もう1つの東西冷戦―南北日本並立編

阿月礼

第1話 1967年夏

1-1 事件発生

 

 新聞は既に4面のみの薄いものになっていた。そんな日々の中、

 <南>

すなわち、大日本帝国に配布されている新聞は、既に1942年(昭和17年)以降、

 <大東亜共栄圏死守>

 <赤魔の脅威、銃後の備えを怠るな>

等の社説が掲載されていることが、日々の大きな内容であった。何の面白みもないのである。故に、

 <北>

の放送である

 <人民の声>

が人々、特に若い層の関心を引くようになっているようなのである。

 <大日本帝国>

は、それこそ、その体制そのものの教育によって、

 <神州不滅>

の信念を持ち、天皇をいただく祖国であると、繰り替えし叩き込まれて来た存在であった。しかし、それは、潤いのない、日々、 無味乾燥の、何というべきか、

 <牢屋>

のようなものであった。与えられている情報が、常に同じであることから、心中においてさえ、考えることが同じになってきているかのようでもあった。

 人々が常に考えていることといえば、食糧不足等による生活不安のことであった。

 その意味でも、心中において考えていることは常に同じであり、

 <自由>

はなかった。物質的自由も、精神的自由もないのが日々の生活の現状であった。

 人々は、個人の内外において、自分が自分でない状況が続いていた。

 そんな状況の中で、各家庭において、配達される新聞を朝、ポストから取り出すのも、

 <日々の生活>、<日常>

であった。

 村田家では、朝、配達される新聞を取りに行くのは、6歳になる長男・健児の仕事である。主婦・妙子が、2階で目を覚まし、1階に降りてみると、既にちゃぶ台の上に新聞が有り、健児は起きて来ていた。今は、夏休みということもあり、健児は健児なりに、夏休み期間を楽しみたい、と思っているらしかった。

 母・妙子は、健児に声をかけた。

 「おはよう」

 「お母さん、おはよう」

 しかし、健児には、母・妙子から次に出て来るであろう台詞に嫌な予感がした。

 「宿題、どこまで進んでいるの?」

 予想通り、あるいは案の定、と言うべきか。

 <勉強>

に関する、急かされる言葉が出て来た。

 「わかってるって」

 「分かってるって、いつも、お母さんが言うまで、真面目にやらないでしょ」

 またしても、何時も通り、母・妙子から畳み掛けられた。健児としても、

 <真面目>

に、宿題をやらなければならないことは、子供心に分かっていた。しかし、健児には、健児なりの

 <世界>

があった。

 <非常時>

が言われ続け、玩具もろくにない日々ではあるものの、自分なりの空想の世界へと入るのが、健児の楽しみであった。

 戦時が続くこの国では、風呂を焚くガスも供給が停止しがちな昨今である。各々の家庭では、生活の対策として、薪で風呂を沸かし、又、炊事をなすのが常識になっていた。この他、少ない食料品が入手できたら、腐らないうちに、なるべく早くに食べてしまわねばならない。勿論、生のままでは食べられ無いことも少なくない以上、

 <火>

は、やはり、不可欠な生活用具と言えた。

 そうした具合であるから、村田家の裏にも、焚き木が積んであった。健児としては、その一部を貰い受け、ナイフで削って、軍艦や、飛行機の形にすることで、或いは、紙-これも貴重品であるものの、とりあえずは、ノート等は確保できていた-の上に空想の世界を描くのが健児の楽しみであった。

 しかし、母・妙子の口から出される 

 「宿題・・・・・」

という言葉は、健児を彼自身の世界から、

 <現実>

という、半ば自身では抗えない世界へと、引き戻すのが、健児にとっての<日常>であった。

 今朝も、その言葉が健児にかけられた。虫の知らせがあたったとでも言うべきかもしれない。それこそ、

 「宿題」

は、母・妙子の口から出る月並みな語句でしかなかった。健児の日々の生活において、無論、

 <日常>

でしかなかった。健児が発する

 「分かってるって」

も又、<日常>でしかなかった。しかし、健児は一瞬、恐怖を思った。

 「母ちゃん、怒るかな?」

 電気も時々、停まる日々である。暑い夜中に電気が止まれば、それだけ寝づらい日々である。寝付かれない不快さから、母の機嫌も悪くなるのである。そんな時には、母の健児に対する態度も自然と悪くなって来る。

