17:00 商店街の中の百貨店

 幸いなことに、雨はまだ小降りだった。


 図書館とサテライトキャンパスが入っている建物から、差し入れを買いに行きたい百貨店までは、ところどころ途切れてはいるが、とりあえず屋根のある通路になっている。屋根の無い場所は走れば良いだろう。


 蒸し暑さが残る、人の多い通路を、サシャを守りながら歩く。伊藤は、小野寺に自分の想いを告げた頃だろうか? 過った想いに小さく微笑む。二人のことを考えても痛みを覚えなくなったのは、おそらく。


「明るいね」


 トールにくっついて歩くサシャの声に、一瞬だけ立ち止まる。確かに、夕方の街には既に、様々な明るさの電灯が瞬いている。これは、サシャの世界には無い光景。


「これが、『電灯』なの?」


「ああ」


「良いなぁ」


 夜もこんなに明るければ、読書が進むのに。かつてトールがサシャに『電気』のことを説明した時と同じ台詞が、サシャの口から漏れる。


「これ、持って帰りたい」


 次に出てきた、サシャの言葉に、トールは今度は大きく微笑んだ。


「『電気』が無いと、『電灯』は使えないよ」


「……」


 トールの言葉に、サシャの頬が小さく膨らむ。


 そのサシャの頬が元に戻る前に、トールとサシャは百貨店の前に辿り着いていた。


 エレベーターは大学で乗ったから、エスカレーターの方が良いだろう。そう判断し、フロアの真ん中にあるエスカレーターの方へと進む。時間があれば、上の階にある本屋さんも見せてあげられるのだが。華やかな化粧品や高級服飾品が並ぶフロアに目を瞬かせるサシャの腕をそっと引っ張るようにして、トールはサシャをエスカレーターに乗せた。


「この階段、動くね」


 サシャの手が、トールの腕をぎゅっと掴む。


 落ちないから、大丈夫。トールがそう言う前に、エスカレーターは滑らかに二人を地下一階に下ろした。


 差し入れ、何が良いかな。ぐるりと辺りを見回したトールの鼻が、香ばしい香りを捉える。そう言えば、お腹が空いた。帰れば晩ご飯が待っているが、少しだけなら良いだろう。そう思いながら、トールはサシャを、焼きたてのクロワッサンを量り売りしているパン屋のブースへと連れて行った。


「良い匂い」


 トールと同じ匂いを胸いっぱいに吸い込んだサシャが、柔らかく微笑む。100gくらいで大丈夫だろう。お店の人から手渡されたクロワッサンの入った紙袋を、トールはサシャにそっと渡した。


「温かい」


 そう言えば、この百貨店もクーラーが効きすぎている。小さな紙袋を抱き締めたサシャの笑顔にトールの胸も温かくなる。そのトールの視界に入ったのは、百貨店の催事の一つらしい、駄菓子をまとめた小さなブース。レポート提出締切が近いのだから、差し入れには、口の中に入れたら喋る余裕の無くなる、大きな飴が良いだろう。手よりも口を動かしていることの方が多い教育学部の学生達の顔を思い出しながら、トールは駄菓子ブースで、大ぶりの団栗飴が個包装で入っている袋を一つ購入した。サッカー&フットサルクラブ用に、手鞠の色をした小ぶりな飴の袋も一つ。


 幸せな顔のままのサシャと共に再びエスカレーターに乗る。


 少し強くなった雨を見上げてから、百貨店の自動ドアの間の風除室に設えられた小さなベンチに、トールは腰を下ろした。


「お腹空いた。クロワッサン、食べて帰ろう」


 トールの言葉に、トールにくっつくようにベンチに座ったサシャが頷く。


 サシャが開いた紙袋の中の、まだ温かい小さなクロワッサンを、トールは一気に口の中に入れた。サシャの方は、小さな両手で小さなクロワッサンを優しく掴み、少しずつ口の中に入れている。


「美味しい」


 トールを見上げたサシャの、きらきらと輝く紅い瞳にゆっくりと頷く。


 この時間が、ずっと続けば、嬉しい。止みそうにない、硝子窓の向こうの雨を見つめ、トールは温かい心の中で微笑んだ。

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