第22話 書架の曹淳
玄国の使者は宮中に入って、一日目はそのまま過ごすことになっている。本来なら、他国からの使者と言えば初日から盛大に宴を開き、もてなすものだが、玄国は辰国に入国する際に、厳しい山岳地帯を抜けてくる必要がある。人馬共に疲労がたまっているため、それをいやすのが理由だと言う。
「疲労をためやすい山なのですね」
教坊の中の羽の部屋で、難しい顔をした澄が地図とにらめっこしている。休みは一日だけで、羽は朝早くから殿中に来ている。朝の稽古は終わったので、今は休み時間。
澄の言葉に羽はうなずくと、街道を示す線を何度かなぞる。
「と、いうより大きな川が無いのと、休憩できる中継地を築きにくい荒れた山だからな。野宿がつづくんだ。ほら、ここからここまでめぼしい町はないだろ?」
「本当だ……。町を示す記号が全くないですね」
玄国の使者をもてなす宴に出ることが確定している澄が、”少しでも玄国のこと知りたいです”と羽に数日前から訴えていたので、殿中の書房から地図を数枚借り受けて、羽の部屋で広げて見せている。
相変わらず字の稽古は続いているらしく、町の名前などはまだ分からないようだった。以前、”ばれて”しまったことを恥じているようで、数字の書き取りはここ数日で完璧に覚えたようだった。
「高貴な方が野宿を強いられるのは、辰国でも結構深刻な問題で、しょっちゅう改修工事やら新造計画なんかが持ち上がるんだ。大抵は他国とのつながりを強めたい貴族や商人からの上奏だけど」
「でも、それを歴代の皇帝陛下は拒んでいらっしゃいますよね。そして、今の皇帝陛下も………」
「あぁ。あまり他国の力を入れたくないんだろうな。ここはいわばいつ”塗りつぶされて”しまうか分からないからな。病に臥せっていらっしゃる皇帝陛下の隙を狙う輩も少なくないだろうな」
「そんなあっさりと。周羽さんだから言えることですよ、そんなこと」
「そうか?」
そんなことよりも、今夜から行われる宴の用意の手順を打ち合わせを行わないと、と考えていると羽の部屋の扉が力強くたたかれた。
「誰でしょうか?」
「どうせろくな話じゃないだろ」
「おーい!! 羽! いるんだろ! 開けてくれ!!」
扉から青年の切羽詰まった声が聞こえて、羽は扉の方を見ずに地図に向き合う。
「さー次だ次。地図の見方を教えてやるよ、澄」
「え、でも? 切羽詰まった声ですよ?」
「いいんだよ」
「羽! おーーーーい!!! 俺だよ俺!!」
「羽、さん?」
「教えるならお前の生まれた西部地方からの方がいいよなー。ここはなー」
「気にならないんですか? 困っているような声ですけれど」
「開けろ! ここに居るって事は知っているんだからな!! 開けてくれ!! もうお前ぐらいしか頼れる奴がいないんだ! 頼むよ! 昔なじみのよしみでさぁ!!!」
我関せずと黙っていた羽も、さすがにこらえきれなくなり叫んだ。
「うるせぇよ!! どんどん扉叩きやがって! 誰が昔なじみのよしみだ!! お前の空想話と無鉄砲に付き合わされる身にもなってみやがれ! 大体な! お前がそうやって俺を頼る時なんてろくなことが無かっただろうが!」
「その声! やっぱりいるんだな! 開けてくれよ!」
(羽さんの猫かぶりがはがれてる。ってことは、この声の主の人は信頼していい人なのかな)
羽が素を見せる相手はほとんどいないと、この数か月で学んだ澄は、声の主とのやり取りで二人の関係性を何となく推し量ってみた。それにしても、羽がここまで声を張り上げる相手というのも、明英以外では初めて見た。羽は大抵の人には御曹司のように振る舞う。まるで仮面をかぶるように。
(貴族の子息のそれとは違うような気がするのは、勘違いなんだろうか)
「なんてことを言うんだよ! そんな事言って、最後まで付き合ってくれたじゃないか! お前のそういうところを買っているんだってば!」
扉の向こうの声は今にも泣きそうになっている。
「そうやって、人をおだてるなよ! 殿中お抱えの細工師の秘伝書を勝手に読もうとしていた馬鹿はお前だ!!」
「覚えていてくれていてうれしいぜ! だがな、羽。今回ばかりはそう悠長なことは言っていられないんだ!」
