ガレネル・フェーケルに馳せる思い 1

「そうだ。リュカ、ちょっと試し乗りに付き合わないか」


 帰り支度を整えたキアンが、ふと思いついたようにそう言った。部屋の隅に座り込んだまま、ひたすら紙を細かくちぎるという作業をしていたリュカは、こちらに顔を向けることなく動きだけを止めた。


「試し乗りって、何の?」


 黙り込んで一言も発さないリュカの代わりに聞いてみる。


「ブランモワ卿にオプションの追加を頼まれたんだ。アレックスとカルロが整備に当たってくれてるが、たぶんそろそろ終わる頃だと思う」

「自分の言いたいことを言う前に、私の質問に答えて下さい。何の試し乗りなの?」


 思いついたことを早く伝えたくて主語を忘れる、という流れがリュカとまったく同じだったせいで、思わずキアンに対してもリュカに言い聞かせる時みたいな口調にしてしまった。

 悟られないよう、それとなくキアンの様子を探るけれど、特に気分を害した感じはないようだ。


「俺たちの国ではガレネル・フェーケルと名付けられた乗り物で、まあ、一般的にはスチームビークルと呼ばれている。蒸気機関で走る車だよ」

「車……?」


 リュカがぼそりと呟いた。さっきまで完全に背中を向けていたのに、少しだけ体の角度をこちら向きに変えている。いつもなら一度拗ねるとどうなだめすかしても拒絶し続けて、しつこく”自分はいま怒っているアピール”をするのに、その怒りや苛立ちをあっさり手離してしまうくらい、キアンの言う蒸気機関の車に興味を抱いたらしい。


「どんな乗り物なの?」

「馬が引かない馬車、人工の動力だけで走るキャビンと言えば想像がつくか? 煙管式ボイラーと複動式の2シリンダーエンジンを載せていて……」


 キアンは、私にはちんぷんかんぷんな専門用語をいくつも使って、その車の仕組みを説明し始めた。

 ボイラーだのナントカ式だの、分からないのはリュカだって同じなはずなのに、なぜか彼はものすごくキラキラした顔をしてキアンににじり寄っていき、話を熱心に聞いている。さっきまでキアンに”未熟者”と揶揄されて打ちのめされていたのが嘘のような表情だ。

 私が理解できたことと言えば、バルジーナ皇国は蒸気機関という”魔法”を開発して、その技術を実用段階にまで発展させることに成功した、ということくらいだった。


「ねえ、そのスチームビークルって、どれくらいの速さで走るの?」

「最新の記録だと、時速200kmをたたき出したらしい」

「200km! ……200km?」


 いったん驚いてみせたものの、速さのイメージがつかなかったのか、リュカは首をひねっている。


「直線距離で、なおかつ道路の状態も加味しなければ、フランメル王国を3時間半ほどで縦断できる速さだ」

「すごい! なんかよく分かんないけど、すごいのは分かるよ! ねえ、ニナ!」


 ものすごい勢いで同意を求められ、思わずうなずいてしまう。

 分からないけど分かる、なんて矛盾しているように思うけれど、そう言いたくなるくらいにリュカはその車に尋常でないほどの魅力を感じているようだ。

 フランメル王国を一日すらかけることなく縦断できてしまう危険な乗り物にリュカを乗せるなんて、言語道断、絶対反対! と言いたいところだけれど。


「いいよ、リュカ。乗せてもらいなよ」


 私の言葉に、リュカの表情が更に輝きを増した。

 瞳をきらめかせながら頬を紅潮させて、満面の笑みっていうのはこういうものなんだな、ということをはっきり認識させてくれる顔つきだ。愛しさが暴走して思わず抱きしめたくなるのは堪えたけれど、その笑顔につられて自分の口角も上限いっぱいまで上がっていくことは止められなかった。


「ニナ、君も体が辛くなければ一緒に来るといい。近くにある穀物倉庫なんだが、今は使っていないとかで格安でブランモワ卿から貸してもらっていて、……」


 キアンの言葉が不自然に途切れたので、ハッとして顔を上げる。キアンは怪訝そうに眉を寄せて私の顔を覗き込んでいた。


「気分が優れないか?」

「あ、ううん。そんなことないよ」

「顔色がどうとか、俺は察してやれないからな。気を遣ったりせずはっきり言ってくれよ」


 そんな風に言う割には、私の様子が変わったことを察してくれている。行動パターンはリュカとよく似ているけれど、より長く生きている分、察知する力はついているみたいだ。


「ホントに大丈夫、ちょっと考え事してただけだから」


 誤魔化すと、キアンは、そうか、と一言だけ呟いた。

 リュカの喜ぶ姿に幸せを感じた次の瞬間、湧き上がったこの感情。不甲斐ない自分に対する苛立ちだったり、ずっと変わらないと思っていたものがどんどん形を変えていく不安だったり、単純な嫉妬心だったり……。色々なものがないまぜになっていて自分でもよく理解できていないけれど、ひとにはあまり触れてほしくない、嫌な感情であることは確かだった。