 しかし、今日は、夜間の停電もなかったこともあり、母の期限もそこそこのようである。

 「新聞、置いておいたから」

 健児は、そう言うと、一度、2階の寝室に戻った。妙子から、改めて、

 「勉強しなさい」

と言われるのが嫌だったのか、或いは、早く、自分の空想の世界に入りたかったのか、それとも、夏休みの宿題のうちの今日のノルマを真面目に済ませようとしていたのか。

 朝食まで、まだ少し、時間があった。妙子は、健児がちゃぶ台の上に置いてくれていた新聞を広げてみた。

 <社説>

は、何時も通りの内容である。そこには、

 「赤魔に対する皇国の心意気を忘れるな」

とあった。

 まさに、いつものことであって、空気のような存在である。

とは言うものの、妙子は、その社説を読み始めた。朝食まで、暫く、彼女自身の時間を持ちたかったのかもしれない。朝食準備は、妙子の仕事でもある。薪を割って、火をつけねばならない。しかし、誰しも、自身1人の時間も欲しいものである。

<社説>は、妙子に語りかけて来た。

「我が同盟国・満州国が失われ、又、朝鮮が敵の手に墜ちた現在、しかし、なお、大東亜共栄圏は、東南アジアの我が同胞諸国によって、支えられており、皇国を支持せんとする意気は軒昂である。我が皇国・大日本帝国は皇軍将兵の高き士気によって支えられており、その士気たるや、同じく軒昂である」

しかし、国土の北半分に、この国では<北>と称せられる

<日本人民共和国>

が成立し、大日本帝国は国土の北半分を奪われていた。帝都・東京は現時点まで、失陥してはいない。空襲、戦闘もなかったものの、日々の生活実態からすれば、今朝の

<社説>

は、最早、それこそ、単なる

 <建前>

と思わざるを得ないものであった。又、

 <北>

から逃げてきた人々によると、日本軍とソ連軍の間で激戦がなされた地域もあり、はじめての経験というべき激戦を目の当たりにしたのだという。

 しかし、そうした人々を迎え入れることになったこの国も、又、生活は厳しいのである。彼等、彼女等を養いうる力は多くの場合、存在していないと言っても良かった。妙子の近所にも、そうした一家が、空き家となっていた家屋に暫く、住んでいたことがあった。

だが、その一家は改めて、他所に転居して行った。妙子はその際、その一家から、別れの挨拶として、

「奥さん、おせわになりました。どうか、ごきげんよう」

と言われ、妙子は、

 「いえ、なにもできませんで、すみませんでした。皆さんもどうぞ、ごきげんよう」

と言って、去って行くその一家を見送ったのだった。

 「いえ、なにもできませんで」

 この台詞は、所謂

 <社交辞令>

つまりは、<社会>という、それこそ、社会を日々の生活として生きる各個人間の互いの付き合いのための潤滑油として使われる言葉であろう。しかし、1967年(昭和42年)の今日、

