満州の芳江

阿月礼

第1話 篠原家


1-1 日常

 「ヨシエ!ヨシエ!」

 篠原家の妻である篠原奈美子の声が響いた。

 「ヨシエ!何なのこれ?あまりきれいになっていないじゃない。やり直し!」

 奈美子は倉本芳江を𠮟りつけた。

 倉本芳江が東京の山村家から、その親戚である、ここ篠原家に移って来てから約1カ月になる。芳江はこの篠原家の女中になっていた。

 芳江は、東京で藤倉妙子と別れる時、妙子に告白したように、余り器用な女性ではない。屋敷の中の清掃も、何かしら抜けているところがあった。ガラス窓のふき方にもそれは出ていた。

 奈美子は奇麗好きというか、自分の周囲が常に自身の思い通りに整っていないと気が済まない女性であった。何か抜けた感じの芳江では、奈美子の満足いく家事は、出来ないようなのであった。

 嘆息交じりに、奈美子は言った。

 「前に雇った子は、もう少しまともだったのに何てことかしら。主人の親戚の山村

 さんから家事に慣れていると聞いて、もらってやったのに」

 「申し訳ありません、奥様、以後、気を付けます」

 芳江は詫びた。

 しかし、人間には色々と性格や癖といったものがあるものである。芳江も既に30年の人生を歩ゆんで来て、その癖や性格が容易に直るものとは思われなかった。

 芳江にとっては、とりあえず今、ここ篠原家しか身の置き所はないのである。故に、奈美子のほぼ毎日の𠮟責にも耐えてはいるものの、いつまでも耐えられるものでもないだろう。

 「新天地を求めて」というよりも、現実から逃避する必要性に迫られている、というまさに現実の下にあった。

 「現実逃避」

 この言葉は悪い言葉として利用されることが多い。中退はしてしまったものの、かつての女学校でも、又、零戦製造工場でも、

 「今、我が祖国・大日本帝国は非常時を生きている。お前等、婦女子も、この現実

 から逃避する『現実逃避』をしてはならない!」

 とよく言われたものであった。

 日本は、昭和17年のミッドウェー海戦での勝利から、昭和30年の今日に至る迄、既に13年も、「非常時」が続いていた。昭和6年(1931年)の満州事変勃発から数えれば、既に24年の長きにもなっていた。「非常時」と言いながら、その体制が既に「常時」だった。そんな体制の中、自分の自由意思での行く宛がないのが芳江の人生の現実だった。

 それでも、篠原家での今の現実からは逃避しないと、精神的にどうにかなってしまいそうである。貧しい小作人の家に生まれ、―それでも、親は自分を女学校に行かせてはくれたものの―、苦労を多く背負い込んできたとはいえ、いつまでも、こらえられそうにもなかった。

 そんな芳江が自由になれるとしたら、海外への移住しかないようであった。芳江はかつて両親から聞いたことがあった。明治時代、近所でも移民船に乗って、中南米方面に移住した人々が数家族いた、と。

 昭和の今なら、地元の警察が発行した身分証明書が必要ではあるものの、満州へはパスポートなしで渡航できると聞いていた。芳江が現実逃避できるとしたら、このルートしかなさそうであった。

 実際、この田舎でも公民館や役所の壁には、

 「行け!満州へ!」

 「拓け、日本の生命線・満蒙を!」

 といったポスターが貼られているのを見かける。昭和30年現在も、満州への移民は国策として奨励されているのである。

 芳江としては、どうやって、その流れを利用しつつ、ここを脱出するか、であった。

 「ヨシエ!ヨシエ!」

 「!?」

 芳江は奈美子の声で我に返った。先程から、自身の「脱出計画」というべきものに思いを巡らせている間に、掃除の手がかなり遅くなっていたらしい。またまた叱責された芳江であった。奈美子の声が、芳江を、今は彼女は掃除をすべき篠原家の女中である、という現実に引き戻した。

 「芳江、掃除が終わったら、夕食の支度をしてちょうだい。米はかまどの近くにおいてあるから」

 「はい、かしこまりました。奥様」

 掃除の次は夕食の支度。次々に「仕事」は降って湧いてくる。一体、芳江は、誰の人生を歩んでいるのだろうか。

 芳江がかまどの近くで火を起こし、米を炊いていると、玄関先に自動車の音がした。外出していた主人、篠原豪一が帰宅したらしい。奈美子は芳江を迎えに行かせようかとも思ったものの、ここは自分で迎えに出ることにした。「妻」つまり、篠原家での女性としての第一の地位は自分の地位として守りたかった。


