第99話 迷う進路

 ナツヒも多くの対戦を見ていたようだ。

「あれで勝てるわけないだろう。腰は引けてるわ、打ち込まれる瞬間に目をつぶるわ。腕力以前の問題だ」

 夕方、またナツヒのところに集っている。サダヨシが、暦が分かったと連絡に来たからだ。なんとそこは、ふたりの世から15年も過去であった。


「でも最初に当たった対戦者、体格の大きい者だったわ。気が引けても仕方ないでしょう?」

戦場いくさばでそんなこと言ってられるか?」

 サダヨシは何も言葉を返せずにいる。


「向いてないんだよ、戦うことに」

「気持ちが優しいということじゃない?」

「臆病なんだよ!」

 ナツヒはまだ苛立っている。


「僕が兄たちのように、勇猛果敢な兵士になるのは無理なんでしょうか……。確かに兄たちは体格も優れていて、でも僕はこんな……」

「これからどうなるか分からないよ。ナツヒだって12の時は私と背丈変わらなかったし」

「でも兄たちは12でも既に大きかったんです! 近所でも評判の剛腕大将でした」

「そうだな、お前は無理だろうな。12にもなれば強い男になるかどうかなんて、体格に関わらず大体分かる。要は精神力次第だ」


 ユウナギにはナツヒがやたら辛辣だと感じられた。なのでその分彼女が、落ち込むサダヨシを優しく諭す。


「無理なんじゃないかって先が見えても、今なお兵士に憧れてそれを目指したい気持ちが消えないなら、結果無理でも諦める必要ないよ。納得できるまで努力を続ければいいんじゃないかしら。それを時の無駄だと思う?」

「今は、そんなふうには。でもそのうち、そう思うようになるのかなって。それが怖くて……」

「そう思うようになる頃が、折り合いのつく頃じゃないの? 今、誰に咎められることなくそれに邁進できるなら、恵まれてるってことよ。時の許す限り、好きなだけやってみるのがいいと思うな」

「は、はい!」

「でもあなた、学問にも興味があるんでしょ? それも本格的に打ちこんでみたら?」

 そう聞いた彼はためらいの表情になった。


「ああ、あの人に習うのはもう無理なのね。まぁ独学でも!」

「なんとかやってみます……」



 彼が退室した後、ユウナギはナツヒをいさめた。

「ナツヒ、いくらなんでも厳しすぎる。まだ12の未来ある子に、あんな言い方しなくても」

「12ならそろそろその折り合いってやつを付ける頃だ。あいつがそれをせず時を浪費できるのは、ひとえに役人の息子であったり、もういっぱしに働いてる兄たちがいるって状況のおかげだろ。まったく恵まれてるよな」