 「いえ、なにもできませんで」

は、社交辞令等ではなく、まさに、

 <社会>

の現実そのものであった。誰もが、生活が苦しいのである。妙子は、その台詞通り、その一家に対し、何もできなかったのである。

 そんな妙子に、<社説>が引き続き、語りかけて来た。

 「満州、朝鮮、北日本が奪われたとはいえ、赤魔への反撃の日を志し、銃後も備えを怠ってはならない」

 妙子は心中にて、半ば、怒りを込めつつ呟いた。

 「反撃の日って、一体、いつのことになるのよ」

 <社会>

の側と言うべき各個人は、それでなくても。日々、苦しい生活なのである。

 <反撃の日>

以前に、現状維持、或いは、生活を護るという意味での、なんと言ったら良いのか、軍事的用語で表現するならば、

 <専守防衛>

さえ、維持しうるかどうか、という状態である。まさに、

 <青息吐息>

の状態なのである。そんな状況の下、<反撃>と称して、さらなる負担になど、耐えうるとは、とても思われない。

 そんな気持ちをいだきつつ、妙子は、別の紙面を見てみた。

 「東京市内の〇〇にて、死体発見。殺人事件の可能性」

とあった。殺人と思われる事件が発生したようである。

 殺人のような犯罪が、許されるわけはないし、本来、面白く読める記事のネタであろうはずもないであろう。

 しかし、日々、同じ内容の記事が掲載されるのみで、しかも、わずか4面程度といった新聞という無味乾燥な日々の中では、

 <犯罪>

であっても、何か、非日常を思わせるものがあり、妙子は興味をそそられた。記事は、

 「昨日、7月☓日、東京市内〇〇にて、男性の死体を発見、鈍器のようなもので、頭部を強打されたような跡があり、殺人事件と見て、警視庁は捜査を開始した」

と事件の概要を開設していた。そして、

 「被害者は、市内に居住と思われる黒川慎一氏の模様」

と伝えていた。

 妙子は少し、不審な表情となった。

 「クロカワ・・・・・」

 何処かで聞いたことがあるような苗字である。

 何処で聞いたのだったであろうか。

 「あ、思い出した」

 暫く前に、女学校時代の友人・柴崎富子が、言っていたのである。

 「私ね、彼氏ができたの。クロカワさんって、言うのよ」

 富子としては、これまでに何回か、親にお見合いをさせられていたものの、どの相手とも上手く、縁談がまとまらなかったのである。

 富子としても、30歳近くになっていた。女学校時代からの友人・妙子も結婚しており、富子も何か、焦っているようなところがあった。親からも、

 「誰か、良い人はいないのか?」

と問われることも多かったようである。周囲は何かと、色々、うるさいものなのである。

 富子は、今後、どのような人生を送らせられるのであろうか。この国では、未だに

 <家制度>

が残り、女だから、と差別的に扱われるのが半ば常態であった。女性の人権は今なお、大幅に制約されていた。

 加えて、妙子達が物心ついた時には、カフェもおしゃれも大幅に制限されており、然程の楽しみもない日々であった。それが昭和42年の今日も変わることなく続いていた。楽しみも殆ど無い今日、しかし、一体、どんな生き方が有り得るだろうか。

 そんな中、妙子が富子に、地区の中で出会った時、富子が先の台詞を嬉しそうに、言ったのであった。

 妙子は心中にて呟いた。

 「クロカワさんって、まさか、富ちゃんの彼氏のクロカワさんのことじゃないよね」

 クロカワ=黒川は、社会の中で、佐藤、斉藤等程ではないかもしれないものの、結構、耳目にする氏名である。多く存在しているから、富子の彼氏と重複していてもおかしくはない、だので、記事の事件は富子には関係ない話であろう。

 「妙子さん、朝の準備は?」

 姑の則子の声であった。ちゃぶ台のある居間の壁にかけてある時計を見ると、午前7時過ぎであった。自身の世界に耽溺していた妙子は、則子の声によって、彼女自身の心中の世界から、

