沈黙のアーカム(第一部&第二部)

中岡いち

第一部・第1話

 なぜ、そこにいるのか。

 存在の理由など、誰にも分からない。

 なぜ、生きているのか。

 それは、長い生命の歴史の連なり。





 弱い音だった。

 弱い雨の音がずっと聞こえる。

 夜の闇の中で、空気を埋め尽くすかのように降り続く。

 いつから降っていたのか、その場の誰もが覚えていないだろう。

 もう何日も降り続いていた。

 六人が出会ったのも雨の夜──。

 やっと見付けた〝仲間〟だった。

 ボロボロの廃墟──天井が高い。辛うじて、崩れかけたコンクリートの壁があることで建物であることが分かる。鉄筋造りでなければ、この建物はただの瓦礫の山と化していただろう。

 雨を凌げる場所ということで一度この場所に落ち着いたが、天井も完全に残っているわけではない。遮られない雨は床の瓦礫の上に降り注ぐ。

 装甲車の上に座り込んでいたティマが、静かに立ち上がった。

 ティマ・シティ──二五才──中尉。

 特殊部隊出身の中でも、格闘技に長けた女性兵士として有名だった。そのせいか、瓦礫の山の中を歩いていても足音を立てないことがあるくらいだ。装甲車の上で無音で立ち上がるくらいは造作もない。

 ティマは目を閉じ、耳に神経を集中させる。

 他の仲間達が出す音は不思議と気にならなかった。

 最近耳にかかり始めた真っ白な髪のほうが気になる。

 人員だけであれば二〇人は収容することが出来る大き目の装甲車の後ろから振動が響いた。それはティマの足にも鈍く届く。それに続いて装甲車の中から低く声が聞こえる

「ヒーナ、それで終わり?」

 シーラ・スノー──三二才──中佐。

 元々特殊部隊の隊長を務めていた経歴からか、この寄せ集めの部隊でも自然と隊長の立ち位置にいた。防衛大学でも女性としては歴代トップの成績で卒業したエリートとして有名だった。

 助手席で肩より少し長いくらいの黒髪を揺らしながら後ろを振り返ったシーラの声に対して、装甲車の後ろから声が響いた。

「そう、タンクで四つだから……どのくらいだろう、四日? 五日? そのくらいは走れるんじゃないかな」

「ヒーナ、もう少し声を落として。夜は響く────」

「はいはい」

 溜息混じりにそう応えたのはヒーナ・アーカス──二三才──一等兵。

 シーラとは違い、国内の各地域に特化した民間組織の部隊出身者だ。本来なら国内で警察組織の上に位置している組織として国外に出ることはないが、戦争の末期になって国軍に編成されることとなった。そのため、こんな国外の前線にいたまま、終戦を迎える。

 ヒーナの隣からもう一人の声がする。

「シーラ、弾薬も要らない物は省いて……これでも余裕はあると思います」

 チグ・ウェスト──二三才──一等兵。

 ヒーナと同じ民間部隊の出身であり、同時にヒーナの幼馴染でもある。ヒーナとは同じ部隊に所属されていたため、終戦後も一緒に行動してきた。

 シーラが応える。

「分かった────哨戒の二人はまだ戻らない?」

「多分もうすぐ……あっ────」

 小さな足跡が装甲車に近づく。

 ライフルを右手で軽くぶら下げた兵士がゆっくりと歩いていた。

 僅かに首にかかる程度の明るい赤茶色の髪がヘルメットの下からのぞき、背後からの月の光で余計それが明るく浮かぶ。

 スコラ・カーティス──二八才──少佐。

 シーラとの関係は長い。シーラが部隊を任されてからの付き合いだった。元々衛生部隊からシーラの部隊への転属だったが、スコラの戦闘能力の高さもシーラは高く買っていた。

「……静かね…………誰もいない……」

 装甲車の助手席ドアの側で足を止め、中のシーラに向けて続けた。

「そのせいでここの会話が外にまで聞こえるくらい」

 すると、シーラは口元に笑みを浮かべて応えた。

「大丈夫……ティマがいるから」

 視線は手にしている地図に落としたまま。

 スコラは視線を装甲車の上に向けた。

 屋根に立ったままのティマが見える。

 軽く息を吐いたスコラが呟くように口を開いた。

「……そうね……」

 ティマは目を閉じたまま。

 そのティマの足元に、雨が一滴、装甲車の屋根で甲高い音を立てた。新たに天井に出来た亀裂からだろうか。雨の侵入口は刻々と変化していた。

 その音を聞いたシーラが、助手席の中で上を見上げて口を開く。

「この建物も、もたないわね」

 すると、外の雨音に混ざり始めたその甲高い音の中、もう一人の小さな足音が装甲車まで届いた。

 スコラとは違い、まだ両手でしっかりとライフルを構えている。

 周りにゆっくりと目を配りながら口を開いた。

「四方3ブロック──八〇%でクリア」

 ナツメ・クールス──二六才──中尉。

 ティマと同じ部隊の出身者であり、無口で孤立しがちなティマのことを唯一理解できる戦友でもある。六人が即席部隊を作って行動を開始してから二ヶ月程になるが、未だにまともにティマと会話が出来るのはナツメくらいだ。元々同じ部隊だったということを加味したとしても、ティマは極度に他人との距離をとっていた。

