第23話 前線へ


 ついでのことだから、道の端でしばらく休憩をとっていた。ルアもイーファもくたびれてしまって、すぐには動けない様子だったからだ。俺は腰につけていた革袋の水筒を開けて、一口飲んだ。ルアが物欲しそうな顔でこちらを見ている。


「やらんぞ」

「一口だけでも……」

「出てくる前に準備しなかったお前が悪い」

「あー! もしかしてキリルさん、間接キスになるのが恥ずかしいんですかぁ?」


 飲み込んだはずの水を吹いた。

 ルアは得意げな顔で先を続ける。


「良いじゃないですか、間接キスくらい! 一緒に寝た仲でしょぉ?」

「い、一緒に寝た!? キリルさんとルアさんって、既にそういう関係だったんだ……」


 イーファは頬に手を当て、顔を赤くしながら言った。完全に勘違いしている。


「紛らわしいことをいうんじゃねえよ」

「なーにが、紛らわしいんですかぁ?」

「ふん」

「――ごふっ」


 投げつけた水の革袋がルアの腹にクリーンヒットした。彼女はお腹を抱えながら、数秒間ぷるぷると震えていた。


 再び出発しようと思い、ふと立ち上がったところで先のと同じような地響きが聞こえてきた。音のする方に目を向けると、騎士たちがまた馬に乗って疾走していた。しかし、先程よりも規模が小さい。どうやら出遅れ組のようだった。

 それを視界に入れたルアは何か思いついたのか、ぽんと手を叩いた。


「そうだ、良いことを思いつきました」

「おい!」


 言ったそばから道に飛び出すルアの背中に叫ぶ。道に出た彼女は仁王立ちで両手を大きく振った。疾風のような速さで迫る馬の迫力に彼女は全く怖じけなかった。誰かが「そこを退け!」と言った。騎士だろうか。被っているヘルムのせいで口元が見えず、誰が言ったのかは分からなかった。


「止まってくださーい♪」


 ルアは朗らかな顔で、甘い声を出した。騎士たちの先頭の馬が横につけて止まる。後続もそれに従って徐々に速度を落として、止まった。

 先頭の騎士がヘルムを開けて、ルアをキッと睨みつけた。


「クソッ! こっちは急いでるんだぞ、冒険者崩れに構ってる暇はない!」

「本隊はもう行っちゃったから急いでるんでしょう?」

「そ、それはそうだが」

「私達もこの先にいくんですよ。何が起こってるのか知りたいんです」

「エクリとブレイズの国境くにざかいで戦争が勃発しそうなんだ。分かったら、そこを退け!」


 騎士は焦りで余裕のない様子だった。俺とイーファはお互いの顔を見合わせた。

 エクリとブレイズが戦争寸前? そんな話は聞いたことがない――二人の顔は何も言わなくても、それを表していた。


「もし良かったら、連れて行ってくれませんか?」

「おい、ルア……!」


 俺は土手のようになっている道の上に登り、ルアを困惑する騎士の前から引き離して二人で背を向ける。イーファも慌てて、俺の後を付いてきた。


「わざわざ荒事に関わる必要はない」

「そうですよ、せんそうですよ。怖いじゃないですか」


 イーファの「戦争」の言い方は口足らずの子供のようなものだった。それで、この二人が本当の「戦争」を知らないことが分かる。一人は小競り合いの喧嘩だと思っている、もう一人は暴走する自然のようなものだと思っている。どっちもこの世界における「戦争」の本当の姿からはかけ離れている。