「そうだな! 今にも俺の部屋の扉が壊れそうだ。壊したらお前の薄給から引くぞ!」
その一言が決め手になったのか、扉の音は一旦鳴り止む。ぜぇぜぇと肩で息をした羽は頭を抱えた。
「で、いきなり何の用だよ。
「お前はそのうち通るって信じてたしな。開けてくれよ、羽。お前に関係ある話なんだよ。下手すれば、お前の許嫁が玄国に戻る事になる」
「っ!?」
目を見開き、羽は慌てて扉を引いて開ける。すると、扉に寄りかかっていたらしい青年が前に押し出される。青年は羽と同じ年ごろで、癖の強い黒髪をしている。目鼻立ちが中心により気味なせいか、齢よりもいくつか幼く見えるが、その背丈は羽より頭一つ分大きかった。
「明英が何だって!」
「ははぁ。やっぱり、明英殿の話を出すとお前は簡単に引っかかるなぁ」
「うるさい!」
「まぁ、待てよ。すぐって話じゃない」
「でも、さっきは悠長なことは言っていられないって言ったじゃねぇか」
よいこらしょ、と身を起こし、あぐらをかいた青年は軽く埃をはらう。殿中の文官の衣をまとう青年はほっと息をつく。そして、羽の後ろに隠れていた澄を見かけると、軽く手を合わせて略式の礼をする。
「さっき軽く聞こえた西部地方独特の訛りに、日の当たり具合で金にも光る赤褐色の髪と瞳、そして腰から下げた玉からして、あなたが白露村の栴檀で合ってるかな」
「あ、はい。おれがそうです。斎澄って言います。あなたは羽さんのとも……お知り合いですか?」
一瞬の冷気を察した澄が言いなおすと、青年は何度もうなずき立ち上がる。
「いやぁ、こんなに若い二つ名持ちに会えるなんて、とても光栄なことだよ。俺は曹淳。羽とは子どもの頃からの悪童仲間でね。互いの家の事は大体わかっているつもりだよ」
「嘘つけ。お前、姉上があの伯燕先生って言わなかったろ」
羽が先程まで座っていた椅子に何の気兼ねもなく座った青年はにこにこ笑った。
「尋ねられてなかったしね。別に姉上の事はお前にとってはさほど重要な話じゃないだろ?」
そう、しれっというのがこの青年の性質の悪いところだ。
「伯燕先生が、お前の姉上だって知ってたら、もっと嶺さんに気を使えただろ!」
「姉上からお前が無事だって文が届いた時は安心したよ。だって、お前は意外としぶといだろうけれど、剣はからきしだったからさ」
「そもそも、お前が門前払いしなきゃいい話だろ!?」
「あの時はご当主様からにらまれてたから匿えなかったんだよ! 本当だったら俺んちの空いてる棟の一つくらい貸してやりたかったんだ!」
家を追い出された時、一度は曹淳の家に行ったが、取り合ってもらえなかったときのことを思い出す。あの時はこの能天気な幼馴染につかみかかりそうになったものだ。ともに名家の跡取りとして育てられたと言うのに、しかもすべての学者の頂点に立つと言われている曹家の跡取りだというのに。
(あの嶺さんの弟にしては明るすぎるよな)
年が離れていれば、性格は似ないのかもしれない。父と叔父がそうだったように。
「でも、結果的に嶺さんを通してお前に文を出せたし、それに……」
「それに?」
「いや、なんでもいい。ところで話を戻すけど、お前の目的は何だ?」
「言っただろう、困っているんだ。助けておくれよ、友達だろ?」
「お前が困っているって言えば、金か? 書物か? 仕事は、そこそこやっているみたいだしな」
「仕事の話だよ」
「お前の仕事に口だせるほど、俺に知識があるわけじゃないぜ。そもそも、そういうのはお前の方が得意だったろ」
「それは……そうだけどよ。でも、玄国とのつながりが深いのは、お前の周家ぐらいだ」
「繋がりって言っても、子牙兄ちゃんの父上が元仕えていたのと、俺の許嫁の出身てだけだぜ」
「まさにそれなんだよなぁ」
はぁ、と淳がため息をつく。
「はぁ? 脈絡が無いな。まぁ、いつもの事か」
「お、そういうってことは手伝ってくれるんだな?」
「馬鹿言え、面倒くさくなるなら俺は手を引くって言わなきゃわかんねぇか」
「あの………。淳さんは、何のお仕事をされているのですか? 御身分からして、そこそこ高位の文官の方だとお見受けいたしますが」
