フレイヴァ 2

 銀色に光る装飾品が、右手の人差し指を覆っている。甲冑の籠手の指部分だけを付けている、という表現がいちばん分かりやすいだろうか。指の第二関節から第三関節にかけての部分には赤い小さな石がはめ込まれていて、その石が放つ不自然な禍々しい光に、私は漠然とした不安を覚えた。


「この石には呪詛が込められている。俺の言行動を監視して、期限内に誓約を果たさなければ命を奪うんだ」


 本題からはずいぶんかけ離れた、しかも淡々とした語り口調の割りに重い事情を突然打ち明けられた私は、一瞬理解が追いつかずに首を傾げた。


「俺は罪人なんだよ。国の存続を脅かしたと糾弾されてバルジーナ皇国を追放された、国事犯なんだ」

「……」


 表情も変えず黙ったままの私に、フレイヴァ様は不思議そうにしながらも小さく微笑み、驚かないんだな、と言った。


「”フレイヴァ”というお名前を聞いた時に、もしやと思っておりましたので」

「フレイヴァの意味を知っていたのか。ブランモワ卿も存じておられたし、フランメル王国の人間は俺が知っているより博識なようだ」

「私はその……偶然、本か何かで目にしたことがあっただけです。この国でその名前の意味を知る人間は、そういないかと思われます」


 フレイヴァ様は私の言葉を訝しむ様子は見せず、小さく何度かうなずきながらソファの背もたれに深く体重を預けると、一つ大きく息をついた。


「俺に課せられた誓約というのは、祖国の利となるものを入手すること。金でもいい、武器でもいい、人脈でもいい。皇帝に認めてもらえれば、どんな小さなことでも構わない。ただそれを期限内に手に入れなければ、俺は死ぬ」


 国家に仇をなす国事犯でも、その行動力のベクトルを逆に向けさせれば大いに利用できるということらしい。

 失敗すれば死の呪いを発動すればいいだけだし、たとえ成功したとしても、野に放つのは危険だと判断すれば成功したと認めなければいい。皇国側にはメリットしかなく、罪人の抱えるリスクはリターンに比べてあまりに重い。

 全ては皇帝の匙加減によって決まってしまうとは言え、罰を課せられた者はその指示に従うしかない、というシナリオになっているというわけだ。


「……エレーヌ様との婚約を取り付けようとしたのは、”人脈”を手に入れるためですか?」


 私の問い掛けに、フレイヴァ様は後ろめたさを感じたのか、やや表情を曇らせながらうなずいた。


「ブランモワ伯との縁が繋がれば、今のところ”中立”という形で均衡を保っているバルジーナ皇国とフランメル王国は、一気に深く強く繋がることになるんじゃないかと思ったんだ。バルジーナ皇国は軍事力においては諸国より優っているが、食糧については完全に他国頼みで常に悩みの種だったりするからな。農業や漁業の盛んなフランメル王国から安定した食糧供給が得られれば、バルジーナ皇国の基盤はさらに盤石なものになるだろう」


 ブランモワ領は、フランメル王国の中でも屈指の広大な土地を有している。気候も良く土壌も豊かで水源にも恵まれており、農業はもちろんのこと、ギヨーム様の辣腕もあって商業も盛んだったりする。

 国内でもっとも豊かな資産を持っているのは王国が直接統括している王領だということになっているけれど、噂ではブランモワ領はそれをも凌ぐほどの莫大な資産を作り出しているらしく、そんな金の卵を産み続ける領地を治めるギヨーム様は、実はフランメル王国においてそれなりに重要人物だったりするらしい。

 宮廷への影響力の強いギヨーム様が娘婿のために一言国王へ口添えをすれば、両国はただの中立関係ではなく強固な同盟関係で結ばれるのでは、とフレイヴァ様は考えたようだ。


「何と言いますか、その……ごめんなさい」


 たとえあの賭けにフレイヴァ様が勝っていたとしても、エレーヌ様との結婚なんてラスペードという名の壁が通さなかったとは思う。それでも何らかの協力を仰ぐ交渉くらいならできたかもしれないわけで。

 事情を知った今、そのきっかけをふいにしてしまったことにいささかの申し訳なさを感じてしまった私は、謝罪の言葉と共に頭を下げた。


「どうして謝る? 君は別に何も悪くないだろ」

「それは分かっているんですけど……。でも私が現れなければ、話はいい方向に進んでいたかもしれないでしょう」


 私がそう言うと、フレイヴァ様は苦笑いを浮かべて首を横に振った。


「あの場ではうまくいったとしても、きっとどこかで破綻していたに違いないさ。政治の絡んだ立ち回りはそもそも苦手だし、何よりリュカという人材を見出せたんだ。君に会えたことはむしろ僥倖だったとさえ思っているよ」


