第38話 天球見上げる主

「やっぱり故郷で歌う方が気持ちがいいわね!」

「さすが露様! とてもおきれいな声でした!!」

「ありがとう、明英様。喜んでいただけて何よりですわ」

 笑いかける叔母に羽はちょっとだけ引っ掛かりを感じた。引っかかりの元は、彼女が口にした”連れ戻しに来た”という言葉。

「あの、露さん」

「なぁに?」

「先程、連れ戻しに来たとおっしゃっていましたが、何かあったのですか?」

「ええ、あなたにも来てもらわなくてはいけないわ。周家一門集合せよとの父上……あなたのおじい様の命令よ」

「!?」

 羽の背中に雷が走った。祖父は現役を引退した後、辺境の地で隠居生活を送っていたと聞いていた。しかし、祖父の命令で集まるように言われるなんて、何があったのだろう。

「本来ならば、婚約の儀式に参加したいところだけれど、危急の命令だからあんたに拒否権はないわよ」

 険しい顔をしていた策に露は厳しい口調で語りかけた。

「私はもう、周家と関わりが無いはずですが」

「あんたには、臥龍大聖としての集合がかかっているわ。紫宸殿からの使者だもの」

「紫宸殿!?」

 思わぬ単語に全員の声が裏返った。紫宸殿といえば、皇帝直下の機関だからだ。紫宸殿からの使者というのはすなわち勅令と言っても過言ではないはずだ。

「行ってください、あなた」

「嶺さん……」

「陛下があなたの才覚をまた欲しているというのでしょう。私はもう大丈夫です。もう、逃げ込んだりはしませんから、どうか、もう一度大聖として向かわれてください」

「でも、嶺さん」

「御曹司、この人をお願いします。どうせご当主様の前でみっともない姿をさらすに違いませんから、逃げ出さないように見てあげてください」

「大丈夫よ、嶺ちゃん。私もいるし、お父様の前で逃げようだなんて思ってないはず、そうよね?」

「はい! 姉上の言いつけ通りにます!!」

「そんなに怖がらなくても、玄国にいらした平兄上も戻って来られるそうだし、全員が揃ってから話をするとの、父上の伝言よ」

「え、平兄上が?」

「子牙兄ちゃんの父上が戻って来られる?」

 他国に仕官している者まで招集するなんて、いよいよ緊迫感が増していく。今までの自分のやってきたことで、何か陛下の目に余るようなことをしてしまったのかもしれない。

「あ、羽ちゃん。あなたはそこまで深刻にとらえなくてもいいの。あなたは正統後継者ではあるけれど、今回の件はそこの愚弟と権兄上に関わることだもの。あなたが気負う事ではないわ」

「……姉上、もしかして、あの事ですか? 私が周家を去り、曹家の婿養子になる契機となった」

「それは父上の話を聞いてからになさい。曹家だけでなく劉家にこれ以上迷惑をかける気?」

「…………」

 それ以上策は黙ってしまう。羽と策と露は周家の馬車に乗り、曹家の別邸を後にした。

(何があるんだろう)

 羽の頭の中では様々な予想が渦巻いて行き、はっきりとした形が浮かばない。あらゆる可能性が浮かび、そしてそれらの確証が得られないまま、羽は都の周家の屋敷にたどり着いた。

 

 屋敷につくと、弟子たちが数人で集まりながら、ひそひそと話し合っている。それもそうだ、紫宸殿からの使者が来たのだ。気が気じゃないだろう。ここが上級貴族の家ならまだしも、家格が古いだけの貴族のはしくれの家だ、あらゆる想定をしてしまうのも無理もない事だ。

 それに、ここ数か月で羽を初めとして様々なことが起きた。

(やはり、玄国の王子を秘密裏に匿っていたことがとがめられたのかな)

 あの平叔父上の事だ。劉家と共謀して、陛下に何の連絡もなくそのような判断を下してもおかしくはない。結果として丸く収まったようなものだけれど、一歩間違えば国同士の戦になりかねない事態だ。

