旅する葬儀人
四条京
旅人と古本屋の店主と古びた絵本
はじめに、神様は天地を創造されました。
神様は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれました。
【第一の日】のことでした。
神様は大空をつくり、大空の下と大空の上に水を分け、大空を天と呼ばれました。
【第二の日】のことでした。
神様は、天の下の乾いたところを地と呼び、水の集まったところを海と呼ばれました。
そして、地に、草と、実をつける木を芽生えさせました。
【第三の日】のことでした。
神様は、太陽と月と星をつくり、太陽に昼をおさめさせ、月に夜をおさめさせました。
【第四の日】のことでした。
神様は海に魚をつくり、大空に鳥をつくられました。
【第五の日】のことでした。
神様は地に家畜をつくり、地をはうものをつくられました。
そして、最後に、ご自分にかたどった《人間》をつくられました。
神様は、お造りになった全てのものをご覧になりました。
神様は、たいそう満足なさいました。
【第六の日】のことでした。
天地の全ては、こうして完成されました。
ご自分の仕事を終えた神様は、全ての仕事を離れ、長い眠りにつきました。
【第七の日】のことでした。
【絵本『かみさまとひとの七日間』より】
†
「――へえ」
俺が営む古本屋の、数ある棚の一つの前で。
絵本を閉じると、今の今まで夢中になって絵本を読みふけっていたそいつは、感心したように声を上げた。
その表情は、店に入って来た時からちいとも動いちゃいなかったが、あれは絶対、絵本に感動した顔だ。この道30年、古今東西老若男女、色んな客の本を読んだあとの顔を見てきた俺が言うんだ、間違いないね。
「素敵な絵本だね。中身は語り尽くされた昔話だけれど、柔らかいタッチの絵とあいまって、ロマンチックなおとぎ話のように思えてくる」
しかも、と付け加えて、全身黒づくめの着たそいつは言う。
「布の表紙に題字を刺繍することで、本自体に特別な重厚感が出ている。おまけに本文の文字は活版印刷、絵はページに直接手描き。一点ものと遜色ないじゃないか。こんな丁寧なつくりの絵本を見たのは初めてだよ」
「おお、お前さん、目の付け所がいいな!」
そいつが語った本の感想は、俺自身が見どころに感じている部分とよく似通っている。
俺は興奮しながら、そいつに本のことを語って聞かせた。
「それはなあ、もう50年も前に書かれた、高名な画家の手製の絵本だ。最近入ってきたばかりなんだが、これがまた状態がよくってよう。正直、売っちまうのがもったいないくらいの商品さ」
「ほう」
「どうだい、お前さん。良けりゃあ旅のお供にでも、そいつを買って行かないか?」
「いや、それは……」
おおかた、荷物になるからと断ろうとしたんだろう。
そいつは、ほんの少し何かを考え込むように、口元に手を当てる。
それから、うんと一つ頷いて、訊ねてきた。
「いくらだ?」
「そうさなあ……まけにまけて650ゴルド。どうだ?」
「買った」
そう言うと、そいつは初めて、小さく笑みを浮かべた。
「決まりだな。ありがとうよ」
ちょっと待ってろ、と言い置いて、店の奥に引っ込む。
商品と、ついでにとある物を包んでやりながら、俺はカウンターの前に立つそいつを、頭のてっぺんから爪先までじろじろと眺めた。
黒い外套に黒い帽子、おまけに靴まで真っ黒け。胸元には銀のロザリオ。
変わった身なりをしたそいつは、本人いわく、北のほうから来た旅人らしい。
何のために旅をしているのかなんてのは、俺には皆目見当もつかないが、まあ、世界ってものは広い。
こいつを旅に駆り立てる“何か”も、この世界のどこかにあるのだろう。
「ほい、おまちどうさん」
「どうも」
カウンターから出ていって、商品を渡してやると、旅人は律儀に帽子を取って頭を下げた。
その拍子に、そいつが背中に背負っているそれが、重い音を立てて揺れた。
下方が伸びた形の、六角形の箱。
それは、所謂――棺というやつだった。
その旅人が、どうしてそれを背負って旅をしているのか。
気になってはいたが、敢えてそれは訊かないことにした。
興味はあれど、他人の事情にあれこれ首を突っ込むほど、俺も野暮な人間じゃあない。
「どうだい、他にもまだ、旅のお供を探していくかい?」
代わりに、暗に他の本をすすめようとすれば、旅人は、おもむろに懐から小さな懐中時計を取り出した。
そして、それを一度覗き込んで、「いや」と首を振る。
「やめておくよ。そろそろ駅に向かわないと、夜汽車に間に合わなくなってしまうからね」
「そうかい。そいつぁ残念だ」
俺がそう言うと、旅人は困ったようにちょっと小首を傾げると、大きな帽子を被り直して、戸口の方へ体を向けた。
「それじゃあ、私はここで。素敵な本との出会いをありがとう。店主さん」
そうして、旅人はさっさと店を出ていこうとする。
「ああそうだ、ちょっと待ってくれ」
俺の言葉に、旅人はぴたりと足を止めて、こちらを振り向く。
「聞きそびれたと思ってな。あんた、名前は何て言うんだ?」
「…………」
旅人はそこで、今日一番の長い沈黙を投げてよこしてきた。
おいおい、そんなに聞かれたくなかったことかい?
興味本位で聞いてみたのは、ちとまずかったと頭を掻いた、その時だった。
「……名乗るような名ではないけれど」
旅人はそう前置いて、やわらかく微笑む。
「【
「! ……そうか」
俺はそれを聞いて、満足はしないながらも納得はした。
色々の言葉を絞り出す代わりに、もうきっと会うことはないそいつに、笑顔を見せる。
「改めて、ウチに立ち寄ってくれてありがとうよ」
「こちらこそ。この店で過ごした時間は、有意義だったよ」
「ははっ、そりゃあ光栄だ。またこの街に立ち寄ることがあったら、よけりゃあまた覗いてみてくれよ」
俺はそう言って、最後に、藤で編んだバスケットを手渡す。
夜汽車で食べる夕飯にでもなればいいと渡したのは、俺が間食にと持ってきていたサンドイッチ。
「……ありがとう」
それを軽く胸に抱きしめ、旅人は今度こそ俺に背を向け、店を出て行く。
ああ、と小さく呟いてから、俺は、ドアの向こうに消えていく背中に手を振って、最後にこう伝えるのだった。
「よき旅路を!」
†
「最後の最後に、贅沢なものをもらってしまったな」
あの気前のいい店主が、今夜の食事に困らないといいけれど。
そう思いながら、夜汽車に揺られる旅人は、店主に渡された、蓋つきのバスケットを開けた。
その中には、サンドイッチがぎっしりと詰め込まれている。
「いただきます」
旅人は手を合わせたあと、ぱくりとサンドイッチにかじりついた。
バターとマスタードとマヨネーズをたっぷり塗ったパンに、新鮮な野菜と塩気のある
サンドイッチをあっという間に3つ食べ終えたところで、旅人は窓から外を見た。
窓の外では、何百何千と星のまたたく夜空が広がっており、夜の闇に溶けた街の風景が、びゅんびゅんと後方に向かって飛んでいく。
その光景をぼんやりと眺めながら、旅人は再び、サンドイッチにかぶりつく。
口の端についたマスタードをぺろりと舐め取って、旅人はぽつりと呟いた。
「――さて、次はどこへ行こうか」
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