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  ようやく手から離れた緑色の石から、リリーは大きく一歩後退る。恐る恐る地に落ちた石を覗き込むと、力を失った様に不透明となりひび割れた。


  「それはネル。そして私の答えは間違っていなかった」


  「一体、なんなの?」


  石を持っていた手を見てみても、何も変化を感じない。エンヴィーに剣を突き付けたナーラが二人の間に割り込むと、隈無く全身を確認した。


  「姫様に、何をした」


  「答え合わせです。異物の力を魔法紋へと繋げる魔方陣が、この旧教へーレーンの跡地全体に仕掛けてあります。その中で、ネルを手にしたダナーの令嬢から力が発せられた。つまり?」


  笑うエンヴィーにナーラは鋭く剣を突き付けたが、カシャンと手にした剣が落ちた。


  「これは、まさか……うっ!!」


  ドサリと重く、ナーラの両膝が地に着いた。見ると最後の灰色の外套を切り伏せたエレクトも片膝をついている。その隣では、アーナスターも苦しげに四つん這いにその場に倒れた。


  「また!?」


  立っているのは、リリーとエンヴィー、そして少し離れた石像の横に、不思議に周囲を見回す短外套の少年だけ。


  「境会アンセーマは、その創設に関わった祭司達が、異界の兵器を召喚し、この世を支配しようと魔方陣を描いた事から始まる。だが兵器は召喚出来ず、過去異物のみが魔方陣に現れた」


  エンヴィーの見つめる先、赤い外套を纏うクラウンも地面に縫い止められ身動き出来ず、空でひび割れる赤い矛だけを見つめていた。


  「異界から異物を召喚する魔方陣。異物をこの世の因果律から護り動かすために異界と繋がる魔法紋は、三叉の矛として空に掲げられた」


   片足を引きずりながらも、言葉と共に自分に向かってくるエンヴィーから逃げるように、リリーは後退りする。


  「それを維持するために、百年以上前から異物の骸でこの地と異界を繋げていたが、生きている異物の方がより魔法紋と繋がれる。これで解りましたか?」


  倒れる祭司たちをよろめきながら避け、更には膝をつくエレクトと両腕をつくアーナスターをも過ぎ去って、石片の転がる教会跡地に踏み込んだ。


  「これは貴女の力です。リリエル・ダナー」

 

  「石を持っただけなのに」


  「……復唱はしません。ですが悪役という意味不明な間違えを言った。貴女は察しも物覚えも悪いようなので、もう少し詳しく教えてあげます」


  「悪役は合っていると思うけど、」


  「異物の言葉が理解でき、混血祭司われらと同じく異界の因果律に支配されない。生まれはダナーの娘だとしても、貴女は異界と繋がっている。その証拠が、オーとピー、二つの異物と同じ様に、ネルで力を増幅させた」


  リリーの持つ石から発せられた光は、二人の聖女を介して空に浮かぶ魔法紋に力を与えどんどん肥大した。二人の足下には、それに聞き耳を立てる赤い外套を纏う男が、息も絶え絶えに空を見上げている。


  「増幅された異物の力が三つ、空の魔法紋に注入されればあの様に、紋が堪えられず破壊される。異界の因果律が溢れ出て、異界と繋がる者しか動くことが出来なくなる」


  「!!」


  クラウンは目だけでエンヴィーを非難したが、それは全く意味がない。祭司を飛び越える様にリリーは逃げると、いつの間にか不自然な二つの穴の近くにやって来た。


  「エクリプス、エンヴィー、エクリプス、やめろ」


  「リリー様、リリー様に、近寄るな、」


  エレクトとアーナスターによる力無い呼び掛けが聞こえる。呼ばれたエンヴィーは、名の無い自分を思い出して立ち止まった。


  「魔力の過剰注入により破壊された魔法紋は、この世に穴をあける」


  「!?」


  「異界を、この世に引き寄せるんだ」


  驚きは無い。リリーは、エンヴィーの言葉に興味があるように聞き入った。


  「それは、そしてどうなるの? 引き寄せられると、往き来が出来るの?」


  まるで旅行の様に聞いてきた。事態の把握が出来ないリリーに、エンヴィーはさすがに笑みを消して苛立ちに眉をひそめる。


  「君は本当に、人の話をよく聞かないな」


  「だから言ったじゃない。悪役の、褒め言葉として受け取っておく」


  「……」


  呆れてものも言えないが、エンヴィーは、直ぐにそれを考え直した。


  「往き来の話ではない。異界の因果律とこの世の因果律が混ざり合うのだ。そこは、我らの様なな者達だけの世界が出来上がる」


  「??」


  困惑するリリーの背後、落ちた剣を握り締めた少年が走り寄る。


  「くっ、」


  それにエレクトが駆け出したが、三歩動いて何かに潰される様に地面に倒れた。


  「リリー様、後ろです!」


  アーナスターの叫んだ声に振り返ったリリーは既に遅く、剣を手に迫り来た少年に驚いて足が絡むと尻もちに転んだ。息を飲んで見つめた長剣だが、それは横を、軽い足音と共に走り抜ける。


  「ええ?」


  見ると少年は、リリーの近くに横たわる、赤外套の男の喉元に剣を突き刺した。


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