 <現実>

の世界へと引き戻された。

 「あ、すみません、お義母さん」

 現実の世界へと引き戻された妙子は、朝食を準備すべく、家の裏に薪を求めて行った。


1-2 薪置き場


 家の裏に廻ってみると、健児がいた。自分の玩具をつくるための材料にすべく、薪を見ていたのであろう。

 妙子は自身に背を向ける形になっている健児に声をかけた。

 「健児」

 声をかけられた健児は、少し驚き、上半身を少々、震わせて背後を振り返った。

 「あ、お母さん」

 「今日の宿題の予定は?」

 「まだ、これからだよ」

 またしても、月並みな表現である。

 「いつも、そう言っている」

 妙子も月並みな表現で返した。

 「とにかく、朝の支度をするから」

 そう言って、健児をその場からどかすと、朝食のための薪として火をおこすのに必要な、或いは、使えそうな薪を数本、抱え、台所に向かった。

 台所に戻ると、則子がいた。台所のまな板の上には、既に切り刻んであった。じゃがいもや南瓜等があった。

 「すみません、お義母さん。今、支度しますので」

 そう言うと、かまどに薪を放り込み、さらに、かまどの脇に既にあった小枝やボロに火をつけ、かまどに入れた。しかし、勿論、これだけで火が起こるわけではない。ふいごで風を送り、火が起きるように促さなければならない。

 「妙子さん、大丈夫?」

 則子が妙子を気遣った。

 「私が田舎にいた時には、竹の筒で、息を吹き込んでいたから、ほんと、しんどかった」

 確かに、息をかまどの中に吹き入れ続けるのは、しんどかったであろう。息切れもしたであろうし、苦しかったに違いない。

 それに比較すれば、ふいごがあるのはありがたかった。見れば、村田家の台所にも、ガス管は通ってはいるものの、度々、停止していた。最早、ガスは電気同様、生活用具として頼りにならなかった。今では-村田家以外もそうであろう―、ただ、ガス管が存在しているのみに過ぎなかった。いわば、台所の

 <一風景>

として、存在しているに過ぎないのである。忙しい時には、妙子をはじめ、家人の眼に付きもしない存在、と言えるかもしれなかった。

 そうした状況の中では、ふいごは<火>という不可欠な生活用具を発生させ、生活に不可欠な

 <食>

のための、生活をつなぐ貴重な

 <文明の利器>

ということが言えた。

 このふいごは、夫の幸長が、近所の大工に頼んで、製作してもらったものである。近所の大工としても、そもそも、物資が不足し、人々が生活苦になる中で、こうした

 <生活の知恵>

が求められていることによって、一定程度、儲かっているらしい。生活苦が続く中では、良き商売であろう。代金は、夫・幸長の給与から出したものである。

 ふいごで空気を送っているうちに、かまどの中で火が大きくなり、かまどの中の色は赤みを増した。かまどの上にある鍋の中の水が沸騰し出した。

 則子が、あらかじめ刻んであったじゃがいもや南瓜を鍋の中に入れた。食材が柔らかくなるまで、火の勢いを衰えさせてはならない。妙子はふいごで空気を送り続けた。

 20分程、経過しただろうか。則子は、じゃがいもの1つを箸で小皿も取り、突いた。箸は抵抗なく、じゃがいもを貫いた。

 「もう、いいかしらね」

 そう言うと、則子は鍋から、じゃがいもや南瓜等を取り出し、各自の碗に取り分けた。

 いつもどおり、根菜のみの食事、味付けは塩のみである。

 塩は、政府の専売品である。しかし、多くの家庭、個々人の生活において、ある種の

 <闇>

は常々、公然と存在している中、

 <塩>

はその代表格であると言っても良かった。

 生活物資の不足が常態化している今日の大日本帝国において、しかし、

 <塩>

のみは、無尽蔵に-少なくともその量からすれば-、存在している、と言えた。

 日本は、周囲を海に囲まれた海国である。故に、幕末明治以降、海防の必要性が言われて来た。

 海は、天然の防壁であると同時に、菱垣廻船、樽廻船等の交通路であり、又、同時に交通の障壁にもなった。しかし、海を超えて周辺諸国を侵略した結果、-既に、占領地の存在は占領のための占領となった感があり、故に、内地は窮乏化しているのだが-占領地からの物資を内地に運び込もうとしても、船舶がなければ、運搬はできない。