 キアンは、大丈夫、という私の言葉をただ額面通りに受け取ってそれ以上踏み込んでこなかっただけだということは分かっている。でも今は、そういう相手の勘の鈍さが逆に有難いと思った。


「ねえ、早く行こうよ!」


 無邪気にはしゃぐリュカに手を引かれ、私とキアンは部屋を出る。廊下に出たところで偶然、別館に戻ってきていたマノンと鉢合わせた。


「ご、ごきげんよう」


 驚いたように目を見開いてから、キアンに向かって慌ててぺこりと頭を下げるマノン。それから、少しだけ顔を上げてチラチラと私に視線を送っている。どういう状況なのか、説明を求めているようだ。


「フレイヴァ様は一旦お帰りになられるそうですので、えーと……そう、お見送りをしてきます」

「あ、はい。ミセス・ロジェには……」

「まだ伝えておりませんので、もしお手隙でしたら報告お願いします」

「分かりました。……では、失礼いたします」


 マノンは、キアンと手をつないだ状態のリュカに小さく手を振ると、踵を返して今しがた上って来た階段の方へ戻っていった。

 たぶんマノンは、なぜキアンが私の部屋にいたのか、なぜ人見知りのリュカがめちゃくちゃ懐きまくっているのか、根掘り葉掘り聞いてくるに違いない。帰ったら面倒なことになりそうだと、彼女の後ろ姿を見送りながらちょっとうんざりしてしてしまった。









 リュカの歩く速さに合わせると、大体20分ほどのところにその穀物倉庫はあった。長く手入れされないまま放置されていたようで、こうして少し離れた所から見ても明らかにあちこちにガタが来ているのが分かった。


「ねえ、本当にこんなボロ家で生活してるの?」

「雨露がしのげれば、それで充分だからな。特に不自由は感じてない」


 たぶん、キアンはここに長くとどまるつもりはないんだろう。だから修繕せずにギヨーム様から借りた状態のままで住んでいるんだろうけれど、もう数日もすれば長雨の時期が来てしまう。


「屋根だけは早めに修理した方がいいよ。露はともかくとして、このままだと雨はしのげないだろうし」

「多少の嵐なら耐えられるよう、すでに対策は講じてある。まあ、君には見えないと思うが」


 つまりそれは魔術でどうにかしているということか。嵐対策ができるなんて、魔術っていうのは、私が思っているより便利に使えるものだったようだ。


「カルロ」


 キアンは軽く手を上げ、倉庫の出入り口から、紙巻き煙草をふかしながら出てきたワークコートを着込んだ男性に声をかけた。あの短髪で怖い顔、大きくてガタイのいい体つきには見覚えがある。私の頭に例のうそ発見器を取り付けた人だ。

 カルロさんはキアンの姿を見止めると、くわえていた煙草を手の上で燃やしてから小走りでこちらに駆け寄ってきた。


「おい、遅かったじゃねえか。もう準備は――と、おっ」


 私とリュカの存在に気付いたようなので、慌てて頭を下げる。


「なんだなんだ、お前もう復活したのか!」


 バシバシと強めに肩を叩かれ、前につんのめりながらも笑顔でうなずくと、カルロさんは良かったなあ、と言いながら私の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。


「アレックスの見立てじゃ、たぶん1か月は起き上がれないだろうってことだったんだ。ほら、あの企画考えたのは俺じゃないにしても、装置を操作したのは俺だろ? だからなんつーか、責任感じててさぁ」

「えっ」


 朗らかで豪快な口調のせいでそうとは感じないけれど、今すごく重要な事を言っていたような気がして、私は思わず声を上げた。


「あの、でもキアンは何日かすれば元通りに生活できるって」


 私が目を覚ました直後、確かそんな風に説明していたはず。もしかしてあれはいい加減なことを言って誤魔化すつもりだったのかと、ジロリとキアンを見上げた時だった。


「私が君に言ったのは、フランメル王国の医療魔術士が治療したら、っていう仮定の話。バルジーナ皇国きっての凄腕魔術士の手にかかれば、そりゃ回復だって爆速に決まっているじゃないか」