 シーラがナツメに応える。

「ナツメ、ご苦労様。今夜の内に出るわ。ここもそんなにもたないようだし、雨の夜のほうが痕跡も消しやすい」

 すると装甲車後方から小さくヒーナの声が助手席に届く。

「雨なら何日もずっとだけど……」

 シーラはまるで聞こえないように地図に視線を戻す。

 スコラがヒーナに鋭い視線を向けるが、ヒーナは気が付いていない。

 不安そうな目になったのはナツメだ。元々の部隊内でもそうだったが、この即席部隊でもナツメは天性の人当たりの良さからムードメーカーだった。雰囲気の均衡が崩れるのを嫌った。ヒーナやチグとも仲がいいだけに尚更だ。

 国軍と民間部隊の仲が悪いのは決して今に始まったことではない。

 国と行政によって管理される公務員としての軍隊と、民間企業が組織する社員としての部隊では、命令系統や戦術、考え方が根本的に違う。

 国軍からすれば民間部隊は緩すぎ、民間部隊から見れば国軍は融通が効かない。

 確かに、髪の長さ一つとっても民間部隊は寛容だった。

 長さを正確に規定されているわけではなかったが、国軍では戦闘の邪魔にならないようにまとめるよう指示がある。そもそもが短くしている兵士の方が多い。

 しかし民間部隊では基本的に自由だ。最も国軍のように遠征することも本来は無かった組織でもあるため、それほど危険な状態にもなり得ない。事実、ヒーナとチグはまとめてはいるものの長いまま。ヒーナは緑がかった綺麗な黒髪だったが、背中までの長さを首の後ろで束ねただけ。チグはもっと長く、青みがかったグレーの髪を一本の三つ編みに束ねていた。

 自分は国軍とはいえ、民間部隊に所属していた義理の父親を持つナツメはそのことをよく知っていた。終戦直前になって民間部隊が国軍に編成された時から、やはりナツメも不穏な空気は感じ取っていた。それは終戦後こんな状態になっても変わらない。六人の即席部隊が作られてから二ヶ月の間ここにいる六人以外の人間と会っていないことも不安材料ではあったが、この即席部隊のピリピリとした空気もナツメの気持ちをざわつかせていた。

 この場の空気を変えたかったのか、ナツメは装甲車上のティマを見上げた。

「ティマ────大丈夫?」

 すると、ティマは目を開けてゆっくりと視線を落とす。

 そして、張り詰めた空気に似つかわしくないようなティマの静かな声が、全員の耳に届いた。

「大丈夫。行こう」

 ティマは機銃用のサンルーフ部分から装甲車の後ろに降りる。

 それを合図にするかのように、全員が装甲車に乗り込んだ。

 車両担当のナツメは運転席に乗り込むとヘルメットを外し、後頭部のヘアピンを外す。まっすぐな茶色の髪が背中とシートの間に滑り落ちた。腰まではないが、決して短いわけではない。首の後ろにヘアピンを回すと、軽く束ねた。

 シーラは助手席のまま、他は後部の貨物スペースへ──。

 横のドアをスライドさせながら、スコラが、

「さすが──」

 と言いかけて、ティマの顔を見て言葉を詰まらせた。

 決してスコラは、ヒーナのような皮肉屋ではなかった。そんなことをしても無駄でしかないことはスコラにも分かっている。

 ──さすが──〝堕天使〟────

 ティマはスコラが知る限り、国軍の中では最も恐れられた兵士だった。

 無駄に感情を表に出さず、無表情のまま敵兵を殺せる兵士──しかも得意とするのは銃火器だけではなく、その主力はナイフだった。格闘に長け、誰も訓練中にティマに勝った者はいない。射撃でも一流の腕を見せた。防衛大学の出身なら間違いなくエリートコースだったであろうと、よく噂された程だ。

 おそらく普通の人生を送ってきたわけではなさそうだ、とスコラは思っていた。

 別部隊であっても噂は聞こえてきた。しかもあくまで一兵士。士官候補でもない。

 そんなティマについたあだ名が──堕天使────。

 この二ヶ月、意外な形で行動を共にすることになったが、まだその脅威の程は分からない。

 唯一分かるのは、身のこなしに無駄がないこと。

 スコラにとっては、未だに近寄り難い存在。

 それが〝恐怖〟というものではない、と、スコラは思いたかった。





 戦争が終わって半年────。

 しかし、

 終戦の無線連絡が各部隊に届いてから、何も動きは無かった。

 戦勝国がどこなのか、その後の撤収──何も指示は無い。

 王族国家。ラカニエ帝国──階級こそあるが、時代の流れには逆らえず、実質的には一民主国家に過ぎない。大陸の中では二番目の広さを持つ領土の国家ではあるが、その周辺を他国に囲まれているために国境に海はない。