 荒天等によって、船舶が動かない、という自然条件以外にも、反日ゲリラの港湾等、重要施設での反日活動による日本船舶への襲撃、爆破事件等の問題が相次いでいた。

 新聞等では、こうした事件を 

 「皇国日本による大東亜共栄圏の恩を知らない不届き者の恥知らず」

等の見出しで報じ、

 <敵>

への敵意を煽っていた。

 しかし、本当の敵は、社会の側からすれば、日々の生活苦なのである。だが、それを作り出している

 <大日本帝国>

という体制に対して、批判的発言をすることはできなかった。<敵>は、

 妙子にとっては、女学生時代から、

 <鬼畜米英>

の名で言われていたものの、その実態を見たことはない。そして、

 <生活苦>

という敵は、

 <鬼畜米英>

という目に見えない敵よりも明確であり、不可視的な敵と対峙している限り、いつまでも続くに違いなかった。

 故に、改めて、東南アジア方面に移住しようという動きもなお、続いているのである。大日本帝国政府としても、占領地の各方面に日本人を移住させることによって、より、日本的な色合いを強め、占領地の親日化を既成事実としようとしているらしかった。妙子が、

 「何もできませんで」

と挨拶し、見送った<北>からの一家も、東南アジア方面に向かったのかもしれない。

 そうした人々は、防壁であると同時に障壁である海を船で渡って行かねばならない。そうした船が謎の爆発、沈没といった事態に遭っている、という噂が伝わって来ていた。公式報道では、その原因が何であるかは、正確には伝えられていなかった。

 しかし、噂、つまりは、政府権力側が

 <流言蜚語>

と称した情報によれば、

 「米軍の潜水艦が潜入し、雷撃を加えているらしい」

とのことであった。

 これについては、根拠のないこととは思われなかった。女学生時代、既に停電が当たり前になり、半ば暗闇の中、将来の婚約者-その頃は、勿論、必ずしも認識はしていなかったものの-、つまりは、現在の夫である幸長のいる村田家まで歩いていた時、兵役の終わった兵士が内地に戻る時、敵潜水艦に警戒し、場合によっては蛇行しながら内地まで航行していると聞いていたからである。

 こうしたことは領土のかつての北半分に

 <日本人民共和国>

が成立し、又、満州、朝鮮を喪失したという厳然たる事実とともに、

 <大日本帝国>

 そして、

 <大東亜共栄圏>

が崩れつつあることを思わせるものがあった。

 そうした海国・日本にとっての

 <防壁>

にして、

 <障壁>

たる海は、ある意味、人々、<社会>にとっての生活苦に対する

 <防壁>

でもあった。

 日々の食生活にとって、欠かせない<塩>のみは、まさに-少くとも量からだけすれば-、無尽蔵だからである。

 しかし、この塩も又、海の近くにいなければ、自身で採取することはできない。故に、

 <闇塩業者>

と言うべき、他の生活物資同様、

 <闇商売>

が存在し、闇で塩を扱っていたのである。

 しかし、専売に反しているにもかかわらず、警察の取締は殆どなかった。文字通り、海という資源は無尽蔵であり、当然、塩も又、

 <無尽蔵>

である。闇業者からすれば、塩は仕入れ値なくして、半ば、無制限に入手し得る商品であった。

 勿論、闇業者なくして塩は容易に入手できないものの、仕入れ値がない以上、<(闇)塩>は政府の専売品よりも安価であった。

 但し、闇業者は昨今では暴力団を中心として、組織化される傾向があるらしい、という噂があった。事実、その通りであろう。

 暴力団は、大日本帝国の体制、そして、社会を乱す存在である。当然、警察によって取り締まられるべきである。

 しかし、取り締まられているとは思われなかった。それは、

 <(闇)塩>

が常に流通していることが、具体的に物語っていた。

 但し、取締がないといっても、流石に、大ぴらに町内の路上等で、

 「皆様、ご所望の<闇塩>がございます。政府公認の専売塩のよリも安価な我等の闇塩を是非ともご堪能ください。海国日本の塩は無尽蔵、私どもが皆様に安価なる塩資源をお届けします」