 そう言いながら倉庫から出てきたのは、カルロさん同様、先日ブランモワ邸にキアンと一緒にいらした方――アレックスさんだった。長めの髪を頭の高い位置で無造作に結い上げ、芸術家みたいな丈の長いアトリエコートを着ているせいで体の線の細さが強調されており、女性だと言われても疑いもしないだろうと思った。


「ニナ、だっけ? 無事に持ち直したみたいだね」

「はい、おかげさまで」

「魔力に浸食された人間は、瞳が濁ったり髪が真っ白になって部分的に抜け落ちたり、なんていう後遺症があるらしいけれど……」

「!?」

「うん、君の魅力的なグリーンアイとジンジャーヘアに異常はないようだ」


 綺麗なブルーグレーの瞳にまっすぐ見つめられて、思わず身を硬くする。

 いま私の心臓が拍動を強めているのは、恐ろしい後遺症があることを聞いて驚いたからだ。近い距離でこうして瞳を覗き込まれているせいなんかでは、決してない。


「やめろ、アレックス。ニナを試すな」


 キアンはため息交じりにそう言うと、緊張ですっかり固まった私の手を引き、アレックスさんとの物理的な距離を取ってくれた。


「別にそんなつもりはないんだけど。……まあでもキアンの言う通り、魔力がゼロっていうのは本当みたいだねぇ」


 アレックスさんはそう言い、ニヤリと意味ありげな笑みを私に向けた。


「ちょっとまさか、また私に何か魔術をかけようとしたんですか!?」

「また、だなんて人聞きの悪いことを言わないでくれないか。私が君に魔術をかけたのは、今が初めてなんだから」


 つまりかけたということか。

 

「そんな怖い顔をするなよ。大丈夫、あのうそ発見器とは違って、今のは体内に魔力を流し込むタイプのヤツじゃない」


 だったらどういうタイプの魔術なのか問い質してやろうかと思ったけれど、余計なことを聞けば泥沼にはまりそうだったので、あえて何も聞かずに視線を逸らすだけにしておいた。


「さて……それで、今日は何のご用かな。ミスター……?」


 アレックスさんは分厚い作業用グローブを外すと、手を胸元に当て、腰をかがめてリュカに会釈をしてみせた。


「あの……僕、リュカ・アルエです。スチームビークルを、見に、来ました」


 小さな声でモジモジしながら答えるリュカ。その可愛さに再燃し始めた抱擁欲を、頭を撫でるという形に変換させてなんとか抑え込む。


「ガレネル・フェーケルをご存じとは! フランメル王国の人間にしてはずいぶんと耳が早いんだね、君は」

「えと、その……キアンに教えてもらったんだ。馬よりもうんと速く走るすごいカッコイイ乗り物だって」

「……カッコイイ、なんて言ってたっけ?」


 キアンがさっきスチームビークルについて説明をしてくれたけれど、そんな表現は聞かなかったはず。そう思いながら問いかけると、リュカは呆れたような顔を私の方に向けた。


「馬より速く走るんだよ? それだけでもうカッコイイって思うでしょ」

「ええー……いや、私は別に」

「なるほど。君は耳だけでなく、見る目にも期待できそうだな!」


 首をひねる私をよそに、アレックスさんは感心したようにそう言ってリュカの肩にポンと手を置いた。


「合格だ、リュカ。我らがラボに招待しよう。カルロ、この小さな紳士に紅茶を淹れてやってくれたまえ」

「はあ? なんで俺が……」

「君の淹れる紅茶は世界一だからだよ」


 頭をかきむしりながらぶつくさ文句を言いつつも、倉庫の方へと並んで向かうアレックスさんとリュカの後を追ってカルロさんも歩き出す。

 カルロさんが世界一おいしい紅茶を淹れる姿なんて、格闘家みたいなゴツイ見た目からでは想像できない。一体どんな技術を持っているんだろう、そんな好奇心を抱きながら、広い背中を見つめていると。


「いつまでそこで手ぇ繋いで突っ立ってるつもりだ? お前らもさっさと来いよ」

「えっ……あっ!」


 ふと振り返ったカルロさんに指摘され、私はその時初めてキアンの手をしっかりと握り返していることに気付いた。






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