 大陸には二人の王がいた。

 大陸の中心に位置するラカニエ帝国。

 海に面したコレギマ帝国。

 周辺の国々は、元々二人の王が納めていた文明の連なりでもあった。やがてそれが国家として社会的に区分けがされても、歴史の流れが止まることはない。

 世界大戦に情勢が傾く中で、大陸は二分した。

 やがてラカニエの最前線は国境を越え、隣国内となって数年。

 最前線の各部隊は他国内で終戦を迎えることとなる。

 命令で動くのが軍隊。

 勝手な行動は命の危険と作戦の失敗を意味する。

 しかし、指示はない。

 国と連絡も取れない。

 どこも荒廃していた。

 至る所が戦火を逃れられず、文明の崩壊を感じさせる。

 生き残った部隊が独自に撤収を始める中、残存兵力との小さな衝突を繰り返す。

 そして、次第に世界が静かになっていく。

 やがて、孤立したティマとナツメの部隊は二人を残すのみ。

 同じく全滅の危機にあったシーラとスコラの部隊と合流。

 四人が救出する形でヒーナとチグが加わり、六人編成の部隊が再構成された。

 そして武力衝突も下火となり、衝突が無いままに二ヶ月が経っていた。

 少しずつ国境に近づいていることは間違いない。

 しかし、まだ道のりは遠かった。

 そして、雨が降り続いて一ヶ月────。





 まだそれほど遅い時間ではない。

 夜は長い。

 瓦礫に覆われる街並みは装甲車で通れない道も多い、地図の通りに進むことが出来ずに、何度も同じ道を繰り返す。

 四つのキャタピラが装備された大き目の装甲車ではあったが、戦車ほどのキャタピラの幅があるわけでもなく、通れる道は選ぶ。代わりにスピードは戦車を上回るため、機動性の面では戦場で重宝した。

 しかしその操作は特殊だった。戦車のようにキャタピラが使用されていながら四輪車のような立ち回りも必要とされることから、誰でも動かせるものではない。ギアは前進六、後進二の合計八ギア。微量ではあるが、各キャタピラの上下操作も可能になる。これは戦車ほどのパワーを持ち合わせていない部分の補完となる部分でもあるが、それは同時に足回りの故障も誘発した。戦地での整備や修理に費やされる時間が増えるため、現場からの不評が多い機体でもある。

 しかし元々部隊の車両担当を務めていたナツメは同時に技術担当でもあったため、他の車両担当の兵士とは違って、むしろ好んでこの車両を使用していた。その一番の理由はキャタピラとは思えない程のスピードと小回り。同時に最高で二〇人の人員を輸送することも出来る。戦車のような主砲こそ無いが、屋根部分には収納可能な重機関銃も装備され、左右には外側にスライド可能な射撃用のシート。機動性や攻撃力、輸送力という点で他国からは嫌われた機体でもあった。

 ナツメはその夜も瓦礫だらけの悪路にも関わらずスムーズに運転を続けた。運転者によって乗り心地に影響の出やすい機体とも言えるだろう。

 現在、後部座席には四人。ディーゼルエンジンで動く装甲車用の軽油を入れた大きなタンク四つが幅をきかせ、他には各銃火器用の弾丸がそれぞれのケースから溢れていた。中は軽油タンクのせいで油臭い。そのため、左右のスライドドア、後部の両開きドアに備え付けられた小さな窓は常に開け放たれたまま。それでもその窓が小さいために匂いは簡単には流れない。

 スコラがその匂いに息苦しさを感じながら、向かいに座り込むティマを見た時だった。

 ティマは座り込んだまま、傍のレインコートを手にして素早く羽織った。ほとんど音はしない。装甲車が悪路を走行する音に紛れているとはいえ、相変わらず音を立てることに対して敏感なティマらしい。そして右手に自動小銃を掴んで腰を上げる。