 その言葉に、私はハッとして顔を上げた。

 人材も立派な資源なわけで、贖罪の対価として皇帝に認めさせるためにリュカを育てるつもりなのだとしたら、無償で指導する、というのも理解できると思ったのだ。


「もしかして、リュカを皇国に連れて行かれるおつもりですか」


 敵意を込めた視線をフレイヴァ様に向けて尋ねると、フレイヴァ様は眉をひそめて小さく首を傾げた。


「……本人がそれを望むなら橋渡しをしても構わないが、俺の意志で連れて行くつもりはないよ」


 そう答えるフレイヴァ様に、戸惑いや誤魔化した様子は見られない。嘘をついているようには見えないけれど……。


「でも、リュカを指導することで赦免を受けるつもりなんでしょう? それってつまり、リュカを人材資源として献上するということなんじゃ」

「俺が免罪符として皇帝に差し出すのはリュカじゃない、俺自身の価値だ」

「フレイヴァ様の、価値……?」


 首を傾げる私にフレイヴァ様は、ああ、と短く答え、テーブルの上ですっかり冷めきってしまったコーヒーのカップに手を伸ばした。


「優秀な魔術士を育てる指導者としての手腕が認められれば、俺の存在は国のためになることを証明できる。バルジーナ皇国は魔術大国だと言われているが、それはもう過去の話だ。軍隊の統制強化に重きを置いたせいで、今や宮廷魔術兵団は大した術も持たないただの傀儡集団になり果ててしまっているからな」


 そう話すフレイヴァ様の面差しは暗く陰っていて、それなのに眼光だけは異様に鋭い。まるでそこに憎い敵がいるかのように空を睨みつけるその様子から、フレイヴァ様がどういった立場の人なのかということを何となく察することができた。


「あの……フレイヴァ様、」

「キアンでいい」


 空になったコーヒーカップを置きながら、フレイヴァ様はやや乱暴に言い放った。


「事情を知っている人間からその名前で呼ばれるのは、ちょっと落ち着かない」

「あ、そうですよね。それじゃ……キアン様は」

「様も付けないでくれ。敬語もやめてほしい。俺は今はただの罪人でしかないんだから」

「今は、なんでしょう」


 私の言葉に、フレイヴァ様はピクリと片方の眉を上げた。



「そもそも旦那様のご友人でいらっしゃるし、馴れ馴れしくするのは立場的にちょっと」

「何が立場的にちょっと、だ。さっきから俺をちょくちょくバカにしたような目で見ていることぐらい、気付いているんだからな」

「……」


 あら鋭い、と言いかけた口を無理やり塞ぐべく、私はテーブル上の陶器皿に並んでいたパウンドケーキをあわてて一切れ頬張った。







 バルジーナ皇国には、フランメル王国のような爵位制度はない。世襲的な特権階級もなく、国民はみな平等だという民主的な国家であることを謳っているけれど、実のところは皇帝が絶対的な権力を独占して握っている状態だ。

 ただ、皇帝自身や皇帝を取り巻く政治を生業とする人たちにははるか遠く及ばなくとも、やっぱり一定の権威を持つ人は存在している。それは区分けされた各地域を治める首長であったり、特別な技術を持つ医師や技師であったりするけれど、魔術兵団の中でも“筆頭百人隊”と呼ばれる第一魔術兵大隊に配属された者は、総じて強い発言力を持つという。魔術によって魔獣の爪牙から皇国を守るその姿は民衆にとっては勇者そのもので、彼らは強さを表す象徴として崇められているそうだ。


「君は本当に魔力がないのか? どうやって俺が筆頭百人隊長だったと見抜いたんだ」


 ただの平民の行ないが皇帝の逆鱗に触れるシチュエーションなんてまず有り得なくて、国事犯として追放されることだって同じく有り得ない。つまり、発言や行動が皇帝の耳目に届く立場にありつつ、政には全く向かない世渡り下手の脳筋ゴリ押しタイプの人間と言えば、もうそれしか考えられないわけだけれど。


「何となく、そうじゃないかなあと」

「そんなふんわりした感じで誤魔化そうとするな。それからその温かいまなざしで見るな。また俺をバカにしているんだろ」

「バカになんてしてない……よ」

「言葉に詰まったな。やっぱりバカにしているんじゃないか」

「違いますー、言葉遣いの切り替えに戸惑ってるだけですー」


 その場の空気や言葉の行間を感じ取って相手の心の動きを察することは苦手なくせに、こういう心情は正確に嗅ぎ取ってくる。キアン……はたぶん、自分を低く評価されることに我慢がならないんだろう。