とは言えないのである。そういう次第で、個人の訪問客を装って、塩を売りに来るのである。

 「さ、妙子さん、朝ごはんにしましょう」

 則子が妙子に声をかけた。

 「はい、お義母さん」

 妙子は、2階にいるのであろう健児と幸長に声をかけた。

 「健児、あなた、ご飯よ」

 2階で、バタバタと音がして、階段を降りて来る足音が聞こえた。

 「お母さん、ご飯?」

 健児が言った。

 「そうよ、ちゃぶ台に座りなさい」

 妙子は健児、そして、夫・幸長にちゃぶ台の周囲の自身の席につくように促した。

 則子は、

 「さ、食べましょう」

と言い、その一言で、いつもの朝食となった。


1-3 <塩>


 「塩があるのは、それでも、ありがたい」

 幸長が言った。

 「え?」

 健児が父の一言に反応した。健児は既に、大東亜戦争戦勝後の世代、所謂

 <戦後世代>

であった。

 彼等<戦後世代>にとっては、少くとも、闇のそれが多いとはいえ、塩があるのは当然であった。

 怪訝な顔をしている健児ではあるものの、父・幸長は続けた。

 「こう暑いとね、とにかく汗をかいて、大変だし。塩分が不足するのは困る。市内の市電はよく止まるし、で大変だ。日本が戦争に勝つまでは、塩も含めて配給もしっかりしていたけど、最近は配給もあまり当てにならない。そんな中、少くとも塩があるのは有り難い」

 この台詞は、健児に言って聞かせていると言うよりも、幸長自身の日々の

 <生活の実感>

あるいは、感想と言っても良いだろう。

 暑い中でも、大人には仕事がある。幸長は今日も仕事である。皆で囲むちゃぶ台の朝食を終えたら、職場に向かわなければならない。

 未だに、所謂、戦勝国たるこの国では<戦勝>がもたらした体制を維持するために、

 <臨戦体制>

が続いており、そのために、あらゆる資源の供給は、度々、滞りがちである。先に、今朝の朝食を用意するために、ふいごで火を起こさなければならなかったことが、それを具体的に示していたことは言うまでもなかった。

 朝食がおわったら、幸長は職場に向かわなければならない。この暑い中、しかし、そんな事情にはお構いなく、停電等によって、市内電車は止まってしまうかもしれない。それが帰宅時なら、まだ、時間的余裕があるかもしれない。しかし、出勤時にはそんなことは言っていられない。遅刻すれば、上司から叱責され、場合によっては、減給かもしれない。それは一家の経済を支える大国柱として、許されないことである。

 しかし、それでも、停電による市内電車の遅延等は、ありえないことではない。今日、それがないという保障はなかった。そんな時には、空腹をかかえながらも、歩かねばならない。それでいながら、暑い中、猛発汗も予想されるであろう。そうであれば、身体内の塩分は、汗とともに外に流れてしまう。

 塩分が外に流れる、ということは、身体の体力が奪われる、ということである。故に、塩は生活必需品であり、海国・日本であることは、最低限の栄養補充品としての

 <塩>

が確保できるという言う意味で、有り難いことであった。

 「父ちゃん、なんで、塩が、そんなに有り難いの?」

 健児は、塩はいつも台所にあるので、何が有り難いのかわからなかったのであろう。息子の発言に対して、父としての幸長は、自身の事情に関する回答を為した。さらに、

 <戦後世代>

は、健児を含めて、甘い菓子類を知らない。このことは、この御時世には、有り難いことでもあろう。

 健児の母として、妙子は思った。

 「この子がもし、甘い菓子類なんかを知っていたら、どうなるかしら?」

 おそらく、

 「母ちゃん、何で、いつも塩味付けだけの、しかも、じゃがいもや南瓜ばっかりなの?時には甘い菓子類なんかが欲しいよ」

と、贅沢を欲したかもしれない。

 しかし、息子が贅沢を欲したところで、かなえてやれるだろうか。常に、食料不足、物資不足の日々であることからすれば、叶えられようはずもなかった。

 そのように思うと、妙子は心中、少し安堵した。

 「ただでさえ、物資やら、食料やらが不足している中で、健児がお菓子の味なんか知っていたら、お菓子をねだって、挙げ句に叶えられないことに不満をもって、<家庭内戦争>が勃発したかもしれない」