 二人に責められたルアはそれでも引こうとはしなかった。


「翻訳魔法に関わりのあることかもしれませんよ」

「そんな上手くことが運ぶわけがないだろ」

「でも、まだ戦争は起こってないんですよ。見に行くだけ見て、危なそうだったら離れる。それで良いじゃないですか」

「しかし、なあ――」


 背後で馬のゆっくりとした足音と甲冑の擦れるような音がした。振り返ると騎士が迫ってきていた。その表情は先程までの焦りではなく、治安を守る誇り高き尖兵のそれだった。


「そこを退け、お前らを戦場にまで連れて行きたくはない」

「野営地にはブレイズ語が分かる人が居るんですか?」

「は?」


 ルアのいきなりの質問の意味を騎士はすぐに取ることが出来なかった。


「ブレイズ語が分からなかったら尋問も交渉も出来ない。何のために戦争しているのか分からなくなるじゃないですか。殺すために戦ってるんですか、あなたたちは?」

「うっ……じゃあ、そっちはブレイズ語が分かる人間が居るというのか?」

「二人ほどは居ますけどぉ。元翻訳者と」

「翻訳者だと?」


 驚くのも無理はない。このご時世に翻訳者という職業の者は本当に少ないからだ。粗悪な通訳者だけが増える理由は、コミュニケーション能力さえあればどうにでも誤訳をごまかせるからだ。翻訳者はそういったごまかしが効かない。翻訳の間違いは記録になって残り、無能の烙印を押すことは容易だ。

 だからこそ、翻訳魔法が生まれたときに真っ先に切り捨てられたのは翻訳者だった。翻訳魔法が無くなった今、翻訳者を自称する者はきっと自己の能力に自信のある誇り高い専門家に違いない。

 だが、そんな人間に俺は一回も会ったことが無かった。


「騎士様が戦場まで連れて行きたくないというのであればー」


 ルアはそーっとこちらに目を向ける。俺とイーファを交渉材料に使うつもりのようだ。先頭の騎士の後ろから部下の兵らしき甲冑男が彼の横に出てきて馬を止めた。


「翻訳者ならブレイズ人との交渉に使えるやも知れません」

「しかし、民草を戦場に連れて行くなんて聞いたこともない」

「一度戦争が起これば、交渉など出来なくなりますぞ。ご決断を」

「ううむ……」


 騎士は唸った。


「分かった。野営地まで案内する。あとは騎士隊長に会ってどうするか決めろ。いいな?」

「はあい!」


 ルアの明るい返事に騎士は大きなため息をついた。

 後は完全に流れに飲み込まれてしまった。俺達三人は騎士たちの後ろに載せてもらい、騎士たちは野営地を目指して馬を爆走させた。目にも留まらぬ速さで景色が移り変わるのを見るのは新鮮なものだった。



 目的地の野営地に到着すると、ルアはフラフラしながら奇妙な鳴き声を上げていた。どうやら馬で酔ったらしい。直立することも出来ないらしく、そのまま何処かに行きそうな勢いだった。


「うぇ……っ」

「馬車で酔わないで、馬では酔うのか。珍しいな」

「速すぎんですよ、馬が……ぅえっ……」


 イーファが肩を支えながら、やっとのことで歩いていたが顔色がとても悪い。彼女はもう片方の手で、馬から降りた騎士の一人を捕まえた。


「あの、彼女を休ませることが出来る場所って……」

「野営地だから、泉か何かがあったはずだ。ほら、そっちの方に」


 騎士の指すほうには清い水が溜まっている池があった。行ってみると透明度が高くてそこまで透き通って見えた。

 ゲール川でもここまで綺麗な水場ではなかったので、俺はしばらく魅入られるように見つめてしまっていた。


「あの泉の水は戦傷を癒やすと言われている。その娘もしばらくここで休んでいくと良い」

「ありがとう……ございます……ぅぇ……」


 ルアは泉の脇の木の幹に腰掛ける。これは俺達に聞かずに勝手にことを進めた報いかもしれない。そうは思ったが、さすがに可哀想なので言うのは止めておいた。

 騎士たちの案内で、俺とイーファは騎士隊長の居るという営舎に連れられた。騎士隊長は甲冑を着ていない俺達を見て、怪訝そうな顔をした。


「何なんだ、こいつらは?」

「はっ、どうやら翻訳者の連中らしいのですが」

「ほう」


 騎士隊長は俺の顔を興味深そうに見上げた。


「なんか流れで、来ちまったが戦争が起こりそうなんだってな」

「そうだ、これも全部翻訳魔法が消えたせいで……」


 俺とイーファはまた顔を見合わせた。ルアの読みは当たっていたのだ。


「詳しく話を聞かせてくれ」


 騎士隊長は腕を組んで、重々しく頷いた。

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