1-2 篠原夫妻

 「おかえりなさい、あなた」

 奈美子は黒塗りの車から降りた篠原家の戸主・豪一に声をかけた。

 「うむ」

 豪一は一言発すると、門扉をくぐり、玄関に入った。彼は縁側を通り、自分の部屋に向かった。

 「あなた、すみません。芳江は家事が下手なので、あまり奇麗になっていなくて」

 「うむ」

 豪一は気難しそうな表情を浮かべつつ言った。掃除のことについては、あまり気にしていないようである。

 奈美子としては、

 「芳江の奴、役に立たぬ女中だ。わしが叱りつけてやる」

 とでも、豪一に言って欲しかった。そうすることで、自分を芳江の上に位置付けたかったのである。

 篠原家では、先の奈美子の言葉通り、以前にも若い女中を雇っていた。勿論、建前としては単に、「お手伝い」として雇っていたのである。しかし、彼女は本音では、豪一の妾、あるいは「第二婦人」として雇っていたのである。故に、奈美子は屈辱に堪えねばならなかった。奈美子にとっては、芳江も同じ存在であった。

 篠原に嫁いだ奈美子はこの近所の村のある家から嫁いで来た。見合いによるものではあったものの、地主同士の家による人間の結び付きの強化、といった側面が大きかった。奈美子もまた、自分の意志と無関係に動かされたわけであり、誰の人生を歩んでいるのか分からない面があった。

 明治34年(1901年)生まれの奈美子は、今年で54歳になる。明治生まれの彼女は

 「一歩下がって、男を立てるべし」

 とされた。奈美子としては男としての豪一をたてたつもりであった。しかし、豪一は妾を持ち、自分はその屈辱に堪えねばならない。こんな状態が20代で嫁いでから、20年以上も続いていた。だから、篠原家の中での女性陣の中での第一人者は自分だ、ということを明らかにしたかった。それを豪一の何らかの台詞で確認したかったのである。

 しかし、今、豪一の口からは期待した台詞は発せられなかった。奈美子は少しく失望した。

 奈美子は、明治、大正、昭和と3つの時代を生きて来た。女学校にも通ったし、鉄道が敷かれ、自動車が走るようになり、電話が引かれるのを目撃して来た。時代の変化の目撃者でもあった。そうした鉄道や自動車といった文明の利器に乗って運ばれて来る都会でのある種の自由な生活の噂を耳にしたこともあった。

 若いころには、生まれ故郷や、この家の豪一を放り出して、都会―例えば、東京―にでも出てやろうか、と思ったこともあった。

 しかし、地域が地域である。そんなことをすれば、すぐ、村々の噂になり、実家は周囲から白い目で見られるかもしれなかった。故に、実家を含めた周囲が奈美子にそんなことを許すわけもなかった。それでも何とかしたい、と思うなら、家出という手段もあったかもしれない。しかし、地主の家庭でそれまでそれなりの良い生活をして来た奈美子に家出するほどのバイタリティーがあるわけでもなかった。自由への決断ができないまま、半世紀ほどの時間が経っていた。

 そんな奈美子にとって、現実的な自分の心中を満たす方法が、妾を兼ねた女中に対して、自分を上に位置付け、優位に立つことであった。それが、芳江に対する叱責という形で具体化していたのである。

 自室に入っていた豪一は紺の浴衣に着替えると、ふすまを開けて廊下に出て来た。


1-3 夜明け

 その日の夕食は、米飯と魚、山芋等であった。米飯は勿論、芳江が炊いたものであった。それぞれが、それぞれの御膳で食べるのである。少なくとも米飯が口にできるだけ、食事という面では芳江にとってはまともなものであったかもしれない。以前の山村家でも、米飯は出ていたものの、その調達には配給制度が半ば機能しなくなっていたことによって、ここ篠原家から調達することを含め、難儀していたはずである。