 そこでやっと近くのヒーナとチグもティマを見上げた。

 ティマはスライドドアに手をかけ、膝を立てる。

「チグ──」

 突然の自分の名前に、索敵担当のチグはモニター前で体を硬くする。

 ティマが続けた。

「レーダーから目を離さないで──スコラ……」

 いつものように、階級が上であってもティマは敬語も役職も無視する。

「機銃で上に──周囲の警戒を──ヒーナは私が出たらドアを閉めて、ライフルでスライドシートへ──シーラ」

 運転席のある前部座席と貨物スペースを隔てる扉の小さな窓が開いた。

「──後の指示を──ナツメはギアを三速まで下げて……速度は任せる──出るよ」

 ドアが開く──。

 自分が出られるだけスライドさせると、ティマは素早く外に体を転がした。

 素早くヒーナがその扉を閉めて叫ぶ。

「相変わらず! いつも勝手に──!」

「黙ってヒーナ」

 ヒーナを黙らせたのはスコラだった。

 そして続ける。

「ティマの〝感〟は外れない──シーラにライフルを──」

 ヒーナが舌打ちをしながらライフル二丁を手にし、その一つをシーラに渡すために前部座席側の扉を開けた。

「あなた隊長でしょ⁉︎」

 そのヒーナの言葉に、助手席でライフルを受け取りながらシーラが冷静に応える。

「そうね──でも、今、この場所で一番信頼出来るのは彼女────」

 ヒーナが声を詰まらせると、更にシーラが続ける。

「ティマを信じて────全員の命のため」

 再び舌打ちをしたヒーナが後ろに戻ると、すでにレインコートを身につけたスコラが重機関銃のシートに乗り込んでいた。シートごと屋根の上にスライドを始めている。稼働する間だけ屋根の一部が開く機構だ。複雑なギミックのために、決してスピードは早くない。戦闘中だと射撃の的になる危険性もあるため、その運用には神経を使った。

 今はすぐに攻撃があるのかどうかも分からない状態。ティマからの全体への指示は〝警戒〟。そして自らが先陣を切って哨戒任務に向かった。そういう部分が信頼の出来るところだとスコラは感じていた。

 怖い物知らず──ではない。何度も〝死〟の隣にいたはず……だから最強の兵士になれた……だからこそ、スコラはティマに恐怖を感じていた。

 ようやく体が外に出る頃、スコラは雨で寝れ始めた頭にヘルメットを被る。シートの屋根へのスライドが終わる前に、いち早く外に出ていた重機関銃の銃身を伸ばし、安全装置のロックを解除した。ナツメが装甲車の速度を落としたためか、それほど強く風は感じない。僅かにレインコートが雨混じりの空気を受けるだけだ。

 軽く下に視線を配ると、ちょうどライフルを構えたヒーナを乗せたシートが装甲車の右横にスライドした直後だった。車両のすぐ横だけに、路面には近い。周りの建物や地形の影響を受けやすいのか、ヒーナのレインコートを見る限りでは、屋根の上のスコラよりは風の影響を受けているようだ。

 全員のヘルメットの内側にある小さなスピーカーからシーラの声が聞こえる。

『チグ──レーダーに動きは?』

 貨物スペースで分厚いラップトップを開いていたチグがヘルメットのマイクに応える。

「何もありません──動体反応はティマ中尉だけ──デジタルセンサーの反応も無いので、少なくとも付近に稼働状態のドローンは確認できません」

 そう言いながら、チグは周波数をこまめに切り替えた。敵国のドローンの場合、どの周波数を使ってデータのやり取りをしているか分からない。しかしどこの周波数にもヒットするものは無かった。黙々と、ただ目と耳に神経を集中させた。

 装甲車から離れたティマの移動速度は早い。

 雨で足場は悪かった。

 所々、大小様々な水溜りもある中での移動となれば、完全に足音を消すのはティマでも不可能だ。

 それを誤魔化すためでもあったが、ティマは平面的な動きを避け、上下にも動きをつけていた。

 瓦礫の上。

 建物の中から窓伝いに。

 やがて三階建のビルの屋上に辿り着くと、這いつくばるように身をかがめ、自動小銃を構えた。すぐに動けるように、片足の靴底だけは床につけたまま。

 動きやすいように愛用の銃火器の中で自動小銃を選んだが、通常の弾丸の口径の小ささに比べて威力は大きい。ティマは動きやすさのために銃の威力を落とすのを嫌った。立ち回りしやすく、かつ威力の強い銃火器を好んだ。しかし通常、威力の強い物は概ね重い。それでも機動力を落とさずに動けるのはティマだからだろう。ティマもそのために訓練を繰り返してきた。

 そして今回その自動小銃を選んだのは、今の状況を可能性として考えていたから、ということもあるのだろう。

 通常の自動小銃では遠距離の狙撃は難しい。しかしティマは独自に改造を施すことでそれを補っていた。銃身を伸ばし、スコープを取り付け、弾丸の口径はそのままで威力を増すように手を加えている。もちろん技術担当のナツメの協力があってのことだ。

