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  「姫様、走ってはいけません」


  「だって動きやすいのは久しぶりなんだもの」


  開かれていた窓辺から、階下の声が聞こえてきた。報告書を片手にグレインフェルドがエントランスを見下ろすと、学生服にはしゃぐ妹が通学する姿。


  「嬉しそうに、騒ぎすぎだろ」


  背後から同じものを見下ろしたメルヴィウスは、優しげな目でそれを追う。


  「グラン・グラスの叔父上が言うには、若い頃の母上にすごく似てるんだって」


  今では想像もつかない母親の快活な姿。スクラローサの学生服は、王都軍騎士団の制服を模している。男女共に着用するそれに嫌悪を抱いていたダナー家の者たちだったが、喜ぶリリーの姿にその気持ちは薄らいだ。


  「あ、こっち見た」


  初めての制服姿を得意気に自慢しに来た妹に、二人は複雑な思いで何も言葉を発しなかった。


  髪を結い上げ振り向いたリリーは、窓辺の兄たちを見上げると、ステイ騎士団の敬礼をした。


  「生意気」


  捧げる剣は無いから腕で顔を隠した。そして笑顔で大きく手を振った妹に、二人の兄は顔を見合わせた。


  「呪いについて、そちらの進捗はどうだ?」


  必ず呪いを解かなければならない。妹の笑顔に決意を強める。


  「そういえば、ダナーの街で、リリーに似てる者が居るって話、兄上知ってるか?」


  「少し前に調べさせたが、その様な者は居ないと報告はあった」


  「……あ、うん。それ」


  メルヴィウスも何度も行っていた、妹を騙る詐欺師の捜索。だが既に調査が終わっていたことに弟は沈黙したが、「俺も見たんだよね」と、収まりの悪い銀髪をかいた。


  「サテラの広場でか?」


  「ああ。なんか、すれ違った女がちょっと似てるかもって一瞬思ったけど、よく見たら全然似てなかったんだ。…でも考えたら、これって変だよな?」


  「お前が見間違えたのか」


  「そうなんだよ」


  リリーをよく知る兄が見間違えた。それを重くみたグレインフェルドは、すぐさまダナーに伝令を送った。

 



 **



 

  ダナー家の公女が編入してきたことに、学院内は騒然となった。


  漆黒の馬車から降りてきた少女は、ステイ一族特有の黒の制服ステディアに身を包み、高貴な処刑人たちを従え進む。


  「あれは、クレルベ家の、ベオルド伯ではないのか?」

  「ベオルドの拷問官…、」

  「彼が護衛についてるのか?」


  出迎えの教師達さえ、気圧され近寄れずに尻込みをする。


  黒髪を結い上げ、真白い肌に蒼玉の瞳、唇だけが仄かに紅い。作り物の氷の人形の様な少女に、一目見た学生たちは異様な緊張に身を固めた。


  「ここより先は、我らは入る事が出来ません。お気をつけて」


  各家の護衛騎士は、学院の玄関先で足止めされる。だが既に、様々な年齢で構成される十枝の護衛の内、学院生の適性を持つセセンテァを筆頭に、メイヴァー、エレクト、フィオラが年代別に指揮をとる。


  彼らに引き継ぎはしたものの、なかなか近付いてこない教師たちをトライオンは睨み付けたが、それにリリーは、大丈夫だと笑顔で振り返った。


  「?」


  差し出した鞄を受け取ると、予想通り白制服アーティア左側アトワの者がこちらを警戒して様子を窺っている。


  口頭の教育だけで、実際の左側アトワとの衝突を経験した事がないダナー家の公女。明らかに敵意を表す左側アトワの者に対し、リリーはそれを微笑みで躱した。


  (素晴らしい対応だ)


  トライオンも想像していなかったリリーの大人の対応に、思わず感心に軽く頷いた。だが直ぐに、リリーは「あ、」と令嬢に相応しくない声をあげる。


  視線の先には王家の王女。


  (第三后のエルストラ王女か)


  王女の兄である第三王子は二学年上。物静かな外見とは裏腹に、従者の扱いが善くない兄妹との噂がある。


  その王女がわざわざ出向いて見つめる中、「リリー」と呼び掛けた者がいた。

 

  (リリー、だと?)


  学院内からリリエルを愛称で呼んだ者は、求婚者である第四王子。紺色の制服グローディアを着たグランディアの登場に、トライオンは苛立ちエルストラは驚いた。

 

  「ご苦労だね。ここからは、私が案内するよ」


  出迎えの右側ダナーの生徒と護衛騎士を目線で制し、返す言葉を封じると「さあ行こう」と先を促す。


  「トライオン様、では帰りにね」


  手を取り、グランディアはリリーをこの場から強引に連れ去った。



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