第11話 北風の戦姫
演奏が否定されたことは、確かに痛手だが、そうそう悲観していられない。なにせ、猶予はあるようでないからだ。羽はある秘策を思いついた。
「最後の一日は練習にあてたいからな。せめて三日後までには結論が出ないといけないよな」
「あの……」
朝の市場を二人で並んで歩く。策とは違い、同年代なので周りの視線もいたくない。楽長に呼ばれた次の日の朝、羽はある場所に向かうため、澄を街へと連れだした。
「そもそも、后陛下の意向が全く分からない。あの演奏を否定できるなんて、思っても見なかった」
「あのぉ~……」
通りすがりに屋台で菓子を買い食いしながら通る。幼い頃は山を駆け回り、枇杷なんかを食べていたけれど、やっぱり街中で菓子を買う方が早いし美味しい。
「澄の演奏は大体わかったから、弾きなおさなくても大丈夫だ。それに、無理難題を押し付けたのは向こうの方で、澄は十全を尽くしてくれた」
「あのですね……」
「俺が楽長に呼ばれたのは、おそらく周家の名誉回復の布石にしたいんだと思う。楽長も、周家の親戚筋だし、周家に期待したいんだろうな」
「どこに向かっているんですか?」
視線がどうりで合わないと思っていたが、どうやらこの辺りは初めてだったようだ。それもそうだ。澄はまだ都に慣れていない。何百里にもわたる城の内部など、一年やそこらで把握できるものではない。
「実家だよ」
「実家っていうと……」
「周家本家」
「帰らせていただきますぅううう!!!」
「待てよ!?」
その場で体をひねろうとする澄を両手で押さえ、羽は言葉をつなげていく。
「俺だって本当は帰りたくないけれど、殿中曲に関しては家の連中に聞く方がいいんだ」
「だって! 周家本家ですよ!?? おれみたいなやつが来たら、面倒になるじゃないですか!!!」
「それは俺も思ったけれど、なんというか……」
あの演奏を否定されるのは、悔しいから。
そうこうしているうちに、周家の門が見えてきた。朱塗りに色鮮やかな彫刻が施された門は、懇意にしている貴族の屋敷から移築したものだ。周家には多くの芸術品があり、それのほとんどは貴族の家から譲り受けたもので、歴史的価値もある。
「さて、着いた」
「あれ? 誰か門に立っていますね?」
「門番なんていつの間に雇ったんだ?」
澄に言われ、羽は家の門の右側を見つめてみる。人影がある。その人影をよく見ようと目を細め、その正体に気づいた瞬間、羽は踵を返した。
「帰る」
「はい?」
「いいか、気づかないようにそぉっとだぞ、そぉっと。猫のようにしなやかに、ふくろうのように素早く」
「でも、さっきまで実家に行くって」
「事情が変わったんだよ!」
走り出す羽の背中を澄がおう。あまり機敏に動いているところを見たことが無い羽だったが、この時ばかりは脱兎の如き速さだった。澄はあっけにとられながらも、後を追う。
「どこに行こうっていうのかしら!」
二人の前に黒い影が差す。濃紺の衣に縫い込まれた銀糸が朝の光できらめいている。長い黒髪を高い位置で結い、風に遊ばせる。腰には細身の剣が帯びられ、一見すると物騒な女剣客の様ないでたちだ。
つり目がちな瞳には、異国の流れをくむような薄い茶色の色が宿る。肌はほどよく焼け、のびやかでしなやかな四肢からは活発な印象を受ける。
年かさは羽とそう変わらないくらいの少女は、羽と澄を見比べ、髪を手櫛で整える。
「なんでお前がここにいるんだよ! 明英!!」
「私が周家にお邪魔していけない理由なんてあるのかしら?」
「なら、なんで門に突っ立ってるんだよ」
ぞんざいな言葉に、少女は薄紅をさしたくちびるを真横に伸ばす。にやりと、嘲笑を浮かべる。
「そりゃ、最近家に戻ってきた御曹司がちょっとはましになってるかどうか気になるからに決まっているでしょう」
「あぁ、はいはい。適当に母上の長話に付き合って、さっさと帰れよな。お前のじぃさんうるさいし」
「うるさくしているのは、あんたがあまりにも情けないからに決まってるじゃない。噂じゃまだ、一曲も弾かせてもらってないって話じゃない」
「あれは――――!」
「どこのどなたかは存じませんが! その服装からどこぞの名家のご息女さまかとお見受けいたしました。羽さんになんてことを言うんですか!」
いつもの調子で言い合うものだから、少年の存在を忘れていた。少女は横目で澄を見る。その目がいかついせいで澄が軽く跳ねた。
「誰この子」
「俺の年下の先輩、かな?」
「へぇ、こんな小さな子に追い抜かれるなんて、さすがは羽ね」
言い返す気力もない。この少女はいわば松明のようなもので、周りの反応も自らを輝かせる薪にしてしまうので、付き合うだけこちらがつかれてしまう。
「こいつは俺が知らない間に親が勝手に決めて来た許嫁だ」
「いい、なずけ?」
「あら、許嫁としては認めてくれるのね」
にこにこと、こちらは喜色満面に言う。この娘は感情を素直に顔に出す。ありがたいと言えばありがたいが、少しは”読んで”貰いたい。
「こっちの足元見やがって……。お前こそ、大方候補がいないから俺みたいなのをあてがわれるんだ!」
「あら、いいのよ。私は子どもの時から決まっていることだもの。私はどうせ、この国から出られないのだから」
ほら、こんなふうに本音を晒しだす。羽は息をひそめて、少女に近づいていく。
「おい、それはここで言うことじゃないだろ。ほら、澄が困ってる」
「それもそうね。これは私の劉家とあんたの周家の問題。この子が考える話じゃなかったわね。ええっと、まだ自己紹介がまだだったわね」
佇まいを正し、腰を折る。
「わたくしは劉明英。そこにいる周羽の許嫁です」
突如現れた少女に当初の計画がガラガラと音を立てて崩れていく。羽は、心の中で頭を抱えた。
(確かに、”来るかもなぁ”って思ってたけど! でもさ、その気になったら殿中でも会えるじゃないか! 親友が殿中の女官だろ!!)