 その銃を構え、覗いたスコープの先に見えたのは一機のドローン。

 暗闇の中、兵器という特性から、もちろん明かりはつけていない。

 微動だにしないまま、建物の影に隠れるように静止して浮いたまま。

 高さはティマと同じくらいだろうか、まだティマの存在には気が付いていないようだ。

 ティマはスコープ横の小さなスイッチを押して小さく口を開く。

「チグ──データを送った。解析を」

『了解』

 チグはラップトップの画面を見続けたまま応えていた。

 短い動画が表示される──。

 黙って見続けた。

 装甲車横のスライドシートからのヒーナの心配そうな視線にも気が付かない。

 ヘルメットからシーラの声

『チグ──どう?』

 少し間が空いたが、チグのはっきりとした声が全員のヘルメットに届く。

『分かりません────見たことがない……データにも────レーダーにも表示されないし…………』

『分かった』

 すぐに指示を飛ばすシーラが続ける。

『ティマ──動きは?』

 すぐにティマも返す。

『まだ──こっちのトレースと警戒を』

『分かった──頼むわ──スコラ──ヒーナ──左サイドは私が哨戒する』

 そう言ってシーラが助手席の窓から銃口を出した。

 直後、その隣の運転席からナツメの声が響く──。

 右にハンドルを切った先に──。

「前方‼︎」

 ほぼ同時にスコラの声──。

『十二時‼︎ 距離五〇〇‼︎』

 同時に重機関銃の音──重い。

 火薬と線光が辺りを明るく照らす。

 歯を食いしばるナツメは指示を待ちながら徐行を続けた。

 助手席からシーラの声。

「進路そのまま──速度よし!」

 フロントガラスの助手席側だけを上に開き、シーラがライフルを構える。

 ヒーナも暗闇と距離のせいで狙いを定めきれない。

「……とぉい……」

 小さく呟く。

 そしてその声と重機関銃の低音はティマの耳にも届いていた。

 スコープの中のドローンが動き始める。

 ティマは迷わず引き金を引いた──。

 三発──。

 当たったことは間違いないが、ドローンはよろめきすらしなかった。

 再び引き金を引き続ける──。

 十数発が暗闇に消えると同時に、ドローンが大きく動いた。

 その頃、

 スコラも引き金のタイミングに悩みながら、銃口から飛んでいく光の矢を追いかけていた。

 地面から少し上に浮かんだままの、ドローンのような影が小刻みに動いている。

 暗闇でその姿をはっきりとは確認出来ない。

 チグからのレーダー反応の報告が無かったということは、少なくとも味方ではないはず。

 そして、影が大きく動く──。

 距離が縮む──。

 瞬間的に全員が恐怖を感じた。

 はやい──。

 音もなく目の前まで──。

 スコラは引き金を引き続ける。

 相手の色すらも分からない。

 そして、その影から、何かが大きく分割して放たれる。

 真っ直ぐスコラへ──。

 ────⁉︎

 直後、そのスコラの視界をティマの体が塞ぐ──。

 そのせいで、一瞬だけスコラに当たる雨が切れた──。

 状況を理解出来ないスコラの目の前でティマが体を大きく回し、目前に迫る物体を蹴りつけ──それは大きく装甲車横の地面に叩き付けられる。

 そして、それがワイヤーのような物で繋がれていることはスコラにも分かった。

 ティマが目の前の影に自動小銃を連射──そして僅かな後退を見逃さない。

「スコラ‼︎」

 その声に応えるように重機関銃が爆音を響かせ、そして、目の前の影が大きく弾き飛ばされた。

 直後、全員のヘルメットに響いたのはチグの声────。

『周囲にドローン多数‼︎』





 ティマが孤児院にいたのは三才から。

 ティマ自身に記憶はないが、週に一回の面接で何度か聞かされた。

 〝もう三才からここにいるのに……〟

 そしてティマはその面接が嫌いだった。

 そんな時間を設けて、何を聞き出したいのかが理解出来なかった。

 〝友達を作りなさい〟

 孤児院に友達と呼べる相手はいない。

 物心がついた頃からここにいた。

 この孤児院がティマにとっては総て。

 友達というものが何なのか分からない。

 誰かと仲良くなっても、その子はすぐに新しい親といなくなる。

 親とは何だろう。

 ここの職員とは違う?

 ティマと同じくらいの歳で孤児院にやってくる子供もいた。

 その子達は、親というものを知っているのだろうか?

「綺麗な髪だね」

 ある日、ティマにそう話しかけてきたのは、たまに孤児院にやってくる教会の神父と同じ格好をしていた。

「こんなに綺麗で長い髪は珍しい……白というより、微かに金色にも見える」

 その男は、この教区ではなく、別の教区の教会にいる神父だった。孤児院で聖書を読み上げるために来たわけではなく、純粋に養子を探していた。

 今までにも何人も養子として子供たちを引き取っていた。

 ティマはすでに八才。

 このくらいの年齢になると、新しい親を見つけるのは難しい。

 というよりも、引き取られにくい。

 子供に選択権はない。

 親の側にもよるのだろうが、より幼い子供を求める親のほうが多いのだという。

 引き取られる可能性の少なくなった子供達は、軍隊に入るか、もしくは教会等の〝新しい施設〟に引き取られる。

 ティマを気に入ったその神父を、孤児院は歓迎した。今までの繋がりのこともあるかもしれないが、孤立気味で友達を作れないティマのような子供を、孤児院は手に余していた。

 ティマは年齢的にもまだ社会の構造などは分からなかったが、連れて行かれた先が孤児院のあった街よりは田舎であることは分かった。

 車の後部座席で見たことのない道を進みながら、窓の外の景色からはしだいに大きな建物が少なくなっていく。何度もカーブを繰り返し、山道、大きな湖のそばを通りながら、その教会に着いたのはもう遅い時間だった。

