第2章(その3)

「よし、おれが見張っていてやるからな」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 唐突にそんなことを言われても、リテルは戸惑うばかりでした。

「そもそも、バラクロア様はご存じないかも知れないけど、人の物を盗むのは、良くないことなのよ?」

「そうなのか?」

 魔人は悪びれもせずそう言ったかと思うと、今しがた自分が見張りを務めると言ったばかりにもかかわらず、リテルの制止も聞かずに勝手に荷車の積み荷に手を伸ばし、無造作に被せられたぼろ布をまくり上げたのでした。

 見ればいくつか積まれた木箱のひとつが開封されていて、そこに子供の手なら一抱えもあるような大きさの堅焼きパンが詰め込まれていました。保存性を優先して固く焼かれたパンですが、得体の知れない木の実をぼそぼそとかじるよりはよっぽどご馳走には違いありません。

「これは食い物じゃないのか? そうなんだろう?」

「そ、それは……まあ、食べ物にはちがいないけど……」

 リテルが問われるがままに答えると、魔人は彼女の戸惑いなどお構いなしに、積み荷のパンを次々と無造作に投げ渡してくるのでした。空腹を抱える彼女には充分すぎるごちそうでしたが、それでも何だか悲しい気持ちになってくるのは、やはり人様の持ち物に勝手に手を付けているという後ろめたさから来るものでしょうか。悪いことをしてはいけないよ、という父母の教えが今更のようにぐるぐると脳裏を駆けめぐります。

「……ちょ、ちょっと待って。こんなに沢山、いっぺんに持てない」

 リテルが思い悩んでいる間にも魔人はおかまいなしにパンを彼女に押しつけてくるものですから、気がつけば両手からあふれ出すくらいの量を一人で持たされていたのでした。ところが、荷台によじ上っていたはずの魔人の姿はいつの間にかかき消えていて、その代わりに彼女が振り返った向こう側に、王国軍の兵士の一人が立っていました。

「こら! 貴様、何をやっているかッ!」

 怒鳴られたリテルは慌てて、反射的に走り出してしまいましたが、間が悪いことに向かった先に丁度その怒鳴った兵士が立ちはだかっていて、彼女はそのままその場にへたり込んでしまいました。

 あんまりと言えば、あんまりな成り行きではありませんか。気の進まない盗人の片棒を担がされていたと思ったら、彼女をそこに連れてきた当人は一人でさっさといなくなってしまったのです。

 リテルがおろおろとしたまま何も出来ずにいると、他の兵士達も声を聞き付けて、一人また一人とその場に集まってくるのでした。リテルはパンを抱えたまま、ただうろたえる事しか出来ませんでした。

 まあ魔人にしても、薄情にも置き去りにしたつもりはまるでなくて、単に人の気配がしたので思わず姿を消してしまったところ、リテルに同じ芸当が出来ないということをすっかり失念していたというだけの事だったのですが。

(リテル、逃げろ!)

 耳元でそんな魔人の声がして、リテルは思わず、どこへ、と声に出してしまうところでした。そもそもどうやって、と思った瞬間、不意にリテルの目の前で……厳密にはリテルに詰め寄っていた兵士達の前で、突然大きな火柱が吹き上がったのです。

 兵士達は多いに慌てましたが、もちろんリテルにはそれが誰の仕業かはすぐに分かりましたので、言われたとおり暗がりに向かって闇雲に走り出したのでした。抱えたパンの大半は放り出して――それでも一斤だけはしっかりと小脇に抱えたまま、兵士達の間をうまくすり抜けていくのでした。兵士達も炎に右往左往しているばかりではなく、逃げた少女を一応は捕らえようとしますが、火柱が立て続けに吹き上がって、行く手を阻まれてしまうのでした。

 あちこちであがった火柱はそのうちひとつに寄り集まっていったかと思うと、いつぞやの晩に村人達の前に現れたように、禍々しい悪鬼のような形相を、兵士達の前に見せたのでした。

「うわああああっ!」

 そんな恐ろしげな形相が、より火勢を増しながら自分たちに向かってくるのをみて、兵士達はいよいよ確信したのです。この地に魔人が出没したという話は、本当の話だったのだと――。

 一方、逃げおおせたリテルは、少しばかりやり過ぎではないか、と思いつつも静かにその場を離れていくのでした。まさか山まで歩いて戻らなくても、適当なところで魔人が連れ戻してくれることでしょう。

 その魔人はと言えば、あわてふためく兵士達を思う存分に脅かしつけて回っていたのでした。彼自身も少しやり過ぎではないかと思ったのは、調子に乗っているうちに部隊の糧食を積んだ荷馬車に火が燃え移ってしまい、思いがけず火事を引き起こしてしまった事でしょうか。

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