アルパカと九官鳥のゆるふわな終末

もちもち

アルパカと九官鳥のゆるふわな戦場

アルパカ

 朝焼けの空の彼方に、『空』の影が漂っている。

 距離を置いた戦線の拠点からは、いつもより少しだけその上方が覗いていた。だが、岩肌のようなものが昇り続けるだけで、『空』のてっぺんは依然として雲に隠れている。

 それは、巨大な岩の塊のように見えた。腹の底の面積は800平方キロメートルほど。そこから上については分からない。まるで船底型に根こそぎくりぬかれた山脈が浮かび上がって漂っているようだ。

 朝日に焼かれた岩肌は赤く染まっているが、光の届かない反対側は夜の空気の中で腹の底でまがい物の星を瞬かせていた。

 乾いて冷たい空気の中を泳ぐ鯨のように、『空』はゆっくりと目の前を通り過ぎていこうとする。


「隊長」


 ふと呼ばれて振り返ると、班長がステンレスのマグカップをこちらへ差し出している。ふんわりと昇る白い蒸気の向こうに、どこかのんびりとした眼差しをしている男の顔が見える。

 眉を剃り落としているので、一見表情が読みにくく強面な方だが、喋ると気さくな男だ。

 マグカップに入っているのはコーヒーで、インスタントの軽い香りがする。


「あんたのレーション開けちゃいましたよ」

「ああ、ありがとう」

「飯は向こうにあるんで、戻って食べてくださいよ」

「うん」


 カップを受け取り湯気を飛ばしながら頷くも、俺も班長も歩き出そうとはしない。

 並んで、山肌から切り離されようとする朝日を眺めてコーヒーを啜る。


「……… いや、食べてきてくださいって。あんた時間までに食べきれないすよ」

「副隊長、まだ怒ってたか」

「そぉーれ気にしてるんすか、あんた」


 呆れた…と言外で如実に聞こえた。

 振り向いたらあの大きな影と目が合いそうで、先ほどからずっと、俺は遠くの『空』をつぶさに見つめているのである。

 班長の言う通り、作戦開始までのんびりしている時間があるわけではないし、始まったら向こう2日間は穏やかではない時間が続く。空気が張りつめていても戻って食事をしなければならないのは、分かっているのだが…

 戻るのを渋っている俺の様子を見下ろして、班長はコーヒーの湯気を追い払いながら尋ねた。


「なんでこのタイミングで話を切り出したんすか。

 反対されることくらい、想定してましたでしょ」


 を引き取るなんてことは。


 同じように蒸気を飛ばしながら、俺は小さく笑ってしまった。その白いふわふわとした湯気と同じ、軽やかな癖っ毛をした男を思い出す。そのバディの片割れだ。

 俺の発言に副隊長が反論を呈するのはよくあることだが、空気を張りつめてまで反対するのは珍しい。それほど例のバディについて警戒していたのだなと。俺と副隊長の間の空気に、周りがドン引きする中でしみじみと思っていた。

 思った上で、切り上げてきたわけだが。


「ホームに戻ったら、また話をしようと言ってきた」

「だから生きて帰ってこい、てことじゃないすよね」

「いつどうなるか分からないし、帰ってこれないのは俺かもしれないし」


 隊に関わる大事な言伝だ。思い出した時に言っておかないと。…… タイミングが悪かったのは認めよう。

 胡乱気に俺を見下ろしている班長を覗き込むようにしながら、俺はもう一度尋ねた。


「まだ怒ってたか」

「素直に戻りなさいって」


 さすがに取り合うこともせず、班長は俺の背中を叩いた。仕方ない、戻ってちゃんと食事を摂ろう。

 くるりと振り返ると、食事に集まっている隊員の中で一際大きな背中が見えた。どんなセンサーをしているのか分かりかねるが、俺が振り返るのとほとんど同時くらいに、その背中もこちらを振り返った。

 しっかりとしたおとがいに筋の通った鼻、重い光を灯す碧眼に短く刈り込まれた金髪。

 我らが副隊長である。

 その目に映り込んだのは、短髪黒髪で黒い目、浅黒い肌をした背の低い隊長だろう。彼は苦々しく目元を眇め、そっとその場を離れて行った。

 嫌気が差したわけでは無い、おそらく。

 俺が戻りやすいように、ということだ。

 多少神経質で感情が振り切れやすいところがあるかもしれないが、なによりもまず、相手のことを考えてくれる。そういう男だ。


「あ、ようやく戻ってきましたね、隊長」

「拗ねないでくださいよ」

「そういう空気なのか」

「元々ガキみたいな顔して、ガキみたいな素振りしてりゃただのガキですよ」


 隊員の一人が辟易した口調でそう言うので、少しひやりとした空気が流れた。

 年齢に見合わず童顔である俺をして揶揄することは多々あれど、真正面から非難することは少ない。ましてや自隊となれば尚更。

 その隊員を見ると、ああそういえば副隊長に心酔していたなと思い出した。

 ならば先ほどの俺の態度を考えると彼の苛立ちはもっともである。し、子どもっぽいことをしてしまったのは確かだ。班長にも怒られているし。


「そうだな、気を付けよう」


 うん、と頷くと、冷えた空気もなんとなく緩んだ気がした。



 太陽が完全に空の中に落ちる頃、我々は山間を抜けてくる一本の貨物列車を襲撃する。

 他隊との合同作戦、敵の補給路を断つ。それが本日のメニューであった。

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