第46話 空に星を、人に轍を

 音を重ねるなんて、初めて考えた。

 琴を奏でながら、曲の中にいた羽は星の海の中にいた。九つすべて違う楽器ではないけれど、それぞれ別の旋律を奏でる。奏でている人々は、この国の宝ともいうべき人達で、自分なんて足元にも及ばないような人達だ。それでも、ここで奏でられたのは、これまで生きてきた中で一番の出来事だと思えてきた。


「見事だ」

 そう、御簾の向こうから聞こえてきた声に羽は首をかしげた。演奏が終わり、人々は初めて出会う音にあっけにとられていた。その中で、静かに、しかし威厳を持った声が響いたのだ。その声にどこか聞き覚えがあるような気がしたのだ。

「周羽よ」

 内官が羽を呼ぶ。内官は王の側近とも呼ぶべき官吏で、羽はぎこちなく琴から離れ、御簾の近くまでやってきた。

「宴が終わった後、この場に残れ」

「は、拝命いたします!」

 どどどどど、と身体中の血が流れる音がした。きたときよりも大きな心臓の音を聞きながら羽は二つ名の人々の中に戻っていった。

「羽さん! 大成功ですね!」

「ええ、音を重ねる体験は初めてですが、とても心地よい音色でしたわ。豪殿もそうではありませんか?」

「うむ。私の太鼓の音すら楽に取り込むなど、御曹司はやはり才のあるものだったな」

「御曹司―。とても楽しかったよ。俺の笛の音色、ちょっと癖があるって言われてたけど、さすがだなぁ」

「わたくしもです。蘭様の琵琶の音と重ねるようにわたくしの二胡が鳴るとは思いもしませんでしたわ」

「御曹司はやはり、周家の御曹司だったのだな。見事なものよ」

「私は………。びっくりした、ね。全然目立たない、楽器なのに。ど、独奏だなんて……。でも、嬉しい。ありがとう、御曹司」

「やっぱり宴はこうじゃないとなぁ! 今度もこれくらい目立つ曲を作ってくれよな! なぁ、御曹司!」

 口々に届けられる称賛に、羽は顔が真っ赤になるのが止められなかった。人の波をかき分け、羽はある人影を追った。

(父上もいらっしゃっているはずだ)

 きょろきょろと辺りを見渡す。別の会場にも言った。厨房や、待機部屋にも行ってみた。けれど、父の姿はなかった。

「やっぱり、俺の楽はだめだったのかな」

 父とは真逆の道を進んでいるとは思っていた。けれど、心のどこかでは自分の楽を聴いてくれていると思っていた。幼い頃、初めて父から琴の手ほどきを受けた日のように。庭先を出て、教坊へと向かう道すがら、羽は父の姿を見かけた。

「羽、なのか?」

「父上っ!?」

 以前は自分を拒絶していたはずの父は、どこか悲しげに見えた。

「曲はできたようだな」

「ええ、聴こえましたでしょうか。あの曲、九星八十八が私の今できる最高の楽です」

「…………」

 父は何も言わず、空を見上げている。曲と同じ、星の海が広がっていく。その仕草で、聴こえていたことは分かった。けれど、そこから何を言おうか詰まってしまう。

「私は間違えてしまったのだろうか」

 ぼとり、と父がこぼしたのは弱音だった。そんな事、生まれて初めて聞いた羽はどきりとした。

「家を守るためにしていたことが、今や家にとっては何の益もない。お前を家から出したのも、家を守るためだったのだ。けれど、お前は私とは別の方法で家を守ろうとしているな」

「はい。父上がどれほどの苦難を乗り越えてきたか、分からない訳ではありません。ですが、周家は変わらなければならなかったのです」

 弟子を鍛え、宴で名を残す。それだけではいけないのだ。千天節の曲がそうだったように、これからは多くの人々の願いを曲で表し、そして永遠に語り継がれられる曲を作るのだ。

「そのようだな。私は、間違っていたのか」

「いいえ、間違ってなどいません。ただ、よりよい方法が変わっただけなのです」

「羽、これからはお前に周家の全権を譲ろう。今日からお前が当主だ」

「!?」

「なにがおかしい、お前はまさか気づいていなかったのか?」

「きづいていない?」

 なにか、大きなことをなしただろうか。千天節の曲を作ったのは、確かに勅ではあったけれど。

 はて。

 勅で曲を作った。

 つまり、皇帝の命によって曲を作ったという事。それは―――。

「私は殿中曲を作った、という事ですか?」

 口がわなないてちゃんと言えたかどうかわからない。それもそうだ。今まで気づかず、一心不乱に曲を作っていたのだ。盲点、というより始めから気付くべきだったのだ。父はふっと、笑んだ。もう何年も見ていない、父の笑い顔だ。

「まったく、大事なことを忘れる所は私に似なくてよいのにな。そうだ。お前は殿中曲をつくった最初の周家の当主になったのだ」

「殿中曲を作った、最初の当主……」

 あまりの出来事に羽の頭はまるで嵐のようにかき回される。

「陛下がお前に残るようにおっしゃったのだろう。ならば、お前にも与えられるはずだ、私や父上が得られなかった二つ名が」

「……」

「よく励んだな」

「……はいっ!」

 羽は大きな声で叫ぶようにうなずいた。滅多に聴かされなかった父の言葉だ。確かに、腹の立つことはいくらでもあった。けれど、ここにきて褒めてもらえた。認めてもらえたのだ、と思った時、羽の身体は宙に舞うかのようだった。それを悟られないように、羽は頭を下げた。

「父上! 俺はやってやるからっ! 周家をもっと栄えさせて、弟子も父上に負けないくらい増やしてっ! 陛下からの信任も厚い、楽士になってやるから!」

 父はその言葉に何も言わず、踵を返した。


「兄上」

 家の卓につき、男がじっとこちらを見つめていた。あれほど実家に帰ってくるのを拒んでいたのに、どのような風の吹きまわしなのだろう。

「策か」

「俺がこの場にいるのは、過去を振り切るためです」

「なにを今更。いや、そうか。お前も聞いただろう、羽の楽を」

「ええ。見事でした、さすが兄上の弟子ですね」

「馬鹿を言うな。あの型にはまらない音はお前の音に似ているのだ」 

「そうかもしれませんね。兄上の音で奏でられたら、あの曲は味気ない物になっていたに違いない。俺の音が周家の危機を救ったのです、褒めてはいかがです?」

「言うようになったな、愚弟が」

「まぁ、俺も強くなったんですよ。踏ん切りがついたんですよ、あの絵で」

 わだかまりは完全に消えたわけではないが、兄弟は酒を酌み交わし、そのまま夜は更けていった。

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