第7話 あなたの痛み、買い取りします

「……なるほどねぇ。ずっとそんな感じで、最後の最後に言われた言葉がそれ、ねぇ」


 ……あれから大和は、目の前の彼女に洗いざらいをぶちまけた。

言われた言葉を思い出し、言葉に詰まってしまったり、当時の状況がよみがえり、堪えていた涙が溢れてしまい会話にならない時もあったが全てを話した。

女性はその間、自分を慰めることもなければ、早く続きをと促すこともなかった。時折大和の会話に相槌をはさむ以外は、ただただ大和の独白を話し終えるまで聞き続けていた。


「……以上だ。」

 途切れ途切れになりながらも全てを話し終えた大和は、どこかすっきりとした気持ちになっていた。思えばこの数年間、誰かに思いの丈をぶちまけたことなど無かった。


「ん。お疲れさん。とりあえず顔洗って一服してきたら?」

 そう言って彼女は自分のバッグからポケットティッシュを渡してきた。そんなに酷い顔をしているだろうか、と思いながらも受け取り広場の水道で顔を洗い、貰ったティッシュで顔を拭い、灰皿の前で一服する。

 何故彼女が自分の心情を知ることが出来たのか、という疑問は残るが、大和は最後に誰かに自分の思いを吐露できたことだけで満足していた。彼女に出会っていなければこの思いは誰にも打ち明けられずに自分の胸にしまったまま終わっただろう。少しすっきりした気持ちで大和はタバコを吸い終え彼女の元へ戻った。

「うん、落ち着いたみたいだね。で、本題はここからなんだけど」

 戻ってきて早々、彼女は大和の顔を見て言った。


「その『痛み』、私が買い取ってあげようか?」


「痛みを買い取る……?どういうことだ?」

彼女の言葉の意味が分からず問いかける。

「そのままの意味だよ。忘れられない記憶は、忘れたい記憶。あなたにとっての記憶は、『痛み』。それを買い取るってこと」


 そう言われても、にわかには信じがたい。そんなことが本当に可能だというのか。


「……きみは本当にそんなことが出来るっていうのか?」

大和の問いに、彼女はあっけらかんと答えた。

「きみ、じゃなくてヒスイ。宝石の翡翠ね。そういや名前を聞いてなかったね。あなたの名前は?」


 言われて名乗っていなかったことに気づき、大和はヒスイに自分の名前を名乗る。

「大和ね。了解。それで大和、そんなこと出来るかって言ったよね。うん、出来るよ」

 さも当然のようにヒスイが言う。

「本当に……そんな事が出来るっていうのか?正直、信じられないんだが」

 当然のことだと思うが、ヒスイの言葉になおも疑いの目を向ける。

「まあ、無理もないよね。でもさ、どうせ死のうと思ってるならちょっと信じてみない?」

 ヒスイの言葉に大和は胸中で考える。ありえないと思いつつも、もし本当にあの上司に吐かれた言葉や、受けた仕打ちを消せることが出来るのなら、今も自分を蝕む、忌々しいトラウマから解放されるかもしれないのだろうか。


「……もし、それが出来るっていうなら……頼む」

 自分がそう言うと、ヒスイは無言で頷いた。


「で、どれくらい買い取ればいい?任せるよ」

 ヒスイの言葉に大和はしばし考える。ヒスイの言葉が事実だったとしよう。あの会社にいた時の悪夢の日々は、確かに耐え難い時間だった。だが、求められることを出来なかった自分に対しても不甲斐なさがあった。そもそもミスを挽回出来なかった自分にも非がある。それは変えようのない事実であった。

だが、そこから始まった度を越した上司の罵詈雑言や、謂れのない人格否定の発言だけは到底受け入れられるものではなかった。


「……上司の顔と、言われた言葉を。それだけでいい」

 自分の回答に、ヒスイは少し意外そうな顔をする。

「それだけでいいの?職場にいた時の痛みを丸ごと買い取ることだって出来るのに」

「ああ。それでいい。……勝手な言い分だけど、一方的な被害者面をしたくない。あいつの顔と言われたことが本当に消えるのなら…他のことは受け入れて、変われるかもしれない」

 大和がそう言うと、ヒスイはうなずいた。


「そっか。大和がそう思うなら、それがいいんだろうね」

 そう言ってヒスイはベンチから立ち上がり、大和の前に立つ。

「よし、じゃあ早速始めようか。大丈夫。すぐ終わるから」

「ここで……?そんなすぐ出来るものなのか?」

 そんなすぐに言って始められるものなのだろうか。疑問に思う大和を意に介さず、ヒスイは大和の頭に手を置く。

「目を閉じて。なるべく何も考えないでぼうっとしていて。終わったら声をかけるから」

 ヒスイにそう言われ、大和は目をつぶり出来る限り何も考えないようにする。


『――貴方の痛み、買い取りします――』

 閉ざされた視界の中、ヒスイの声だけが頭に響いた。

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