いつまでも路上でだべるわけにもいかず、羽は観念して家に二人をいれる。客間に通すと、二人の様子が思いっきり逆なので、笑えてしまう。控えていた家人に全員分の飲み物と菓子を出すように言う。その風景すら、澄には初めて見るものらしく、しきりに感心していた。
「物騒な格好をしてるけど、格好つけなだけで、剣だってじぃさんのお下がりだからな」
「じぃさん……。あ、さっきも煩いって……」
「はぁ!? あんたまたおじい様の悪口を言ったの? なんてやつなの!?」
掴みかかってくる明英をかわしながら羽ははぁとため息をついた。
「こいつのじぃさん、劉黒陵っていうんだけど、きいたことない?」
「もしかして、大将軍の劉将軍? 二つ名を襲名した時の宴に出席されていたような……。大柄で、額に傷がある……」
「ええ。私のおじい様は元玄国の将校で、今はこの辰国の大将軍として召し抱えられているの。あなたは、見たところ殿中の楽士のようだけれど?」
「殿中の楽士、斎澄と申します。お嬢様」
「お嬢様って呼ばなくていいわ。明英でいいわよ?」
「そーだぞー。こいつにお嬢様が務まるか」
「相変わらず口の減らない男ね。そんなんだから、私以外に話が来ない」
「そっくりそのまま返してやるよ。このおてんば」
「あら、よわっちぃ子犬がいっちょまえに吼えているわ」
言い合いを始める二人を斎澄は眺めている。このまま話が進まないと思ったが、いきなり許嫁だの大将軍の孫娘だの言われて、自分の頭が沸騰しそうになったので、それ以上言わないことにした。
(周家に関しては知らないことが多いし……それに)
―――― 澄。あまり周家とは懇意にしない方がいい。
頭によぎった声を澄はお菓子を食べることでごまかした。
「御曹司ぃー。入りますよー」
妙に間延びしたしわがれた声が入り口から聞こえてきた。声が聞こえると、羽は明英といい合っていたのをぴたりと止めて、低い声で言った。
「周福大叔父上。病み上がりの所悪かったな」
いいんですよーと、答えながら一人の老爺が杖をつきつつやってきた。うこん色の衣をまとっている老人は腰も曲がっているため、羽は手を差し伸べて自分の隣の席へと促した。
「御曹司の話は大体書簡にて分かりました……。こちらのお若い方が、件の二つ名、白露村の……ええぇと??」
「白露村の栴檀、斎澄と申します。初めまして、おじいさん」
「聞けば、15にも満たぬのに二つ名を襲名していなさるとのこと。この周福、長く生きるものですね。このような天賦の才能をお持ちの方と再びまみえることになろうとは……あれは、確か私がまだ殿中の楽士であった頃……」
あごひげを撫で、遠くを眺めはじめた大叔父を羽は慌てて引き留める。
「大叔父上、話が進みません。大叔父上はかつては后陛下付きの楽士であったと聞いています」
「あぁ、そうでした、そうでした。寄る年波にはかないません」
はは、と笑う老人の顔は毒気が無く、羽はうなだれるほかなかった。この大叔父は、今年で80も数えるほど長生きしているため、穏やかな性格がより穏やかになってしまっている。彼の話を最後まで聞けた覚えがない。
「后陛下はそれはもう厳しい方でしたよ。皇族に生まれつつも、母君が位の低い貴妃だったこともあり、肩身の狭い幼少時代をお過ごしでした」
「后陛下と遠吼孤虎との繋がりについて何かご存じではありませんか?」
羽が尋ねると、福ははぁ、時の抜けた声を出した。そのまま頭を撫でつけると、とんと検討も尽きませんね、と答えた。その答えに二人の顔が暗くなったのを見て取った福は、ぽんと手を打った。
「しかし、まぁ。殿中にあるのではありませぬか?」
「なにがです? おじいさん」
「台帳ですよ。楽譜の、貸出台帳ですよ」
「貸出台帳?」
教坊に一切関わりが無い明英が首をかしげる。
「貸出台帳か! なるほど、そこから……調べていくこともできるわけか!」
「それともう一つ、よろしいですか? 御曹司」
「うん?」
「数々の宴を主宰していらっしゃった御曹司なら、うすうす感づいておいでかもしれないのですが……」
目を伏せがちに、福が言葉を繋げる。
「なにを?」
「あのような場所で、遠吼孤虎は不釣り合いだ、ということに」
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