第4章(その2)
* * *
リテルが心配したのはまず王子の怪我の具合でしたが、これは全然大した事はありませんでした。骨折でもしていようものなら魔人やリテルには手が負えませんでしたから、ふもとに運び出す必要があったでしょうが……本人がやたら大げさに痛がっていた割には、実際にはほんの少しばかり足首を捻った程度で、布で縛って固めておけば大丈夫そうでした。それでも一応、リテルは魔人にこっそり村に連れていってもらって救急箱やら湿布薬やらを持ち帰って、手当を施したのでした。
ホーヴェン王子も、魔人が少年の姿をしていることもあってか、所詮子供の二人連れとあなどって制止を振り切って下山しようと試みたことも二度三度ありましたが、そのたびに魔人が恐ろしい炎の姿になって行く手を遮ったのでした。さすがにそれには肝を冷やしたのか、それ以上脱走しようという試みはあきらめてしまったようでした。その本性は恐ろしい化け物なのだと知って、普段の少年の姿を目の当たりにしても、どこか落ち着かない素振りを見せる王子なのでした。
……ちなみにリテルにしてみたら、おそろしい姿の方こそ人をおどかすためにわざとつくった姿だと認識していたので、もはや欠片たりとも怖いとは思わなかったのですが、それはそれ。
ともあれリテルの方も、まさか自分が誰かを閉じこめて帰さないような役回りになる日が来ようとは夢にも思ってはいなかったわけで、しかも相手は何番目かずっと後ろの方とは言え王位継承権を持つやんごとなき御仁なのです。どう扱い、どう接してよいのやら、ひたすら戸惑うばかりでした。足首はじっと安静にしていればそのうち治るでしょうが、問題は食事です。リテル自身の分すらままなっていないというのに、こんな洞穴にまともな厨房や一流の料理人がいるわけでもなく、王族に相応しい贅をこらした美食など、到底望むべくもなかったのでした。
ホーヴェン王子自身は、美食家でもなければ浪費癖もなく、今回のように王国軍の小さな部隊の細かい任務に同道しては、一般の兵卒と同じ飯をくって野宿するような状況をとくに何とも思ってはいませんでしたし、敵の虜囚ともなれば満足な食事も与えられないこともあろう、という覚悟もあらかじめ無かったわけではありませんでした。何が不満と言って、囚われの身になったというその事実そのものが、王子にとっては屈辱以外の何物でもなかったのでした。
しかも魔人を名乗る怪しい氏素性の少年と、ふもとの貧しい村の小娘と、自身を捕らえているのはこの両名なのです。屈強な軍勢の頑強な兵士達に取り押さえられでもしたならともかく、どうしてこういう境遇に陥ったものか、その経緯が彼にしてみれば大いに納得しかねるものがあったのでしょう。
それでも出された食事は丁寧に平らげ、食器を下げにやってきたリテルに向かって、ぼそりと告げたのでした。
「おい、娘」
「は、はいっ……!?」
「あの少年が魔人だとして、食事はどうしているのだ。やっぱり人間の生け贄をとって食らうのか?」
その質問にリテルは、とんでもない、と首を横に振ったのでした。
「バラクロアさまは、人間のような食事はしないんですよ」
「そして俺が見た限りではここにいるのはあの魔人の他にお前だけだ。ならば、この洞穴に食糧の備蓄などあるはずもないよな。……お前の食い扶持を、魔人はどうしているのだ」
「そ、それは……」
「俺の食事はどうだ? どこから持ってきているのだ?」
「えーと、それは、そのう……」
「我が軍の糧食をかすめ取っているのだろうが! ええい!」
王子は急に声を荒げると、空っぽの木皿を思いっきりあさっての方角に向かって投げ飛ばしたのでした。かっとなって物に当たるというのも育ちのよい貴人の振る舞いとは到底言えませんが、ふがいないこの現状を鑑みれば、そういう腹の立て方をするのも無理はなかったかも知れません。
「何という悪辣なガキどもだ!」
そんな調子で、憤るままに悪態の言葉を片っ端から並び連ねる王子のありさまは、魔人の炎などよりもよっぽどリテルを怯えさせるのに充分でした。年端も行かぬ子供が怯えているのを目の当たりにして、王子も自分の身分を思い出したのかふと我に返って、咳払いなどして誤魔化すのでしたが、かといってそれ以上悪びれるでもないのがこのホーヴェン王子という御仁なのでした。
「大体、お前は虜囚でもないのに、どうして山を下りないのだ。両親も心配しているのではないか?」
「まぁ、それはそうなんですけど……」
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