第17話 目的を取り戻すために


――第三閲覧室


 古びたドアの先はアンティークな調度品で満ちていた。その部屋の壁は埋込み型の本棚になっており、ここにも本が隙間なく入っていた。

 その広い空間の奥にソファチェアがあり、一人の男が収まっていた。オレンジ色の髪は端正に切りそろえられていて、顔立ちはどことなく誰かに似ているような気がする。服装は貴族の正装で、落ち着いたワインレッドの上着が上品さを醸し出している。

 その男を目の前にしたルアは完全に立ち尽くした状態で、しばらく何も言えないままに口を開けたり閉じたりと繰り返していた。


「ルア、ここに居たのか」

「お前がこの騒ぎの首謀者か」


 男は俺の声に見向きもせず、ただルアのことを見つめていた。見られているルアはややあってはっと我に返る。


「なんでここにルイ兄様が……?」

「家出した君を見つけるためだよ」

「でも、兄様は家で秘宝の守り人として……」

「その秘宝ってのはこれかい?」


 ルイと呼ばれた男は手元にあるガラス玉のような物を持ち上げる。窓から差し込む光がその透明度を示すようにガラス玉を貫通していた。

 ルアはそれを見て、身を震わせた。


「何故それを外に持ち出したんですか……!」

「僕は可愛い妹が心配で心配でたまらなくて、それで追いかけてきたのさ」

「それが他人に渡れば、どうなるか知っているでしょう。兄様」

「ああ、知ってるさ。だから、この力は僕が僕の望みを達成するために使う」


 ルアは顔に絶望を湛えて、後ずさる。


「今……なんて……?」

「単純なことさ、翻訳魔法を復活させるために外に居る冒険者連中を生贄に捧げる」

「何だと……!」


 思わず声が出てしまった。そこでやっとルイの視線がこちらに向いた。

 初めて俺とイーファの存在に気づいたような、そんな感じだった。


「君たちがルアと今まで居たのか。まあ、もう用済みだがな」


 そういって、ルイが手をこちらに向けた瞬間、同時にルアが彼に向かって飛び出した。剣戟の音。ルアの片手にはいつの間に持っていたのか、銀色に光るダガーが握られていた。

 その切っ先が彼の喉元に突き刺さろうという刹那、彼の姿は消えた。ソファチェアに突っ込んだルアは体を打って、床を転がり、痛々しげに立ち上がりながら声を張った。


「人の命と引き換えに翻訳魔法を復活させるなんて、そんなこと許されるはずがない……!」

「僕はただ君を愛していたから……」

「そんなの詭弁です! 私から守り人の立場まで奪っておいて、私が達成すべき目的まで奪うんですか……!!」

「そんな、僕は奪ったわけじゃ……」

「私は人形じゃない!」


 ルイの目の色はその瞬間全く違うものになっていた。何かを覚悟したような、そんな気迫がルアの次の判断を遅らせた。

 

「僕の人形にならないのなら、殺すしかないな」


 耳を塞ぎたくなるような不快な重低音が鳴り響いた。ルイの周囲にシールドが張られており、それが攻撃を受け止めた音だった。

 彼ら二人の間に手を向けているのは、イーファだ。額から大量の汗が流れていた。


「一時撤退です。長くは持たないので早く……!」

「イーファさん、邪魔しないでください。これは私達家族の問題です」


 二人がシリアスな表情で向き合っている間にも、ルイを囲むシールドはメキメキと耐久を減らしていく音を上げていた。


「言い合ってる場合かよ! 早く離れ――」


 俺が叫んだ瞬間、陶器の割れるような音とともにシールドが消滅した。ルイの目尻には狂気の笑みが含まれていた。


「残念だが、可愛い妹が僕のものにならない以上、君は僕に不要の存在だ――消えろ」

「クソッ!」


 速度の話をすれば、ルイの方が早く動けた。だからこそ細かいことを一つも考えずに咄嗟の判断で動いた。勝つか負けるかを度外視したアイデア勝負。

 本棚から本を一冊抜き取ってルイに投げつける。空中を浮遊した本をルイは反応せざるを得なかった。瞬時の反応で飛来物を回避する魔法――それは簡易的で低レベルの魔法以外にはありえない。風属性系のウィンドカッター、火属性系のファイアボール……いずれにせよ、本すべてを消滅するには至らない魔法だ。そこに勝機があるはず。


