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  突き刺さったはずの矢は、間に入った者が大きく黒の外套を翻すと、パラパラと地に落ちる。


  「な、何だと!?」


  驚く祭司達を余所に、金色の瞳はリリーの顔を確認すると、きょとんと見返した蒼の瞳にホッと胸を撫で下ろした。


  「ご無事で……?」


  「あ、アーナスターさん!?」


  驚いたリリーのドレスの袖とスカートに、不自然な解れを発見した。それに瞳を眇めると、アーナスターは、リリーが今まで見たことの無い瞳をクラウンたち祭司へ向けた。


  「アーナスター!? アーナスターと言ったか? 庶民の、商人風情が、私の邪魔をするな!!」


  「…………」


  「貴様、戦線はどうしたのだ? 西の補給部隊の大将の名に、貴様の名を確認している」


  「…………」


  「聞こえないのか!! ナイトグランドギルド!! 返事をしろ!!」


  「境界アンセーマ、主祭司の一人、クラウン・スペシャル」


  ひたりと赤外套を見据えた金色の瞳。そして放たれた言葉は、境会では上から二位の立場のクラウンを呼び捨てた。


  「私を、庶民ごときが、呼び捨てたのか……?」


  信じられない侮辱に、クラウンは握り締めた両の拳をガクガクと怒りで震わす。


  「アーナスター・ナイトグランド、貴様、頭がどうにかなったようだな? ナイトグランドギルドも、この様にまともに返事も出来ぬ次男が跡取りとは、追放した長男、グラエンスラーの方が、見た目にも良く、平身低頭で身の程をわきまえていた」


  「お前! さっきから、何を言っているの!」


  アーナスターの背後からしゃしゃり出て、リリーはビシッとクラウンに指をさした。


  「庶民庶民、返事返事と、貴族の権利を振り回すしか頭にない、愚か者とは、お前のことよ!!」


  「……愚か者だと?」


  「しかも今、次男て言ったわね? 貴方、その目は節穴なの?」


  「……小娘…」


  怒れるリリーに驚いたが、震えるクラウンの背後、武器を手にする者達から護るように、アーナスターはスッと再び前に出た。


  「間違いはありません」


  「??」


  「私が庶民なのも、兄グラエンスラーより出来の悪い弟なのも事実」


  「……弟って聞こえたわ」


  「はい」


  「次男で弟ということは、アーナスターさんて、男性でいらっしゃるの?」


  「はい」


  「…………そう。そうなのね。そうでしたのね」


  呆然と口を噤んだリリーに、アーナスターはフッと微笑んだ。


  「リリー様が、ご無事で、本当に良かった」


  きょとんと蒼い瞳を見開いて、力強く頷いたリリーは「私は大丈夫」と言ったが、直ぐに背後の泉を振り返った。


  そこには、今も浅瀬に立ち竦む、血だらけのエンヴィーが佇んでいる。


  「彼はとっても酷いわね」


  呟いたリリーの声を、かき消す様に咳払いがした。


  怒りに我を忘れたクラウンが、呼吸を整えアーナスターとリリーを見据える。


  「庶民、今、この危うい状況をご理解出来ていないようだな?」


  「……」


  「ここに居るのは、貴様と、殺害対象、そしてそこに居る罪人だけという危険な組み合わせなのだぞ?」


  クラウンの背後に集う十数人の下級祭司達は、武器を手に控えている。だがアーナスターは、ある言葉に眉をひそめた。


  「殺害対象?」


  「そう。つまり、君たちが、生きてこの森から出る確率は、全く無いということだ」


  「お前、やっぱり頭がおかしいわ。ダナーうちの者達が、こんな事を見逃す事こそ、絶対にあり得ない」


  アーナスターの背に庇われるリリーの強がりに、クラウンは侮辱した笑みを浮かべた。

 

  「令嬢、そんなことはありません。今から起こる事は事故。罪人を捕らえようと尽力した結果。大公令嬢とギルドの次男は命を落とし、我々は罪人を懲らしめた。それだけです」


  「誰も信じないわ」


  「令嬢は、おわかりではないようだ。そこに居るアーナスターは、西の戦線を放り出してここに居るというのに」


  「?」


  「補給部隊という大切な仕事を放り出し、王都の森で、ダナーの大公令嬢と密通していた。これは由々しき事態です」


  「密通? 密通なんて、していないわ」


  「本来なら軍会議で詮議されてもおかしくはありませんが、我々が、罪人エンヴィーと交戦したこの森で、それに巻き込まれてしまったのです」


  「……」


  リリーは首を傾げたが、金色の瞳はクラウンの創作を無言で見つめる。


  「さすがに右側ダナーも、国の有事に密通していた娘の事を、公にはしたくはないでしょう。左側アトワが喜ぶだけですから」


  「お前、さっきから、何を言っているの?」


  「密通などとは、民草の喜びそうな内容ですが、残念です。この話は右側ダナー、ナイトグランドギルドが総力をあげて潰しにかかるでしょう」


  「……」


  笑う祭司の背後、再び掲げられたのは複数のボーガン。今度こそ見えた決着に、クラウンは「放て!!」と力強く叫んだ。


 

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