第39話 現れたのは

 突如聞こえてきたキーロンの声。

 だが聞こえてくる声は遠く、姿も見えない。当然、クリス達がここにいることなどわからないだろう。


 何か、知らせる手立てはないか。

 そう思っていると、通路の向こう側から、男が一人慌てた様子でやって来る。


「旦那様。警備隊の者が来て、中を調べさせろと言っております。どうすればいいでしょう?」

「どうすればって、そんなことできるわけないだろ!」


 慌てたのは、ここの主である商人も同じだ。何しろ麻薬であるホムラや、彼らの悪事を全て知っているクリスがいるのだ。そんなところを調べられて、無事ですむはずがない。


「いったい、どうしてそんなことを言ってるんだ!」

「なんでも警備隊の本舎に投げ文があったそうです」

「くそっ。いったい誰がそんなことを! ロイド様、いかがいたしましょう」


 腹立たしげに怒鳴った後、すがるようにロイドを見る。当然ロイドも、踏み込まれてまずいのは同じだ。

 しかし彼もこの事態に苛立っているものの、他の者達と比べればまだ余裕があった。


「そんなもの、力ずくででも追い返せばいいだろう。心配するな。こんな強引な手段をとっているのだ。逆に私の権限で、あいつを処分に追い込んでやろう」

「は……はい。では、すぐにそのようにいたします。お前達、いざという時のため、近くで待機しておけ」


 主人はそう言うと、荒事になった場合に備えてか、数人の男達を引き連れキーロンのところに向かおうとする。


 このままでは、キーロンは帰されてしまう。こんなにも近くにいるのに、それを伝えることなく終わってしまう。そんなのは嫌だ。

 そう思った時、クリスの覚悟は決まった。


 幸いだったのは、クリスを取り押さえている奴らが、キーロンに気をとられていたこと。さらにそのうちの何人かが、主についていこうとしてクリスの側を離れたことだ。

 おかげでクリスの力でも、隙をついて男達を振り払うことができた。


「やぁっ!」

「あっ、てめえ!」


 そして自由になったクリスは、できる限りの大声で叫ぶ。


「キーロンさーん! ここです。私はここにいまーす!」


 しかし、自由に叫べたのもほんの一瞬だ。男達も、クリスにこのまま好き勝手させるはずがない。


「てめえ、大人しくしやがれ!」


 再び取り押さえようとする男達。いや、中には殺そうとしているのか、ナイフを構える奴までいる。

 当然、こうなることも、そしてそれがどんなに危険なことかもわかっていた。この状況でまともに戦って、無事ですむわけがない。

 それでも、おそらくこれが助かるための最初で最後のチャンスだろう。そう思うと、こうする以外の選択肢など考えられなかった。


「キーロンさーん! こっちー!」


 向かってくる男達をかわしながら、尚も懸命に叫ぶ。


 はたしてこの声はキーロンに届いているのだろうか。届いているとして、それがクリスのものだと気づくのか。なんとかしてもらえるのか。

 もしかすると、命をかけるにはあまりにも心許ない状況なのかもきれない。それでも、一度動き出した以上、あとは全力であがくだけだ。


 しかしそのあがきも長くは続かない。真横から思い切り殴られたかと思うと、視界が揺れ、意識が飛びそうになる。

 なんとか倒れることなく持ちこたえたものの、ナイフを構えた男がこっちに突っ込んでくるのが見えた。


(避けないと!)


 頭ではそう思っているのに、体は全然言うことを聞いてくれない。目に映る景色がゆっくりと見え、それにより、これから逃げるのは不可能だというのを、よりいっそう思い知らされる。これまでかと、覚悟を決める。

 だがその時、誰かがクリスの体を思い切り突き飛ばした。


「あっ……!」


 床に叩きつけられ、声を上げる。だがそのおかげで、ナイフに刺されずにすんだ。

 いったい誰がこんなことをしたのか。体を起こしてすぐさまそれを確認し、それと同時に息を飲む。


「ミラベルさん……」


 クリスを突き飛ばしたのは、ミラベルだった。彼女がクリスを助けたのだ。

 だが、彼女自身が無事ではすまなかった。


「あぁっ!」


 ミラベルの口から、悲痛な叫びが漏れる。

 ナイフが迫ってくる中、強引にクリスを突き飛ばしたまではよかったが、その結果、ナイフは彼女へと突き立てられていた。


「ミラベルさん!」


 もう一度彼女の名を呼び、崩れ落ちそうな体を支える。

 幸いだったのは、刺されたのは腕で、傷はそう深くなかったということだ。これなら、簡単なことでは致命傷になりにくい。

 しかしだからといって、決して安心というわけではない。こうしている間にも彼女の腕からは血がドクドクと流れ、苦痛に顔を歪めている。


 それにクリス達は、相変わらず敵に囲まれたままだ。ミラベルを支えながらでは、暴れるのも難しい。


 結局、このまま自分もやられてしまうのか。そう思ったその時、やたらとうるさい声が割って入ってきた。


「この奥には何もありません。どうかお引き取りください!」

「うるせえ。さっき確かに声が聞こえたんだよ。ごちゃごちゃ言うとお前からしょつっぴくぞ!」


 それは、クリスがずっと待ち望んでいたキーロンの声だった。彼だけじゃない。同じ警備隊の仲間数人も一緒だ。

 そしてそれらは、皆クリスの姿を見て目を丸くする。


「クリス。お前、生きてたか!」

「はい。私は無事です。でもこの人が──誰か、傷の手当てをしてください!」


 どうしてここにきたかとか、今まで何があったのかとか、聞きたいことも話したいことも山ほどある。しかし今何よりも優先させるべきは、ケガをしたミラベルの手当てだ。すぐに隊員の一人が彼女に駆け寄り、持っていた布を使って血を止める。

 その間にキーロンは、ロイドへと目を向けていた。


「総隊長代理。これはいったいどういうことですかい? なんで総隊長と一緒に行方不明になったはずのクリスがこんなところにいるのか。それに、あんた自身どうしてこんなところにいるのか、全部話してはくれませんかね」

「くっ……」


 ロイドはすぐには答えない。答えられるわけがない。

 自分の悪事を隠しつつこの状況を説明できるような言い訳なんて、思い浮かぶはずもない。そもそも何を言ったところで、クリスという証人がいるのだから、言い逃れなど不可能だ。

 だがそこでロイドは、わなわなと肩を震わせ、乱暴に言い放つ。


「黙れ! 貴様こそ、こんな無茶な捜査をしていいと思っているのか! そもそも貴様は、行方不明のヒューゴの捜索をきているのではなかったのか。誰の命令でこんなことをしている!」


 例え捜査の不備を指摘したところで、自分のしたことを誤魔化せるはずもないだろう。それでもロイドは、キーロンを断罪するように怒鳴りつける。


 しかしそこで、そんなロイドの喚きを打ち消すかのように、新たな声が飛んできた。


「命令なら、俺が出した」


 その場にいた全員が、声のした方へ目を向ける。そして次の瞬間、皆一様に目を丸くした。


「あ……ああ…………」


 驚いたのはクリスも同じだ。声の主が誰なのか、その姿を確認したとたん、頭が真っ白になる。


 少し間をおいて、 ようやく、絞り出すように一言だけ呟く。


「ヒューゴ総隊長……」


 目の前に現れたのは、行方不明になっていたはずの、ヒューゴ=アスターその人だった。

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