 全部、翻訳者として昔聞きかじっただけの魔法知識だった。しかし、ルイは愚直とも言っていいほどに俺の予想に沿った動きをした。

 ウィンドカッターで本が切り刻まれる。舞い上がった紙切れで、ルイの視界は一時的に塞がれる。

 そして、俺の意図を理解した背後のイーファは瞬時に魔法を撃った。こちらも空気の矢を撃ち出す低レベルの魔法――エアスピアー。しかし、さすがは宮廷魔導師。無詠唱で高威力のものを瞬時に撃ち出していた。


「なっ――」


 ガラスの割れるような音とともに、ルイの手元にあった秘宝は割れる。それに気を取られたルイはもう素人でもどうにかできるような大きな隙を作っていた。

 その隙に飛び込むように俺はタックルをかます。ルイは避けることもままならずに床に叩きつけられる。


「ぐわっ!? き、貴様……っ!!」

「観念しな、秘宝は無くなった。もう終わりだ」

「くっ……!!」


 一度は反抗しようとして、上体を起こそうとするも貴族で魔術師の貧弱な身体では俺の押さえつけに抵抗できないようだった。魔法を撃とうにも俺が手首を押さえている以上、マトモな魔法は撃ちようがない。

 そのまま観念したように彼は脱力した。


「兄様……」


 茫然自失と言った様子でルアは呟く。

 床の上に割れた秘宝の残骸が散乱していた。アーティファクトは繊細な魔道具だ。もはや使い物にはならないだろう。

 そんな無残な姿になったそれをイーファは名残惜しそうに見つめていた。



 ルイは俺達の手によって騎士隊に引き渡された。

 大量生贄魔法はイーファによれば禁呪の一つらしく、宮廷評議会の門前に出されて彼は裁判を受け、罪を償うことになる。

 捕縛されたルイはうなだれながら、別れの言葉を騎士に促されてルアはそれを静かに聞いていた。


「僕は本当の家族が欲しかっただけだ。ルア、君の旅の目的さえ無くなれば、僕のもとに戻ってきてくれると思って……」

「バカですね」


 ルイはその言葉に顔を上げる。


「そんなことしなくても、私は兄様のことが好きでしたよ」

「ルア……」

「秘宝の守り人は私達の間を引き裂いていたんです。それももう無くなった。でも、私には残された役目があるんです」

「残された……役目……?」


 ルアは頷きを返す。そして、ルイを指差して仁王立ちで宣言した。


「この旅で翻訳魔法を復活させます。それで過去の兄様を越えてみせる。兄様が罪を償って、再会したときには私は兄様の真の家族にふさわしい人間になっているはずです」

「真の……家族……?」


 両腕を騎士に掴まれたルイは、そう呟きながら涙を流していた。

 彼は嗚咽に溺れながら、必死に言葉を紡ごうとしていく。


「今から……でも……本当の家族になれるのか……?」

「ええ、罪を償い、私が目的を達成したときには必ず」

「約束してくれ」

「誓いましょう」


 そういって、ルアはルイに背を向けて何処かへ歩き始めた。

 一連の儀式を静かに見ていた俺はルイの希望とも恐怖とも絶望とも取れぬ微妙な顔を一瞥してから、イーファの肩を叩いてルアの後に続いた。

 日が落ちて、大図書館の町はもう暗がりに落ち込んでいた。哀愁漂うルイが騎士たちに連れて行かれるのを、俺達は背後から聞こえる甲冑の擦れる音を聞きながら背中で見送るのであった。

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