 すでに夕食の時間は過ぎていたらしく、最初の夜の食事は一人で食べた。

 一人であることに苦痛は感じない。

 周りに他人が大勢いても、ティマはいつも一人だった。

 料理も孤児院と大差は感じない。

 連れて行かれた寝室には、ベッドが一〇個程並べられ、一つを除いて、すでに誰かがシーツに包まっていた。

 何事もなく数日が過ぎたが、ティマのように引き取られた子供達は皆、女の子だけだった。年齢は様々だ。ティマよりも少し上の子からもっと幼い子まで一〇人程度。

 神父は四〇代。それより少し若い妻と、まだ幼い娘がいた。

 母親というより、召使いのような妻と、決して離れようとしない娘。その娘と神父が会話をしているのをティマは見たことがない。

 これが家族というものだろうか──ティマは違和感を感じていた。


 何かがちがう……。


 養子として引き取られた──しかしティマのように教会に引き取られた子供達は、通常の養子とは明らかに違った。名字もそのまま。

 新しい施設に入ったようなもので、日々、教会の手伝いに追われた。

 そして孤児院と違うことはもう一つあった。

 毎日ではなかったが、夜になると神父が寝室にやってくる。就寝時間になった子供達に飲み物を与え、その内の一人、もしくは二人に何かを耳打ちする。そしてそんな夜は、眠りに落ちるのが早い。

 まだティマは耳打ちをされたことがない。

 それがどんな内容なのか、他の少女達に尋ねたこともない。

 そもそも、最低限の会話しかしていない。

 夜に耳打ちをされる子は、他の子とは違う飲み物のようだ。トレイの上の小さな紙コップは明らかに分けられている。その紙コップが自分に向けられた時、ティマは初めてそれを知った。

