第28話 ミシェルとダンジョン


「で、ミシェルはこっちで何やってたんだよ?」

「それがこの町――ダスザインの岩山の中のダンジョンを探索する依頼なんだけど、うちの見立てだと最低レベルのダンジョンだったのよね」

「最低レベル? なんでまたそんなものを」

「癒やしが欲しかったんだとか」


 アネッサは肩をすくめて言った。


「ミシェルくらいにもなれば、上級依頼で稼ぎ放題だろ」

「それが、上級ばっかりやってると息が詰まるから、最低レベルの任務をやって初心を思い出してほんわかしたかったんだって」

「なんか、冒険者の人って特殊な感性を持ってるんですね……」


 イーファが少し呆れ混じりに呟いた。確かに冒険者の中には変わり者が多いのかもしれない。


「まあ、奇妙なのは依頼主が書いてなかったことなんだけど」

「初級の依頼だったら良くあることだろ」


 ギルドに集まってくる依頼のうち、上級依頼が冒険者と相場、条件を理解している依頼者によるものが多いのに対して、初級の依頼は有象無象の人間が依頼してきている事が多い。ゆえにトラブルも多く、冒険者を始めたての人間は苦労しながら、ランクの階段を上がっていくという。


「まあ、そうだけど報酬が貰えないかもしれないじゃない」

「報酬が目的じゃないんだろ、ミシェルは」

「うーん……」


 アネッサはなんだか腑に落ちないというような顔だった。確かに素人冒険者は色々と苦労をするのに対して、玄人冒険者は業界のためにタダでは仕事をしないのが普通だ。ミシェルがそこのところを弁えずにこの依頼に行ってしまったのは奇妙なことだった。

 俺は咳払いをして先を続けた。


「岩山のダンジョンって言ってたか? 具体的にはどこなんだ」

「それがね、えーっと」


 そう言いながら、アネッサは胸の谷間から手元に地図を取り出す。


「お前、出先くらいポシェットでも持って出かけろよ」

「こっちのほうが手軽だからいーの」


 アネッサがそう言いながら地図を開く横で、イーファとルアはまた顔を合わせていた。あれがオトナの女の人ですか。凄いです、わたし達も今度やってみましょう。馬鹿なことを。その幼児体型の何処に挟むというのだ。ルアならまだしも、イーファならすとんと地面行きだ。

 そんなアホなことを考えていると、こほんと今度はアネッサが咳払いをした。目を細めてこちらを見ている。無意識に二人の胸を見ていただろうかと思ってしまう。


「やっぱりそういう趣味?」

「……で、どこなんだよ結局」

「はいはい、この地図のここよ」

「ダスザインの外れなんだな、とりあえず行ってみるか」


 ぼそっと言った言葉にルアが反応する。


「ダンジョンなんて、素人が行って良いものなんです?」

「まあ、注意していれば問題はないと思うわ」

「ギルド受付嬢のお墨付きだな」


 ルアを除けば、そもそも素人は少ないのだ。現役ギルド受付嬢と元翻訳者と宮廷魔術師、専門家集団といっても過言ではない。

 そんな俺の心の声を代弁するようにイーファが無い胸を張った。彼女にしては珍しい自信の発露だった。


「これだけ魔導書が得られたので大丈夫なのですっ」

「投擲でもするのか?」

「魔術書は投げるものではなーい!!」


 いきなりルアが叫びだした。それに呼応するようにイーファも身を乗り出して、講義するように人差し指を振った。


「魔術書はですね、読むタイプと術式回路を内蔵して魔術を強化するタイプの二種類があるんです。あの古書店には、後者の特にシュルディー分布の開ルーデルドルフ曲線近傍間における任意の魔導圧力係数を再現できるこの本! 薄いながら素晴らしいです!」