「こいつ、殿中の書記官の一人。殿中で起こったことを全て記録して保管してる」
「やっぱり!!」
「曹家の人間は代々この職につくんだよ。周家が楽長になるのと似たり寄ったりだ」
「さらりと楽長を強調してくんな。当主は楽長にはならないって何度言ったら分かるんだよ」
「え、ならないんですか?」
「当主の仕事と楽長の仕事は両立できないんだよ。だから、楽長になるのは周家の傍系か、弟子がなることが多いんだよ」
「へぇ」
「書記官が仕事で困ることはないだろうしな。それに、最近の仕事って言えば、玄国からの献上品の鑑定ぐらいだろうし」
「献上品の鑑定? 真贋でも見るんですか?」
「そうだよ。持ち込まれた物に万が一毒やまじないがかけられていたら大事だからね。皇帝陛下にお見せする前に、一度書記官と専門の者が見ることになっているんだ」
「その万が一が起こったって事か? 陛下は?」
淳は静かに首を振った。その仕草は少しだけ、姉の嶺とのつながりを感じた。
「いや、偽物や毒などは見られなかった。陛下にも今朝がた献上したんだ。御簾で隔てられてはいたけれどね。時折ひどく咳き込むお声が聞こえたけれど、それ以外は一言もしゃべらず、内官殿に喋らせていたな。病が重いというのは本当らしい」
「それなら、困ったことなんてなかったろ」
「問題は献上した品を見た後だったんだ。内官殿が俺たち書記官のいる部屋にやってきて、献上品の中に異物が混じっていたと伝えてきたんだ。
「異物?」
「でも、淳さんが見られた時は異常はなかったって」
「献上品の中に巧妙に隠していたんだそうだよ。陛下が異変に気付かれて、御手づから調べられたと聞かされたときは、さすがに命の危機を感じたよ」
「そりゃまぁ。下手しなくても普通に曹家は滅ぶよな」
「おいおい、そんなに冷静に言うなよ。余計にへこむじゃないか」
「で、その隠されてたのってなんだよ?」
「書状だったんだよ。しかも、すり切れていてぼろ紙だった。血のような赤いにじみまであってさ、肝が冷えた」
「実物は?」
「今、書記官室で厳重に管理している。さすがに宴の場で黄花姫につきつけるわけにはいかないから、明日以降に問いただすしかない。でも、”そんなもの知らない”と突き返されたらぐぅの音も出ん」
「たしかにな。書状には何って書いてあった?」
「玄国の文字だからお前に読んでほしんだって!」
「はぁ?」
「お前、簡単な読み書きはできるだろ? 頼むよ!」
「俺より、子牙兄ちゃんの方が完璧だと思うぜ。一時期は黒陵将軍の家に住んでたし」
羽の言葉に、淳は机に額をぶつけた。子どものように目を潤ませ、ぶつぶつと呟きはじめる。
「俺も、そう思ったさ。でも、子牙さんは何も言わずに出て行ったんだよ。子牙さんの御父上は今は遠方の県令補佐の任についているというし。俺達の知識じゃ玄国の言葉を正確に翻訳できないから」
「なんでだよ。玄国の言葉ぐらい訳せるだろ。玄国との翻訳も書記官の仕事だろ」
「そうなんだけれど、かすれすぎて読めないんだ。お前、そういうの得意だろ?」
「えぇ……。確かに、古書を読むのは得意だけどよ」
「頼む! こればかりは何らかの手掛かりが必要なんだ!」
「………明英が、連れ戻されるかもしれないってどういうことだ」
「……その書状に黒陵将軍の名があったからだよ。黒陵将軍と玄国にはいまだに確執がある。将軍がいたという黒狼族も玄国での立場は危ういときく。この書状の内容がもし、辰国への宣戦布告なら、将軍共々玄国に戻ってもらうという話が出ている。もちろん、孫娘である明英殿も一緒だ」
「………」
「明英殿にはお前は結構泣かされてきたし、不本意だったんだろ? 許嫁の話は」
「でも!」
明英は人前で弾けなくなり、御曹司としての価値がなくなった自分の側にいた。それに、澄の事件でも真っ先に駆け付けてくれた。
(それに……)
「いい澱む、か。はぁ………、協力してくれ、じゃないな。手伝え、羽」
「分かった」
羽はまた知らないところへ歩き出しているのを感じた。
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