 その紙コップはもう一つ──隣のベッドの子だった。

 ティマが受け取った直後、隣の子が紙コップを落としかける──神父の視線がその子に向いた瞬間、ティマは無意識の内に紙コップの中身をベッドマットに染み込ませていた。

 薄暗い室内──黙って紙コップをトレイに戻す。

 すると、隣の子に飲み物を飲ませた神父がティマに微笑みかけ、顔を近づけ、耳元で囁いた。

「一時間くらいしたら……私の部屋に来なさい……」

 隣の少女にも同じように耳打ちをすると、神父はトレイを持ったまま寝室の小さな明かりを消した。

 神父が部屋から出ると、全員が無言でシーツに包まる。

 隣の子に聞きたいことは沢山あった。

 ティマより少し上の子だ。それでもティマからは大人びて見える子。

 眠れないまま、ティマは周囲の音に耳を傾けていた。

 しばらくすると、周りから微かに寝息が聞こえ始める。

 隣の〝あの子〟のほうから、寝返りをうつような、そんなシーツの音が静かに響く──。

 同時に聞こえる息遣いは、寝息とは違う。

 どのくらい時間が経ったのか、その子は部屋を出ていった。

 扉を閉める音は小さい。

 廊下から聞こえる足音のほうが大きく感じられた。

 もう一時間経ったのだろうか──時間の感覚も分からない。ティマは自分が緊張していることに気が付き、シーツに包まり、横を向いたまま動けない。

 そして、静かだった。

 途端に、体が動く。

 ベッドの上で起き上がった。

 偶然手を置いた位置が暖かい。

 まだマットを濡らしていた液体が、やけに熱を持っている。

 ベッドを降り、扉へと向かう。

 静かだ。

 廊下に出ると、寝室とは違って、急に空気の流れを感じる。

 それほど広い廊下ではない。

 神父の自室までは階段を一つ降りる。

 小さな子供にとってはそれなりの距離。

 今は何時くらいだろう。

 建物の中が静まり返っているようだ。

 耳に届くのは自分の裸足の小さな足音だけ。

 部屋の扉が見えてきた。

 静かなはず……静かなはずなのに……人の存在を感じる……。

 それが気配なのか息遣いなのか分からないまま、ティマは扉を開けた。

 薄暗い──。

 小さな明かりに照らされる人影。

 その人影が振り返った時、初めてティマはその人影が、裸の神父の背中であることを理解した。

「……君か……遅かったじゃないか……」

 息が荒い……途端にティマの中に、異常なまでの嫌悪感が湧き上がる。

 いつもの神父の声とは思えない。

「……君も……早くきなさい……服を脱いで……」

 神父の姿の向こうに、もう一人の人影──小さな顔が見えた。

 ──〝あの子〟だ──

 そして、その目に表情は無い──。

 まるで人間のようには思えない。

 孤児院で、何度も感情が薄いと言われてきたティマから見ても、その目に〝生〟を感じることは出来ない。

 恐怖──

 嫌悪──

 近づいてくる神父は──

 目を離せない──

 体はうごく──

 動かした手に当たる物──

 何でもいい──

 力を込める──

 目の前で振り払った──

 次の瞬間──木製の骨組みの椅子が、神父の頭に当って砕けた──

 なぜか冷静な自分がいる。

 椅子の砕けた木材がティマの手に残る。

 その前で体勢を崩して倒れ込む神父は、何も服を着ていない。

 軽い木材だ。

 だから持ち上げられた。

 しかも脆い。

 しかし、今、ティマの手に握られているのは、細長い木材。

 自然と足が動く。

 倒れている神父──

 驚きの表情を浮かべる大人の男──

 嫌な匂いだった。

 その体に、何度も、木材を突き付けていた。

 何度も、何度も、繰り返し、繰り返し…………

 驚くほど簡単に、それは体に吸い込まれていく。

 何度目かに、男の体がそれを受け入れているかのような感覚があった。

 体の組織が激しく収縮を繰り返す。

 体の中が蠢く感覚。

 初めて手にした〝武器〟から、それはティマの手に伝わっていく。

 暖かかった。

 〝生〟を感じた。

 ──生きている…………

 嫌な匂いと音──

 男が何度も口を動かしているのは分かっていた。

 しかし何も聞こえない。

 やがて、男の体は〝武器〟に対して抵抗することをやめた。

 それを理解したティマは、ゆっくりと一歩だけ下がる。

 そして足の裏に感じる生温かさ。

 ぬるぬるとしていた。

 〝あの子〟の声が耳に届いた。

 見ると、〝生〟の無い目で天井を見上げ、言葉にならない呻き声を口から漏らしている。

 横に立ったティマは、手にしたままの〝武器〟を、その子の膨らみかけた胸に突きつけた。

 その子の痙攣が、今度はティマの全身に響く。

 声も出ないようだ。

 目だけが動く。

 初めて、ティマはその子と目が合った。

 やがて、瞳孔が小さくなっていく。

 そして、もう何も感じられないまま、ティマは突き刺されたままの〝武器〟から手を離していた。

 薄暗い部屋で、床は至る所が濡れている。

 暗さでよくは分からない。

 ドアまではすぐだ。

 一歩、一歩、嫌な感触と音がする。

 気持ちが悪い。

 ドアを開けた。

 そこには、仰反るように座り込んでいる神父の妻。

 小さく体を震わせ、何かを言おうと口が小さく動いているのが見える。

 恐怖に震える目──だけではない、何か別の感情がそこには含まれていた。

 しかし今のティマには、それがどういうものなのか、まだ分からなかった。

 ティマは寝室に戻ることはせず、教会の外に出た。

 周囲は森に囲まれている。

 どこに行けばいいのか、幼いティマには分かるはずもなかった。

 ティマが逮捕されたのは、それから七年も後、とある田舎のスラム街でだった。

 一五才──。

 スラム街で、最初にホームレスのように生き始めた時、最初にやったのは髪を切ること。知り合ったホームレスにハサミを借りると、出来るだけ短く切った。

 〝あの男〟が誉めた長い髪を…………

 まともな人生というものがどんなものか、ティマは知らない。

 ただ、その日のためだけに生きてきた。金を盗み、着る物を盗み、食べ物を盗み、生きるためなら人を殺した。

 自分を女として見る男も殺した。そういう目を持つ男は、ティマにとっては嫌悪する対象でしかない。

 生きるのはスラム街だけ。人が死んでも警察の仕事に繋がらないような人間達の街──それでも定期的に警察の目が光ることもあり、やがてティマは逮捕される。

 刑務所内で同じ部屋の囚人を殺した直後、ティマは裁判よりも早く移送される。

 理由の説明がないまま降ろされたのは、陸軍の訓練施設だった。

 国は戦争の最中、最前線に送り込む〝捨て駒〟を求めていた。

 死刑囚、もしくはそれに相当する囚人──身寄りが無い者は優先度が高い。

 人を殺したことで法に裁かれようとしていた自分が、国の命令で人を殺す──しかも人を殺すための訓練までしてくれる──ティマにとっては滑稽でしかない。

 訓練の成果は目覚ましいものだった。

 銃火器の使い方を覚え、ティマの得意な格闘術では何人も殺しかけ、成績は高順位だが問題児扱い。

 それでもティマにとっては、そんなことはどうでもよかった。

 整った綺麗な顔立ちにも関わらず、無表情で感情を表に出さない。

 誰も近寄ろうとはしなかった。

 そして、後にティマは戦場で〝堕天使〟と呼ばれるようになる。

 ティマもそれで良かった。

 誰かと繋がっていたいと思ったことはない。

 会話といえば、上官との報告業務のみ。


 むしろ、早く戦場に行きたかった。


 しばらく人を殺していない──刃物を体に突き刺した時の、繊維の反発と吸い付き──のたうち回る内臓と体液──その全てが自分の手から全身に伝わることで、相手を完全に支配することが出来る。