「は、はあ……」


 専門的なことは分からないが、とにかくイーファは魔導書で興奮しているということだけはわかった。

 アネッサは頬に手を当てながら、興味深そうに彼女に視線を向ける。


「相当、魔法学に詳しいのね……」

「え、いやあ、それほどでも……」


 イーファは照れて赤くなってしまう。


「シュルディーの開ルーデルドルフ曲線の近似で任意の魔導圧力係数を再現できる魔術書、うちにあった気がするわ」

「えっ、近似でですか!?」

「そうそう、珍しいわよね。近似でやると閉塞が亢進して、圧力がユメルに――」

「お前、そのなんとかかんとかがどうとかこうとかって分かって話しているのか?」

「そうだけど」


 アネッサは不思議そうに答えていた。さも誰もが分かって当然とでも言いたげだ。俺はルアと顔を見合わせた。人は見た目によらないものだ。

 俺とルアはしばらくアネッサとイーファの高度な魔法学の雑談を聞かされた。二人が満足したところで、俺はダンジョンへ行こうぜと切り出し、やっとのことでダンジョンに向かうことになった。これだけで大分疲れが溜まった気がする。

 ダンジョンへ向かっている間も二人は楽しそうに魔法学の話をしていたのだった。



「ミシェルさーん!」


 ルアが呼びかけた声は反響し、奥へと響いてゆく。一行はミシェルが失踪したというダンジョンを歩いていた。中は坑道のようになっており、薄暗くて足元も見えづらい。そこらへんに放置されたのであろう剣が錆まみれで、刃こぼれしたまま放置されている。


「歩きづらいんだが」

「だ、だってぇ、怖いんですもの……」


 そう言いながら俺の腕にしがみついているのはイーファだ。あれほど威勢があったというのにダンジョンに入ってからはずっとこんな調子だった。アネッサはそんな俺とイーファを「あらあら」という感じで微笑ましげに見ていた。


 幾ら進んでも光景はさほど変わらなかった。ミシェルの気配もせず、自然に一行の口数は少なくなっていった。退屈しのぎに石を蹴りながら、進んでいくと、ぴと――という水音が背後から聞こえた。

 それと同時にイーファは俺の腕を離して、いきなり立ち止まった。それにつられて、俺も背後を伺う。


「へ……?」


 イーファは恐る恐る音の聞こえたほう――足元を確認した。そこには人の頭二つ分のスライムが居た。踵で踏みつけているのに気づいた彼女の顔はみるみるうちに青くなっていった。

 ルアは心配そうな顔で彼女を見つめていた。


「レヴィナさん、大丈夫で――」

「ひぃやああああああああああああああああっ!!」


 それまで抑えていたものを解放するかのような絶叫とともにイーファは急に走り出した。アネッサがその体を掴もうとするが、すんでのところで手を逃れ、彼女の警告は叫び声でかき消されてしまった。


「おい、待て‼」


 反射的に俺も駆け出していた。アネッサとルアも俺を追う。背後から二人の荒い息遣いが混じった会話が聞こえてきた。


「あのスライム、倒さなくても良かったんですか?」

「弱すぎて脅威にならないのよ、あのレベルだと。ま、足に引っ掛けて転んだりするとムカツクんだけどね」

「そんなことより、素人が急にダンジョンの奥に向かうのは危険だ。止めに行くぞ!」

「はい……!」


 ダンジョンを駆けていくと、両手を伸ばして倒れているイーファを発見することが出来た。どうやら気絶してしまっているようだった。

 アネッサはすぐさま近寄って、彼女を起こしてダンジョンの側壁に座らせてやった。そうすると、ややあって閉じていた瞼がヒクついてからゆっくりと開いた。


「き、キリルさん」

「いきなり走り出すからだぞ」

「いや、それが……!」


 最初は弁解か何かを言おうとしているのだと思っていた。しかし、その瞬間聞こえたイーファの言葉を遮るような咆哮は、俺の平和ボケした想像を見事にぶち壊したのだった。

 四人は無言でその尋常ならざる叫びの方へと視線を向けた。そこに居たのは巨大なトカゲ――グレートリザードだった。手の爪は人間の腕ほどの太さであり、あれに貫かれれば死は避けられないだろう。睨めつけるようにこちらを見る視線は俺たちを震え上がらせた。


「こんなの初級ダンジョンに居るわけが……」

「ちっ!」


 一瞬の隙が判断を遅らせた。気づいたときには鋭い爪は目の前にあった。逃げ切れない――そう本能的に理解できる距離だ。

 しかし、次の瞬間、目の前で爪は四散し、グレートリザードはバランスを崩しながら仰向けに倒れていったのであった。


「一体誰が……」


 アネッサが疑問に駆られて、そういった途端トカゲの影から足音が聞こえた。そこに現れたのは見覚えのある人影だった。


「ミシェル……ミシェルじゃないか!」




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