「もういい、いちいち気にしていたらキリがなさそうだ。とにかく、当面のところは俺の首もつながったようだし、君には礼を言っておくよ」


 そう言ってキアンが視線を向けた先に、私も目をやる。呪いの指輪に施されていた赤い石は、さっきまでのような禍々しい光は放っておらず、自然光を吸い込んで静かに煌めいていた。


「その赤い石が、刑の執行を知らせるとか?」

「ああ、まあ……そういうことになるかな。皇帝の意向を反映して光るようになっているんだ。さっきまではかなりヤバイ状態だったが、どうやら俺の考えは認めてもらえたらしい」


 安堵したように息をつきながらそう言うと、キアンはソファに無造作に投げ出していた黒い革の手袋を取り上げた。


「認めてもらえたって……えっ、今の話、全部聞かれてたの!?」

「さっきも言っただろ、俺は監視されているって。会話も居場所も全て、この石を通してあちらに筒抜けだよ」


 下手なことは言っていない……と思う。でも独裁国家の皇帝のお耳に私の言葉がどう響いたのかは、想像すらつかない。ものすごくつまらない一言でも逆上できるタイプの人間もいるわけだし、悪意をもって言葉尻を捉えられていれば、国際問題にも発展しかねない。


「わ、私、ちゃんとご挨拶しておいた方が良かったかな」


 青ざめながら小さな声でそう言うと、キアンは鼻先で笑い飛ばし、必要ない、と切り捨てた。


「頭を下げる価値もないクソ野郎だぞ。むしろ悪口を言っても構わないくらいだ」


 監視されている中でのその暴言は非常によろしくない、そう思って指輪の方に視線を送る。キアンの手は既に指輪ごと黒革の手袋に覆われていて、あの石が光っているかどうかは確認できなかった。


「これを着けていれば、少なくとも会話を聞かれることはなくなる。だから心配しなくていい」


 私の視線に気付いたのか、キアンは苦笑いしながら手袋をはめた手を掲げてそう言った……けれど、それで安堵できるわけがない。


「対象者が何を話しているかを把握するのも監視の目的に含まれているでしょ。それを阻害するのってマズいんじゃないの」


 私の指摘に、そう言われれば、と感心したように呟くキアン。

 なぜ今の今まで、自分がいかに危険なことをしていたかに気付かないのか。あまりに考えなしな行動に、今度は私が苦笑いを浮かべた。


「でもこれまで特に咎められたことはないし、別に構わないんじゃないか。ある程度のプライバシーは認めているんだろう」

「ええー……なんか緩いなあ」


 国家の存続を揺るがした、とかなんとかで国事犯として処分を受けているのに、その監視にしては何だか大雑把なような気がするんだけど……。


「キアン!」


 ちょっとした違和感を覚えて考えを巡らせようとした瞬間、ドアを勢いよく開けて応接室に飛び込んできたのは、学校から帰って来たばかりのリュカだった。


「キアン、来てくれたんだね! 今日から魔術の勉強始めるの!?」

「ああ、そのつもりだよ」

「やった! 僕ね、ずっと楽しみにしてたんだ! だからすごく嬉しいよ!」


 興奮冷めやらぬ様子で言いながら、キアンの手を握って上下にブンブン振っているリュカ。私は額に手を当てて大きくため息をついた。


「リュカ、やめなさい。だいたい、帰ってきて一番に言うことはそれじゃないでしょ?」

「うん、ただいま! 部屋にカバン置いてくるから、まだ帰らないでねキアン!」


 私の苦言を適当にあしらってから、リュカは私の方には一度も視線を寄越すことなく、そのままバタバタと慌ただしく部屋を飛び出していった。


「……何だ、その顔は。なぜ俺を睨みつける?」

「別に私、怒ってませんけど」

「なぜ睨むんだと聞いているだけで、怒ってるとは言ってないだろ。それに、どっちかと言うと拗ねているように見える」

「拗ねてない!」


 そう、拗ねてなんかない。リュカが私には目もくれないでキアンにばかり愛想を振りまいてたからって、私拗ねたりなんか……と思っていたら、遠ざかっていったはずの足音が再びこちらへと戻って来た。


「キアンを呼んでくれてありがとう、ニナ! 僕、ずっとこの日が来るのを楽しみにしてたんだ! ホントにありがとう、ニナ大好き!」

「……」


 お説教案件だとか思ってたけど、まあ、嬉しいことがあれば人間誰でも視野が狭くなっちゃうもんね。リュカには色々と心配とか迷惑とかかけ通しだったし、今日のところはお咎めナシでも……。


「大好きだそうだぞ。良かったな、ニナ」


 キアンには私をからかうつもりはないんだろうけれど、もしかして私の複雑な心境が見抜かれたんじゃないかという懸念から、つい厳しい視線を向けてしまう。


「……謝った方がいいのか?」


 いつまでも睨みつけたままの私に、キアンは不安そうに首を傾げながら尋ねた。






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