 健児が、菓子類の味を知らないことは、

 <家庭内戦争>

の火種がとりあえず、存在しないということであり、その点を安堵した。

 妙子は、居間の一隅にある義父・勇が写った写真に目をやった。出征前、彼女がこの家に嫁ぐ前、家族で撮った写真であった。勇は、戦場で行方不明になっており、当然、一度も声を交わしたことさえない存在である。当然、

 <大東亜戦争>

をどのように、考えているかは分からない。また、その妻である義母の則子にも、<大東亜戦争>の意義そのものをどのように考えているのか?やはり、妙子は詳しくは聞いたことはない。

 しかし、則子が夫の死(おそらく)はともかくとして、

 <戦勝国>

たる現在のこの国の体制を肯定的に見ている、としたら、健児がお菓子の味等を知っていた場合、お菓子さえ食べられなくなったことに不満を抱く健児が不満を言い、


 ・健児-則子


の孫対祖母の<家庭内戦争>が勃発したかもしれない。

 健児は、<大東亜戦争>の<勝利>によって、以前よりも窮乏化した生活を強いられている被害者であり、それは、祖母世代等の上の世代が、健児に強いたものである以上、健児の祖母・則子は、加害者であるとも言えた。換言すれば、健児はいわれのない被害者であった。

 以前、妙子は、自身の実母である初江と

 <大東亜戦争>

の意義について、家庭内で母子戦争を勃発させかけたことがあった。


 ・母-子


以上に世代が離れている


 ・祖母-孫


ならば、どのようなことになるのだろうか。

 現実として、健児はまだ6歳である。祖母とのいわば、

 <家庭内戦争>

となったら、しかし、幼い健児は、どのようになるのだろうか。喧嘩の挙げ句、泣き出してしまうかもしれない。

 そうなれば、朝から不快な思いをさせなければならない。ただでさえ、苦しい毎日なのである。その上に朝からさらなる苦しい思い、不快な思いがのしかぶさるのは、御免こうむりたいところである。

 妙子には、これから、夫・幸長を送り出した後、食器洗い、洗濯等の家事が待っていた。

 <食器洗い>

は、大した作業ではない。食用油は不足し、油料理は殆ど無いのである。無論、今朝も例外ではない。食器を水で洗い流し、強くこすれば済む話である。

 しかし、問題はまさに、

 <洗濯>

であろう。

 <石鹸>

は、それでも、辛うじて配給されている隣組内の配給物資の中に入ってはいた。しかし、質は悪く、粗悪品だった。やはり、石鹸も不足する物資として、

 <闇業者>

に頼らざるを得ないのであった。しかし、

 <石鹸>

は、塩とは異なり、同じ生活物資とはいえ、無尽蔵にあるのではない。

日本は様々に資源を有しない海国でもある。いつの時代でも、必要な生活物資としての資源は、海外から輸入し、搬入せねばならない。それは、いかなる時代であろうとも、変革しようのない厳然たる事実であった。

