Prologue ଓ 全てのはじまり 〜the roots〜


    ଓ


 ――その日、世界が震撼した。大地が、水が、緑が、ざわめいている。

 あらゆる自然のざわめきは、とある森――数名の神々が封印されている森まで及んだ。そのあまりの騒がしさに、その内の一人である女神は思わず覚醒せずにはいられなかった。いつもなら、広がる光景は暗闇だったが、その時だけは違っていた。目の前にあるのは、神々が封印されている珠をはめている石碑と、それを取り囲む森。そして、彼女は自分が石碑の側に佇んでいることに気が付いて、息を呑んだ。

 ……封印が解かれた訳では、ない。けれど、姿を現すことができるほど、強い〝力〟がみなぎっているのがわかる。一体何が起こったというのだろう。


――戦いは一旦の終わりを告げた。

  だが、これで終焉ではない。

  いつの日か、ヒトの身でありながら、大いなる〝力〟をもつ者が誕生するであろう。

  それは、かつてこの地に生まれた「姫」よりもさらに強く、我らが御上にも匹敵するほどの〝力〟。

  その〝力〟をめぐり、さらなる戦いが幕を明けであろう。


 彼女が考えていると、ざわざわと木々が木霊を起こして、「あの日」予言の神が残した言葉――予言を森の中に響かせた。……どうして、今更。まさか、あの予言が実現するのは、この日、今この瞬間だというのだろうか。

〝……「アリィ」、そこにいるかね?〟

 ふと、そんな疑問について考えていた彼女を、呼び掛ける声が聞こえた。――御上だ。おそらく、この事態に気が付いたのだろう。彼女は〝はい〟とうなずいた。

〝今知らせがあってね、もうすぐ生まれるそうだよ〟

 ……では、やはり――。御上がそう語りかけた直後、ふと、彼女の目の前に、ふわりと一つの羽根が舞い落ちた。すぐに彼女が触れると、羽根は消えてしまったが、代わりに別の予言を彼女の中に響かせた。


――大いなる〝力〟を持つ者、今この時より生まれ出づる。

  その〝力〟は繁栄と破壊をも、もたらすもの。

  いずれ、彼の者をめぐり、戦いの幕が開かれるであろう。


  繁栄をもたらす時、彼の者はいずれ、〝神〟に至り、天界オルヴェンジアとテレスファイラを結ぶであろう。

  ……破壊をもたらす時、この世は終焉を迎えるであろう。


  我らが御上よ、祝福を与え給え。

  彼の者に幸福があらんことを。


 ――誕生の時に授かる予言だ。そうすると、あの〝力〟は恐らく、誕生の影響で一時的に放出され、彼女の元にも行き届いた、ということらしい。それにしても、なんと強い〝力〟なのだろう。何にせよ、こちらが先に気が付いたのは幸いだった。

 一つ息をついて、彼女は両手を石碑に向けて、あふれる〝力〟を集約し、送り始めた。……誕生の祝福のつもりなのだろうか、「あの日」の予言を彼女に伝え終えても、まだ木々がざわめいている。何とかしなくては。

〝――お願い、静かにして、「悟られて」しまうでしょ〟

 その一声で、辺りが、しん、と静まり返った。一息付いて、彼女は続けて〝力〟を放つ。……そうすることで抑えることができているはず――まだ、「悟られて」はいないはずだった。

 先程、羽根に触れた時、〝彼女〟の姿がみえたような気がした。赤子の姿はもちろん、成長した姿をも、だ。守らなくてはいけない。そう思わずにはいられなかった。彼女にはその役割が、使命があるのだ。けれど、今はまだ「その時」ではない。……今は、まだ。本当なら、この「悟られ」ないよう使っている〝力〟を貯めておきたいとすら、彼女は思っていた。

 事が収まるまで、彼女は〝力〟を送り続けた。その途中、なぜか、ぐんと〝力〟が強まる瞬間があり、慌てたが全てを集約することができ、何とか「悟られ」ずに済んだ。

 しばらく経って、ようやく辺りがようやく辺りが静かになり、〝力〟も収まった。それと同時に、彼女は自分の姿が薄れていることに気が付く。……ひとまずの役目は果たせたらしい。最後に石碑をもう一度ちらりと視線を送った。そして、彼女は天を仰いで――いつの日か出会う〝彼女〟を思いながら、自ら姿を消したのだった。



    ଓ


 

 ――時は少し遡って。先程とはうってかわって、とある場所では静けさが広がっていた。

 そこはテレスファイラにおける病院の一室で、先程出産を終えたばかりの女性とその夫である男性、控えていた治癒の魔法を得意とする医師や助産師、看護師がその場に立ち尽くしていた。

 全員が見ていたのは、女性が抱いている赤子。少しだけ生えている産毛は薄い黄色だったが――金色のようにも見えた。そして、赤子は聖なる気をまとっていて、まるで天使のようだった。その美しさに皆見とれていたのだ。

