第16話 希望のカケラ


 夕方十七時を過ぎると王城の大門は閉められて、脇にある小さな扉から出入りするようになる。扉の前にいる門番には話が通っていたようで、僕がいくとすんなり通してくれた。

 そこからまた走って西棟に向かう。息を切らしながら、タマラさんがいつもいる治療室の扉を開けた。


「タマラさん、今大丈夫ですか?」


 今は誰も患者がいないみたいで、タマラさんがのんびりお茶を飲んでいる。


「まったく、気持ちはわかるけど少し落ち着きな。ほら、これでも飲みな」


 口調はぶっきらぼうなのに、ぬるめのお茶が入ったカップを優しく差し出してくれる。僕はタマラさんの向かいの椅子に腰を下ろして、半分ほど一気に流し込んだ。


「やれやれ、クラウスは相変わらずだねぇ。いいかい、これから話すのはあくまでもひとつの方法に過ぎないからね。これがベストかどうかはしっかりと考えな」

「わかりました」


 タマラさんが話してくれたのは、隣国にある聖女の国セントフォリアのことだった。

 このウットヴィル王国から見たら南に位置するセントフォリアは、代々大聖女が女王として治める国だ。聖女が使う魔法はふつうの治癒魔法とは違うと聞いたことがある。


「そのセントフォリアの聖女なら、ウロボロスの封印を守ってきた一族だから呪いを解く方法を知っているはずだ。二百年前にこの国に来た聖女が呪いを解いたと記録も残っている」

「それなら、僕はセントフォリアにいきます。そしてカリンの呪いを解く方法を見つけてきます」

「ふん、そう言うと思ったよ。ほら、これを持っておいき」


 タマラさんが用意してくれたのは、一通の書簡だった。


「これは?」

「セントフォリアに知り合いがいるからね。クラウスのことを頼んだ書簡さ。国境の兵士に見せればわかるよ」

「タマラさん、ありがとうございます!」


 でも、ひとつ気になることがある。どうしてタマラさんは、こんなに僕によくしてくれるんだろう? ありがたいけど、してもらってばかりでは申し訳ない。


「あの、タマラさん。どうしてこんなに助けてくれるんですか?」

「……あんた覚えてないのかい?」

「え? なにをですか?」


 呆れたようにタマラさんはため息をついた。それから、僕が魔導士団に入ったばかりの頃の話を始めた。



     ***



 あの日もいつものように、私に罵声をあびせる黒魔導士の治療をしていた。


『うるせえ! ババアは黙って治療してりゃぁいいんだよ! 早く治せよ!』

『……』


 私が治療室の駐在赤魔導士になったのは、もう二十年も前のことだ。

 その頃、私は目の前で夫を魔物に襲われて亡くし、精神的なものから前線で戦えなくなった。自分の得意な治癒魔法で、いちばん大切な人を助けられなくて、私は自分を見限ったのだ。


 そんな私を治療室に配属したのは前の団長だ。理由は高齢のためとして、配慮してくれた。だから、どんなに罵倒されても当然だと思っていたし、感謝されると居心地悪くて悪態をついていた。

 八年前にフール団長が就任してから、攻撃魔法や補助魔法の得意なものがもてはやされて、治癒魔法が得意なものはまったく評価されなくなった。でも、むしろよかったと思ったくらいだ。


『返事くらいしろつーの! おら! まだこっちも治ってねえぞ!』

『黙れだの返事しろだの、どっちだい』


 そう言いつつも、怪我をした黒魔導士に治癒魔法をかけていく。治療室の配属になったことで、今の私は無詠唱で魔法が使えるほど治癒魔法特化型の赤魔導士になっていた。


『失礼しまーす! タマラさん、治療室用の回復薬が届いてたので持ってきました。いつものとこに置いておきますね』


 そんなタイミングでやってきたのは、噂の新人団員だ。

 なんでも魔力量は歴代一位なのに、治癒魔法しか適性がなくて異例の無所属だと聞いた。だから赤いローブも黒いローブも支給されてなくて、自前の青いローブを着ているのだ。


 でも私にしてみたら、いくらでも使いようはあるだろうと思う。魔力量は文句なしだし、仕事の飲み込み具合を見てると多分誰よりも早く魔法を覚えていくだろう。治癒魔法特化型にしたら、赤魔導士二十人分くらいの仕事をこなせると考えている。