 だが、それだとしてもあまりにも悠長だ。子牙が玄国の王子と判明した時点で咎めるのが普通だ。しかし、陛下は何の通達もしなかった。それが余計に混乱を招く。

「おや、羽。久しぶりだね、子牙の事ではさぞや心配をかけた事だろう。今更にはなってしまうけれど、謝るよ」

 本邸の中でも一番広い部屋にやってきた羽を見かけた一人の男が深々と腰を下げた。白髪が目立つ髪を一つにまとめ、冠を被っている男に羽はぱたぱたと手を振った。

「い、いえ! 平叔父上こそ、玄国でのお勤めがあるというのに、招集をかけられたとのこと。真武街道を早馬で駆けたのならば、さぞやお疲れでしょう」

「私まで呼ばれるのなら、ただ事ではないはず。私にも知らせなければならないことなど、そうそうないでしょう」

「そうですね……。おじい様はいずこに?」

 見渡しても上座の方には気配はない。広い部屋というのにいるのは羽と平、そして隅っこに膝を抱えて気配を消そうとしている策しかいない。図体がでかいのだから、柱だけが目立つ部屋に隠れようとしても無駄だろうに。

「先程権兄上が呼びに行かれました。おや、露。あなたも戻って来たのですか?」

「ええ、平兄上もお元気そうで何より。この場に呼ばれた理由は実のところ私もよく分かりませんの。ただ、紫宸殿の使者が周家宗家の系譜の者を全員集めよ、とのことだったもの」

「それで、私も呼ばれたのですね。楽の才の無い私にも関わりのあることなど、そうそうないでしょうに」

 きゅ、と平が小さく拳をつくった。平は幼い頃から、楽の才が無い事と次男である事で早々に文官へ登用された。文官での仕事ぶりが認められ、玄国に仕官することになったのだ。

(平叔父上にも関わる事なら、どういう事なんだろう)

「皆、集まっているな」

 低い、地を這うような声が広間にこだました。皆でその声の主を見た。上座の敷布の上に緩やかに腰を掛けた老人は、もう80を数えるころだというのに、気迫は全く衰えていない。周家の前当主であり、周羽の祖父だ。その場にいた全員がその場で膝をついて礼をする。一歩遅れて策も慌てて頭を下げる。

「平、玄国より戻ったとのこと、ご苦労であった」

「いえ、父上。一家の大事と聞き、玄国総長に許しを頂き、明朝に発ちました」

「うむ。露、そなたも異国での公演があったろう、中断して戻って来たのだ、埋め合わせはできているのか?」

「心配には及びませんわ、父上。わたくしが指導してきた舞手たち、歌い手たち、皆すばらしい才覚の持ち主ですわ。わたくしが抜けても、十分に異国の方々に満足していただけますわ」

 二人が頭をあげずにすらすらと答えていく。その風景は親子というより、王とその臣下のようであった。

「策、お前なぜそのような隅にいるのだ」

「い、い、いえ! 私はここで十分で、ございま、す!」

 明らかに狼狽えている策に羽は心の中でため息をついた。これまでの経緯は知っているが、取り繕うことぐらいいくらでもできるのではないだろうか。

「羽」

「はい!」

「福の件では迷惑をかけた。あれも反省しているだろう」

「いえ、福大叔父上は楽人としての欲にしたがったまでの事。長い間多くの弟子を育て上げた方です。至高の楽を目の当たりにしたいという欲は人一倍あったことだろうと思います」

「であるか。ならば、お前にはこれから周家にとっての大きな決断に対して意見を述べる権利を授ける、覚悟はよいな?」

 覚悟。

 羽は座り直し、背筋を伸ばした。覚悟など、とうの昔にできている。目の前に座る祖父の顔を見据える。幼い頃、数回会ったくらいで、その時もこのような距離のある場所でしかあっていないから、親しみはあまりない。遊んでもらった記憶などない。弟たちは若干あるだろうが、羽にとっては尊敬すべき人の一人だ。

 周家の伝統を守り、数多くの弟子を輩出し、陛下からの信任の厚い方だ。

「権、陛下からの勅命を読み上げよ」

 いつの間にか祖父の隣に立っていた父が手にしていた巻物を広げた。


 勅、と読み上げるの声は少しだけ緊張で震えていた。

 

「当主嫡男、羽に初代皇帝の即位を祝う千天節に奏でる曲の作曲を命じる」

 

 千天節。それは辰国で最も重視される式典の名前であった。

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