 「ごちそうさま、先に下がらせていただきます」

 そう言う芳江に、豪一が声をかけた。

 「後で、わしの部屋に来なさい」

 そこには芳江にとっては半ば有無を言わせない響きがあった。

 「はい、旦那様」

 奈美子は、自身の御膳を持って厨房に下がる芳江を一瞬、睨みつけた。豪一は奈美子の表情に気づいたかどうかは分からぬが、別段、表情を変えるでもなかった。これが豪一率いる篠原家の常識であり、日常だったからである。

 夕食後、数時間して芳江は豪一の部屋に行き、その晩を一緒に過ごした。 午前6時ころ、芳江は目を覚ました。外は夏ということもあり、明るさを増していた。東から照りつける日光が、西に位置する部屋の壁を照らし、満州をはじめ、日本地図等、壁に貼ってあった地図を強調するように照らした。

 芳江に続き、豪一も目を覚まして来た。それに気づいた芳江は朝の挨拶をした。

 「おはようございます、旦那様」

 「うむ」

 豪一はそう言うと、壁の地図を見ている芳江に気づいたらしく、

 「どうした」

 と言った。

  芳江は問うた。

 「旦那様は旅行好きでいらっしゃるのですか」

 「うむ。わしは近く、奈美子とともに温泉旅行へ行き、親戚回りもする。お前は来るか」

 豪一は言った。

 豪一は旅行好きの男なのかもしれない。戦時統制の続く今日では、私的な楽しみでの旅行等は一般庶民にとってはほぼ完全に手の届かぬ贅沢になったいた。しかし、地主のような一部の人間にとってはそうでもないのかもしれない。生命線たる食そのものを握っている地主にとっては、半ば遊んでいても蓄財は可能なのであろう。

 「いえ、どうぞご夫婦お二人での水入らずでの旅をお楽しみください」

 「そうか」

 「それでは私は今朝もまた、仕事が有りますので」

 芳江は自身の浴衣を着なおすと、廊下に出た。その際、改めて日光で明るくたらされている「満州」の地図を見た。「満州」が何だか、自分にとっての明るい希望であるかのように見えた。篠原夫妻が留守になるのは芳江にとって、

 「明かるい希望」

 への絶好の機会であった。この機に海外脱出ができるかもしれない。芳江は思わず人生を転換させうるかもしれない光が差し込んだことに心中が軽くなった。

 相変わらず、何処かからか、

 「ヨシエ!ヨシエ!」

 の御定まりの声が聞こえた。しかし、海外へ脱出できれば、この声を聞くのも終わりにできるのである。芳江の心中に希望の灯が灯ったようであった。

 芳江は奈美子の元に向かいつつ思った。

 「自分は、篠原家の半ばただ働きの女中にして、苦しい毎日。しかし、印鑑を持ち出して銀行財産から未払いの給与としていただいたうえで、土地登記書もなんとかしてやる」

 芳江は奈美子に

 「おはようございます、奥様」

 と挨拶した。心中に希望が生まれたからか、何かしら明るい声である。

 奈美子は挨拶も返さずに行った。

 「さっさと朝の準備、それから庭の掃き掃除、それが終わったらいつもの銀行で〇

 〇円を下ろして、駅で国鉄の一等の××行き切符二人分を買ってきてちょうだ

 い。旅行に行くんだから」

 さらに奈美子は続けた。

 「必要な書類を書くのもこの家の女中の仕事。ドジで女学校中退のあなたでも銀行

 等で普通で文字を書くことくらいできるでしょ」

 「印鑑のありかを知る好機会!」 

 心中で叫んだ芳江は言った。

 「はい、奥様、承知いたしました。ですが、銀行でお金をおろすなら、印鑑が必要

 でしょうが、どこでしょうか」

 「さっきまであなたがいた主人の部屋にあるわ。後で部屋に戻って、借りてらっし

 ゃい」 

 芳江は内心でほくそ笑んだ。

 「この家の印鑑のありかが分かった。そちらから、こちらの脱出作戦に都合よく動

 いてくれるとは。後は出来れば、土地登記書のありかも分かれば」

 芳江は内心で脱出計画を具体化させつつ、 返答した。

 「はい、しっかりやらせていただきます」

 そこには「脱出計画」を「しっかりやらせていただきます」という意味がこもっていた。


 

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