 まぁ、治療室に駐在している老ぼれ赤魔導士がなにか言ったところで無駄だけれど。治癒室の手伝いとして配置され、面倒だからあまり関わらないようにしていた。

 そんなことを考えているうちに黒魔導士の治療が終わり、魔物にやられた傷は痕も残らず綺麗になっていた。


『くそっ! おい、ババア! 治すのに時間かかりすぎなんだよ! しかも口答えしやがって、ちゃんと治ったか確かめてやる!!』


 勘違いのすぎた黒魔導士は、こともあろうか私に向かって炎魔法を放ってきた。


『ファイアボール!!』


 紅蓮の火の玉が目の前に迫って、思わず目をつぶる。多少怪我をしても自分で治せるけど、熱さや痛さはなしにできない。だけど覚悟を決めても、なにも感じなかった。


『おっ! いい感じだな。まあ、これなら問題ないな。ったく、お前さぁ、色なしのくせに出しゃばんなよ』


 その言葉に目を開けると、私と黒魔導士の間に新人団員が割ってはいり炎魔法を体で受けとめていた。

 黒魔導士は満足したのか、そのまま治療室を出ていってしまった。


『あんた、なにをやってるんだい!』

『ううっ……つ! さすがに魔法を至近距離で直撃は痛かった……』


 最初のひと言がそれかい! と思いながらも、すぐさま治癒魔法をかけていく。

 その後その黒魔導士を見かけなくかったから、魔物にやられたか、辞めたかしたんだろう。ああいう勘違いした奴は遅かれ早かれ自滅する。


『うわあ、やっぱりタマラさんの治癒魔法はすごいなぁ! もう傷跡もなにもない! どうやったらこんなに綺麗に治せるんですか?』


 私は息が詰まった。

 かつて私の夫も、こんなふうに笑って『タマラの治癒魔法はすごいな!』と褒めてくれてた。

 またこんな風に褒めてくれる人が現れるなんて、思わなかった。しかもこんな婆さんをかばって、炎魔法を受けとめて笑っていられる少年に、激しく心を揺さぶられる。


『……治癒魔法に興味あるかい?』

『はい、僕は治癒魔法しか使えないから、それを極めたいと思ってます』


 真面目でまっすぐな少年だ。

 それにちょっとズレたことを言う、面白い新人団員に興味が湧いた。思い返せば、この子はこんな老ぼれババアにいつも暖かく接してくれていた。


『ふん、そうかい。……時間があるなら、この本を読みな』


 そう言って、まずは初心者向けの治癒魔法の教本を少年に渡す。


『あんた、クラウスといったかい?』

『はい、クラウス・フィンレイです! これ治癒魔法の本ですよね!? 貸していただけるんですか!? 本当にありがとうございます!』


 花が咲いたように笑うクラウスに、胸のあたりがポカポカと暖かくなった。


 私はひとつの希望を見出した。

 こんなクソみたいな環境の魔導士団を辞める勇気もなくて、ただ自分を傷つけてきた。でもこれからは、クラウスの成長を促して見守りたい。


 きっとこの子はすごい治癒魔法の使い手になる。私の治癒魔法は、いや、こんな私でも誰かの役に立てるのだと思わせてくれる。


 私はクラウスに希望の欠片を見たんだ。



     ***



 僕はタマラさんの話を聞いて、あの時だったのかと思い出した。


 あの頃はタマラさんの治癒魔法がすごくて、よくこっそり観察していた。あの時も観察してたら、先輩の黒魔導士がいきなり魔法を打ってきたから思わず間に入っちゃったんだよな。

 今考えても、ちょっと無謀だったと思う。でも後悔はしていなかった。


「ああ……無詠唱であんなにスルスル治していくタマラさんの魔法に、見惚れてたんですよ。それで気が付いたら体が動いてました」

「そうかい。本当に変わった子だね」


 この五年でタマラさんの心の内がだいぶ読めるようになっていた。

 そっぽ向いて耳を赤くしてるから、いまはかなり嬉しいみたいだ。素直じゃないところがカリンに似ていて、僕にはわかりやすい。

 最後のお茶を飲み干して、僕はいままでのお礼を告げる。


「タマラさん。僕はタマラさんのおかげで治癒魔法を覚えられたし、青魔法まで使えるようになりました。今回もヒントをもらって、書簡まで用意してくれて、本当にありがとうございます」


 ひとりで治療室を回しているタマラさんは忙しいはずだった。街の人たちも重症だったらここにやってくる。

 それなのに、ここまで……二百年前の記録まで探してくれて感謝しかない。だから、必ず結果を出して戻ります。そっと心の中で誓った。


「ふん、せいぜい魔物にやられないように気を付けな」


 隣国へいくには危険がつきまとう。タマラさんなりの激励だ。


「はい、本当にお世話になりました」


 そうして青魔法の研究と同時進行で、僕は隣国に旅立つ準備を始めた。



 ————聖女の国セントフォリア。そこで知る真実は僕のルーツと呼べるものだった。


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