しかし、そのための船舶もまた、中途で沈没することがあった。やはり、米海軍による雷撃によるものであるらしかった。

「こんな状況が何時まで続くのか?」

妙子は自身の生活実態からして、現在の

<大日本帝国>

に疑問をいたかざるを得ないこともしばしばである。生活苦が、そのような思考方向に仕向けていた。

 「ごちそうさま」

 健児が朝食を終え、手を軽く合わせた。続いて、幸長が、

 「俺も、ごちそうさま」

と言って、健児に続く格好になった。

 「あ、あなた、お昼のお弁当、台所に置いてあるから」

 「うむ」

 幸長は立ち上がると、台所に行き、用意されていた弁当を自身の鞄に入れ、玄関に向かうと、

 「じゃ、行って来る」

 そう言って、玄関を出た。

 「行ってらっしゃい」

 妙子は夫・幸長を見送ると、健児に家族皆の食器をまとめて、台所に運ぶように促した。

 「うん」

 健児は、食器を台所に運ぶ途中、手を滑らせて、危うく、床に食器を落としそうになった。妙子は一瞬、ひやりとなったものの、とりあえず、破損事故にはならなかった。

 食器類は、金属類が

 <軍>

優先の供出によることから始まり、昨今、既に、日常生活には存在しなくなっていたものの、陶器は

 <代用品>

として、多々、存在している。それでも、割ってしまったら、陶器屋等に改めて買いに行かねばならない。物資不足で、

 <闇経済>

が、庶民にとって主流となる中、物価は高騰し、生活用品すら高価な日々なのである。そして、それが半ば、社会にとっての

 <表経済>

である以上、陶器屋とて、自身の生活防衛のため、法外な値段をふっかけてくるかもしれない。それを思えば、代用品とて、おろそかにはできないのである。

 故に、妙子は

 <事故未発>

の状況に安堵した。

 妙子は、台所に食器を運び終えた健児に、自室に戻って夏休みの宿題の今日のノルマを行うように促し、食器を洗うと、家の縁側から、たらいと家族の衣類、そして、文字通り、<貴重品>となってしまったわずかばかりの石鹸を持って、庭に出、洗濯を始めた。

 暑い日中、日陰に入っての作業であり、何の変哲もない、いつもの作業であった。この

 <いつもの作業>

が、しかし、又、要注意な作業なのである。

 物資不足の中、衣類も又、貴重品なのである。新品は容易に入手しできず、今、彼女が手もみで選択している衣類は既に、

 <古着>

である。そして、それゆえに、

 <貴重品>

なのである。力を入れ過ぎれば、破けるかもしれない。かと言って、力が弱すぎれば、汚れは落ちないであろう。

 こんなところにも、体制が社会に強いている窮乏があった。

 こうした状況は、一体、いつまで続くのだろうか。大日本帝国が続いていく限り、半永久的に継続していくものなのかもしれない。

 昭和42年(1967年)の昨今、全くの日常の常識的

 <生活風景>

であり、話題にする者は、それが<日常>である以上、特にはいなかった。話題のネタになどならない性格のものだからであろう。

 しかし、<北>から放送されて来る<人民の声>は、日常の生活風景をネタとして、

 「<南>の皆さん、何時まで、先の見えない窮乏化生活をされていくのでしょうか。我々、日本人民共和国にお越しになって下さい。皆様の人生を充実させましょう。そして、皆様に不当な苦労を強いている大日本帝国を打倒し、解放を勝ち取りましょう」

と呼び掛けて来るのであった。

 しかし、今、家族の衣類を手揉み洗いしている妙子をはじめ、<南>の庶民にとって、


 ・柏崎-いわき


を横断する国境線を越える決断は、そうそう、できるものではなかった。

 <日本人民共和国>

に、興味はそそられるものの、<人民の声>は単なる謀略かもしれない。現に、

 <大日本帝国>

政府は、そのように言い、警戒を厳重にするように呼びかけていた。その呼びかけも又、謀略かもしれない。しかし、その呼びかけを為す体制に逆らえば、どんな仕打ちが待っているだろう。結婚前の夫・幸長がかつて受けたその姿がまさに、具体例であった。

 <庶民>

は、何かしら、日々を、ただ、相も変わらず、自身の自発的意志とは無関係に見えない歯車の下で暮らし、そうした生活に諦めの、あるいは、無関心を装うことで、或いは、命をつなぐことに集中することによって、諦めの境地を表すことを諦めているようであった。

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