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  「ぷっ、」


  開いた車窓から微かに聞こえるのは、リリーの吹けない掠れた口笛。それを教えたエレクトは、吹き出した同じく護衛であるパイオド侯爵家のセセンテァ・オウロを睨んでたしなめた。


  「失礼ですよ。オウロ卿」


  「だって可愛いじゃないか、うちの姫様、ぷぷっ、」


  トライオンを筆頭に、十枝の護衛が五人揃って動くのは初めての事である。その他にも騎士の護衛を後方に従えて、リリーの初外出は仰々しいものとなった。


  馴染みの騎士たちに囲まれたダナー家の黒い馬車。その車窓からは、時折リリーが外に顔を出す。


  「またやってる」


  景色を見て、前を見て、後ろを見て、少し後方のエレクトとセセンテァに愛想をふる。


  「ちゃんと仕事してますよー」


  笑うセセンテァが手を振ると、リリーはトライオンの目を盗んで手を振り返してくれるのだ。


  「ほんとに可愛い」


  「はぁ、」


  エレクトよりも四歳年上の十七歳のセセンテァ。彼が主のリリーに気安いと、エレクトはいつも不満に思っている。


  「それより、行き先はヤアハ孤児院とサテラの街でいいんだよな?」


  笑いはない。仕事の話しに返答すると、セセンテァは森を眺めた。

 

  「クロスって、聞いたことある?」


  「最近、王都で男爵位を受けた者ですね。商人からの成り上がりだと聞きました。この一年で名が挙がったと、プラン領うちでも話しは聞きますね」


  「奴らの商材が問題なんだよね」


  「?、なんですか?」


  「幻獣ヴェルムネルを使っているらしい」


  「!!」


  スクラローサ王国には、幻獣ヴェルムが存在する。過去には王獣と崇められていた幻獣ヴェルムだが、今は森に隠れ住みほとんど姿を現さない。


  そして幻獣ヴェルムを狩る事は、各領主の許可がいる。ダナー・ステイ領内では、幻獣ヴェルムの狩りは禁じられていた。


  だがこの一年、城下街を取り囲む森の中、何者かが幻獣ヴェルムを無断で狩り、死骸が打ち捨てられているのだ。


  「証拠が無いから、クロスは捕まってないのですね」


  「そう。だが限りなく怪しい」


  ふっふーふふふーふふー…。


  再び聞こえ始めた拙い笛の音に、話しは中断される。到着した孤児院では院長に支援物資を渡すが、子供は隠れて出てこない。それに思い付いたリリーは、騎士たちの見た目に怯える子供たちと、触れ合いの時間を作ると言い出した。


  「最近、街では子供たちの貧困が減っているのか、当院の入所者数が、この一年で減りました」


  「良いことですね」


  「なんでも、貴族の方が積極的に孤児を受け入れてくれているとか」


  「殊勝な方ですね。どこの家の者ですか?」


  「それが、「ゥワッ!!!」「ぎゃーーーー!!!」


  「…申し訳ない」


  「いえいえ」


  トライオンと院長が見守る中、リリーが突然背後から子供たちを驚かし、笑う子と泣き出す子で院内は騒がしい。


  それにトライオンが青筋を立てて対応していたが、穏やかに時は流れて、一行は孤児院を後にした。


  「バーイバーイ!」

  「ひめさま、バーイバーイ!」


  馬車を乗り出して大きく手を振るリリー。


  そして初めてやって来た街、城下では有名な噴水の大広場にリリーは興奮していた。


  リリーは目を輝かせ、行儀作法も忘れてあちらこちらを見ている。


  「お城の方だ、」

  「あのお嬢様が、まさか?」


  「大公様のお嬢様だ」


  一目で分かるダナー一族の黒い衣装の騎士たち。彼らに護られる様に、淡い青色のドレスの少女は街を進む。


  「あれは、ケーキのお店ね」


  狙いを定めた猫の様に、蒼い瞳はキラキラと煌めく。


  「姫様、次の大きな通りにも、お勧めのお菓子のお店がございます」


  侍女を兼ねた護衛であるデオローダ侯爵家のナーラ・フレビアが耳打ちすると、リリーは慎重に頷いていた。


  「ナーラ様のお勧めならば間違いないわね。ではそちらへ…、」


  「?」


  「どうされましたか?」


  商店街の街道。人々は大公の令嬢に興味がありつつも、遠巻きに彼らを見ているだけ。ザワザワと市場と人々の喧騒が過ぎる中、リリーは突然立ち止まった。


  「………」


  「姫様?」


  「フレビア卿、何か…!」


  隣に居たナーラの焦り。エレクトが近寄り様子を見ると、リリーは無表情に何処かに耳を澄ます。

 

  見たことの無いリリーの顔。その様子に周囲を見回していた護衛も訝しむが、エレクトは、過去にそれを見たことがあった。


  「姫様」


  露店の間、商業家屋の細い路地。そこに向かって無言で進むリリー。薄暗い路地は危険だと、引き留めようと思ったトライオンだが、リリーのただならぬ様子にそれを躊躇する。


  少し進んだだけで目的のものは見つかったのか、リリーはぴたりと止まった。


  『…やっぱりね』


  時折、少女は誰しもが聞き取れない言葉を口にする。それは衝動的に、興奮した時に、学者にもわからない、この国には無い発音。


  無表情のリリーの見つめる先、薄暗い路地裏には、太った貴族が従者の少年に暴行していた。


  何度も顔を撲り、何度も腹を蹴り、罵声を浴びせた男は少年を打ち捨てると、見物人に気づいて怒りの形相で睨み付けた。



  「気に入らないわね」



  大公婦人を思わせる様に冷淡に言いはなったリリー。生意気な少女に男は何かを言いかけたが、トライオンたちを見ると閉口する。


  (あの少年か)


  幼少期から見守ってきた者たちは、リリーが何を気にかけるのか、それもよく知っていた。


  トライオンがふと見ると、リリーの手も足も緊張に小さく震えている。だがその手の握りこぶしに力を入れると、太った男の元へと歩み寄った。


  暴行に身を丸める少年と男の間に割り入ると、ふわりと屈みこむ。そして少年の顔に手を当てた。


  「どちらのお嬢さんか知りませんけどね、うちのに、勝手に触らないでもらえますか?」


  「……」


  見下ろされ、慇懃無礼に告げられた言葉に振り返る。するとリリーは、さっと肩口を手で払った。


  「トライオン様、」


  「はっ、」


  「私に、この者の唾がかかったの。許せない」


  「はぁっ!? なんだとっ、うわっ!!」


  瞬時に捩じ伏せられた男は、通路の外に引きずり出された。



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