「まだこれから伸びるかもしれないじゃない。あなたがここにいる間だけでも、打ち合い、みてあげたら?」

 ナツヒは一度も目を合わさず、黙ってしまった。


「まだ昨日のこと根に持ってるの? 犬にでも噛まれたと思えば……」

「犬にも噛まれたことない」

「ここにいる間、世話になるんだし。少しは優しくしてあげて」

「無理」


 ここからふたりは少々口論になり。

 余計に苛立ったナツヒは腰を上げ、ユウナギの前に片膝を立て、

「!? 何?」

冷淡に彼女を押し倒したのだった。

 そして自身はそのユウナギに乗っかり、顔をのっそり近付ける。彼女は驚きで、身体が金縛りにでもあったかのように錯覚した。


「犬に噛まれたと思えば良くねえ?」

「……??」

 ユウナギには、これだけは分かる。実際何をされるわけでもない、彼はただ自分を脅そうとしているのだ。


 でも、まただ。自分の知らない、以前なら見たことない、怖いナツヒがいる。


 彼はまた更に顔を近付けてきた。なのでともかく顔を横に向け、目も逸らす。

「……だめよ、こういうのも禁忌かもしれない。帰れなくなったら……」

 彼はいったん頭を戻した。

「禁忌じゃなければいいのか?」

「……???」


 もう何を言ってるのだか、ユウナギにはさっぱり分からない。話がズレている気がするが、とにかく今の彼は悪意の塊だ。彼女はそう感じたので怒りに身を任せ、

「わぶっ!!」

ナツヒの横腹に思いきり蹴りを入れた。そして早急に起き上がり、叫んだ。


「夫でも妻でもないのにいいわけないでしょ!!」


 悔しくて涙が出そうだ。こんな意地の悪い彼は初めて見る。


 彼女は彼を我が子のように愛しく思っているのだと、実は底知れぬ愛情を感じていたのに、裏切られたような気分になった。


「もうナツヒなんか金輪際、私の息子じゃないよ!!」


 走って逃げ出す彼女を、痛む横腹押さえたナツヒは追いかけることもできない。彼は油断し過ぎだ、ユウナギの蹴りを対処できないなんて。突然だったからといえばそうだが、女性にそんなふうに食ってかかったら、蹴り上げられるのも当然のこと。ユウナギを甘く見過ぎである。


「いや……息子じゃねえけど……」

 ともあれ、冷静になった彼はしばらく自己嫌悪の波に流されていた。




 そのように喧嘩をしたふたりだが、近所の人々の農作業を手伝ったりして日々を過ごし、通常どおり接するようになった。互いに、多少のわだかまりを胸に抱えつつ。ある日、作業中のユウナギが気付いた。


「思うんだけど、外で仕事してるの男性ばかり……。女性はどこに?」


 邑人むらびとの談では、女性は衣服や雑貨を製作するなど、もっぱら家の中での作業をしているようだ。そう言われれば普通だが、やはり他のむらと比べると、女性があまりいなくて景色に違和感がある。


 続けてユウナギは、サダヨシと作業をしながら雑談にも興じていた。

「実はある事情があって、この邑の女性は、できるだけ外に出ないようにしています」

 ユウナギの怪訝な顔を見たサダヨシはそう呟いた。


「事情?」

「すぐ近くの山から降りてきた、鬼にさらわれるので」

「鬼? そんなのがいるの?」

 ユウナギは豪快な風貌の物の怪を想像して不安になる。隣でナツヒは「俺がいるのに」と言いたげな顔をしている。


「実は僕も母に、なるべく出歩くなと言われてて……。いつもは作業も室内のものを手伝っています」

「あ――……おなごに見えるから?」

「心外ですけどね。僕は末っ子なので、母は僕を心配しすぎるきらいがあって」

「仕方ないわね。本当に可愛いもんあなた」

 うっとり見つめられたサダヨシは、更にげんなりといった様子。


「初めて会った時から思ってたんだけど、あなた私が旅先で世話になった女性に、とても似ているの」

 この「あなた、私の知人に顔が似ている」は、時代を問わず返事に困る発言の最たるものだが、彼はそつなく答える。

「この世にはまったく同じ顔をした他人が3人いる、という話ですからね」

「へぇそうなの」

「でもやっぱり女性なのですか」

「その子もね、とてもふんわりした、優しい表情のおねえさんだった。ねぇ、ナツヒも分かるでしょ?」

 唐突に振られたナツヒもじっと彼の顔を見て、小さく頷いた。

 だが話を振ったユウナギは直後、ふっとある顔を思い出し静止した。その「優しい表情のおねえさん」の傍らには、目つきの鋭い少年が。そしてその彼は――。


「ツバメさん?」

「……あ。そう、優しい外見は長所よね。それだけで人に好まれるわ。もちろん内面から滲み出るのもあるけれど」

「とりあえずあなた方が共にいる間は、外仕事に関して母に許可を得られたので嬉しいです。僕も及ばずながら、あなたを鬼から守りますよ!」

 隣でナツヒは「30年早い」と言いたそう。


「頼りにしてる」

 彼が軽く開放気分に浮かれているのでユウナギも嬉しい。会話を楽しく交わしていた日の午後、ユウナギが今度はふと、近くの農地の一角について邑人むらびとに聞いた。

「あそこだけ、何も植えられてないけど……」

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