細かつ冷感なマイクロチップでは永遠に巡り合う事の出来ない空気だろう。

 それに、過去にも、ガイやジンが言うには、アイラと同じような存在がいくつかいたと言う。

 皆、自分と同じような感覚になっていたのだろうか。

 今となっては、もう何もわからない。

 知る事も出来ない。

 だが、アリガトウと、どうしてもちゃんと向き合って言いたかった。

 それだけがアイラにとっての心残りであり、一生引き摺り続ける、自分自身で無理矢理背負った十字架なのだろう。

 アイラは毎朝毎晩、起床時と就寝時には、残されたガイの写真と、自分自身の記憶から辿って描いたアリアの肖像画に向けてアリガトウと必ず言っていた。

 これぐらいしか出来ない。

 でも、今では本当に充分なんだろう。

 アイラは今を生きている事に感謝していた。

 しかし、今を向き合うと、どうしても放って置けない問題がこの後にあった。




 激しく降りしきる雨が止み、隙間から太陽光が照り出されたヘカテイアの前に、二人の子供がいた。

 少年と少女。

 少年は十歳は超えているであろうか。隣にいる少女よりは明らかに背が高い。

 そして少女の目は当て布が巻かれている。

 更に、この界隈では似つかわしくない風貌、全身の装いが泥と煤、そして乾いた血に塗れている。

 その二人に気付いたのか、店の中から黒い装いの女性が姿を出す。

 二人は息を吞んだ。

 こんな穢れを纏っていない、キレイな女性がこの世に存在するのだろうか、と。

 黒に混じって濃淡に混じった紫、透明感のある白い肌に、顔にあてがわれた刺青のような、真紅の紋様。


「・・・あの人に、よく似てる」


「似てる?

 ・・・その人ってもしかして、私と違って真っ白な人だった?」


 アイラは二人の前にしゃがみ込み、二人に目線を合わせる。


「そう、名前聞けなかったけど、あのお姉さんが言ってた人がアンタだよ」


 アイラを目にしてどこか恥ずかし気にモジモジする少年。

 女の子は見えているかのように、見えないであろう目線をアイラにジッと向けている。


「ああ、アリアね・・・。

 彼女は今どこか遠くの国へ行ってるわ。

 もう戻って、・・・来ないかもしれないけど」


 言いにくそうに声を振り絞り、アイラは改めて優しい笑顔を作って二人の肩に手を置く。


「彼女はね、私の・・・妹なの。

 そして私はアイラ。

 ここに来たって事は、アリアからここに行くように言われたの?」


「場所は聞いてなかったけど、街にいるとだけ聞いてたから、さ。

 どう助けて欲しいのか、俺達もどう言っていいか、何にもわかんないけど」


「わかったわ、とりあえず恰好はキレイにしなくちゃね。

 私が服を出してあげるから、中に入って」


 裏路地の雫が垂れる音が街中に小さく響き渡る中、再び喧噪がゆっくりと溢れ出す。

 その喧噪の一角の中で、アイラは二人を招き入れた。

 

「アナタ達の、お名前は?」




 ヘカテイアの中の、アイラの荷物が置かれた置き場に、影縫が立てかけられている。

 永く付き従い、死線を共に潜り抜けた最初の主の手元を離れ、新たな主の手に渡ったそれの鍔から、緑色に光り優しく周りを照らしていた。

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