 その沈黙を打ち破るかのように、部屋の扉を叩く音がした。返事をするよりも先に扉が開かれ、腹部が大きく膨らんでいる黒髪の女性が入って来た。

「お邪魔しまーす――ってあらやだ、なんで皆黙ってるの? とにかく、フェリア、おめでとう」

「レイナ」

 レイナと呼ばれた黒髪の女性はすぐさま、母親になったばかりの女性――フェリアの元へ駆け付ける。そして、赤子を覗き込んだ。一瞬止まったレイナの動きに、彼女がどう反応するのか、全員が注目する。

「……ねぇ、抱かせて」

 そう言いながら、レイナは両手を差し出した。フェリアから赤子を受け取るとまじまじと見つめながら、「なんて……」とこぼした。その言葉の続きを、息を呑んで皆が待った。

「――なんて、可愛いの!! あぁやだ、ねぇ、こんな可愛い嬉しいよね、『あなた』のお友達になるのよ! あ、『あなた』男の子だったら嫁にもらっちゃいなさいね」

 その場の空気を気にも留めず、レイナが興奮した様子で、腹部に宿る生命に語り掛けながら、そんな言葉を口にする。思わずフェリアが吹き出したことで、誰もが胸をなで下ろし、赤子のまとった気や美しさのことはとりあえず気にしないことにした。

「ねぇ、名前は? もう決まってる?」

 レイナが赤子をフェリアに返しながら、そう尋ねた。フェリアは迷いなくうなずくと、赤子の顔を撫でて、「エリンシェよ」と答えた。

「エリンシェ、『エリン』ね。 とっても、可愛い名前よ」

「……フェリア」

 ふと、不服そうに、フェリアの夫、タルナスが彼女に呼び掛ける。どうやら、レイナが赤子――エリンシェの愛称をすぐに付けたことが気に入らないらしい。

「タルナス、だけど良いあだ名よ。 ね、エリン」

 フェリアがたしなめるようにそう話していると、突然、扉の外から大きな笑い声が聞こえた。そして、すぐに扉が開かれ、灰色の長い髪を一つにまとめた大柄な男性が来訪した。彼の腕には赤子が抱かれていた。

「俺も良いあだ名だと思うぜ、タルナス。 ……よお、元気だったか」

『グラフト!』

 その男性――グラフトを見て、フェリアとレイナは同時に叫んだ。レイナが「珍しいわね」と興奮気味に口にする。

「いつもなら、旅に出てる頃よね? どうしたの?」

「できるなら、そうしていたさ。 だけど、今日は嫌にせがれが泣くもんだからめておいた。 で、女房から今日フェリアの出産日だって聞いたもんだからちょっと寄ってみたんだ」

 そう言いながらフェリアの元へ来たグラフトの距離が近くなると、突如、エリンシェが「あう!」と声を上げ、手足をじたばたと動かし始めた。……まるで、「何か」を待っていたかのように。

 すると、それに応えるかのように、グラフトの腕の中でも、彼の息子が「あう、あうう!」と同じように手足を動かし始めた。

「どうした、ジェイト」

 落ち着かせようと、グラフトが息子――ジェイトをあやすが、一向に大人しくする様子はなかった。

 不思議に思っていたフェリアは首を傾げながら、エリンシェとジェイトを見比べる。……まさか。

「グラフト、その子をこっちへ」

 距離が近付き側まで来ると、ふたりはぴたりと動きを止めた。そのすぐ後、ジェイトがエリンシェの方に手を差し出し、エリンシェも応えるように彼に向かって手を伸ばした。そして、ゆっくりと――。


 ――ふたりの手が繋がれた。


 そのまま、ふたりはお互いの手を握り、しばらく決して手を離そうとしなかった。

 誰もがそんな光景を疑って、息を呑んだ。それはまるで奇跡だった。ふたりの赤子が、ましてや片方はまだ生まれたばかりなのに、手を握り合うなんてあり得ない。その上、手が繫がれるまで、お互いに声を出し――呼び合っていたのだ。

 しばらく、その場にいた全員が驚いて、口を開くことができなかった。


「このふたり、何か縁があるのね」

 やっとレイナがそれだけ言って、フェリアが応えるようにうなずいた。

「……ジェイト、お前、このに会いたがったんだな」

 そう呟いたグラフトが、ちらりと窓の外を見て慌てた。もうすぐ日が暮れそうだ。手を握り合っているふたりは、安心しているのだろうか、眠そうにしていた。

「そろそろ帰らないと。 ……ごめんな」

 ためらいながら、グラフトはエリンシェに向かって謝罪し、ゆっくりと彼女とジェイトを引き離し始める。名残惜しそうに手が離れたのを見て、グラフトはますます気が引けた。

 手が離れると、ジェイトは短く別れの挨拶をして、振り返らずに部屋を後にした。その途端、エリンシェが大声で泣き始める。

「エリンシェ、泣かないで。 大丈夫、きっと彼とはまた会えるから」

 そう言って、フェリアがエリンシェをあやしたが、エリンシェはしばらく泣き止もうとはしなかったのだった。


   ଓ


 ――これが全てのはじまり。だが、その日はただの前触れにしか過ぎず、物語はここから始まるのだった。

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