 あの感覚だけは、何物にも変え難い。





 チグの声が装甲車内に響いた直後、続けてシーラが叫ぶ。

「妨害電波とルート作成‼︎ チグ──ナツメに送って‼︎」

『了解‼︎』

 しかし、応えたチグは震えた声で呟く。

「……多すぎるよ……」

 シーラの指示が飛ぶ。

「ヒーナは追尾ランチャーに切り替えて右から後方‼︎ 右全体も忘れるな! 左のスライドシートは私がつく──スコラ!」

 重機関銃のグリップを掴んだまま一瞬の出来事に唖然としていたスコラは、ヘルメットからのシーラの声で自分を取り戻す。

 その声が続く。

『いけるわね──』

 目の前の自分が弾き飛ばした〝影〟が少しずつ離れていく──見たことのあるドローンではない。

 そして、まだ僅かに残る恐怖を抑えながら、スコラは叫んだ。

「上は任せて! チグ! データを!」

『了解‼︎』

 スコラが軽く左に頭を振った時、ちょうどティマが装甲車のボディ伝いに下へ降りるところだった。

 ──目も合わせなかった……

 ──生きてこの戦闘が終わったら…………

「データOK! ナツメ‼︎」

 チグの声が響いた直後、ティマが素早く貨物スペースへ──装甲車が大きく揺れ、カーブを描きながら速度を上げる──。

 ティマがチグの隣で体勢を落とすと、ラップトップを覗き込んだ。

 一瞬、チグが身を硬くする。

「分かった──ドローンは小型タイプね。しかも古い」

 そのティマの声は、なぜかチグには落ち着いているように思えた。

 全員が緊張で張り詰めているはずなのに、その声は別次元のように柔らかい。

 ──天使…………

 チグの心に不思議な言葉が浮かんでいた。

 終戦前からの噂も聞いていた。

 冷徹に兵士を殺す、味方からも恐れられる女兵士────。

 しかもナイフで…………チグには悪魔に見えた。

 それなのに……この感情が何なのか、チグには計りかねた。

 左側のスライドシートで、ライフルを構えたシーラが外に出る。その姿を確認したティマは自動小銃をいつもの棚にかけると、腰のオートマティックを手に取り、後ろの左右に別れた扉の片方を開いて言った。

「チグ──閉めて」

 次の瞬間、ティマの体は素早く外に放り出される。

 唖然とするチグはすぐには動けないでいた。みるみる小さくなり、闇に消えるその姿は、チグからは、やはり別次元の世界。

「チグ‼︎」

 チグの意識を戻したのはヒーナの声だった。

「早く閉めて! ナツメが動かしにくい!」

 慌てて扉に手を伸ばしたチグに、更にヒーナの声が響いた。

「きたよ! 三……四時!」

 チグは閉めかけた扉の隙間からその光景を見て恐怖した。

 ヒーナの声が続く。

「スコラは⁉︎」

『一〇時! 上‼︎ そっちは頼むヒーナ!』

「一〇機以上いるんですけど!」

 そのヒーナの声は重機関銃の爆音でかき消される。

 重機関銃の薬莢が装甲車の屋根を叩きつける。その音がチグの耳を覆った。

 続くようにしてヒーナの追尾型ランチャーが音を立てる。

 しかしそのロケットは建物に当たってコンクリートの壁を吹き飛ばした。

 チグが叫ぶ。

「ロックオンは一秒以上にしてっていつも言ってるでしょ‼︎ 短ければ追尾型っていったって──」

 ヒーナが何かを言い返すが、上からの爆音のほうが大きい。

 するとチグが何かを思い出したように運転席を見て叫んだ。

「ナツメ!」

 ナツメも叫ぶ。

「入るよ‼︎ 気をつけてスコラ‼︎」

 僅かに辺りに落ちていた月明かりが消え──トンネルの闇の中へ──ラップトップに視線を戻したチグが口を開く。

「前方はクリア! 後方に集中を‼︎」

 後方に台座を回転させたスコラの声がヘルメットに響く。

『二機は落とした──最新のデータを送って!』

「了解!」

 応えたチグに、スライドシートを収納したシーラが寄り添う。

「ティマのトレースは出来てる?」

 慌てたようにチグがモニターを確認し始め、応える。

「大丈夫です……距離はあるけど……」

「ならいいわ……ティマなら──」

 ランチャーの発射音──シーラが後部の小さな扉から外を確認する。

 重機関銃の爆音の合間──後方からの爆発音──。

「よし! いいわヒーナ──後ろはスコラと頼む──私は助手席から前方の警戒にあたる」

 シーラはそれだけ言うと助手席に戻り、助手席側だけ上に開いていたフロントガラスからライフルを構えた。

 スコラの重機関銃を後方に集中させているために前方の警戒が出来ない。左側のスライドシートでは前方に対する死角も多い。本来ならこのような体勢でポジションにつくことはないが、レーダーに現れなかった敵も、事実〝いた〟──警戒を怠ることは出来ない。

 ヒーナは素早く次のロケットをセットしながら、上からの爆音に紛れるように呟いていた。

「……珍しく褒めるなんてね」

 重機関銃の低音はトンネルの中で反響を繰り返して爆音を響かせていた。

 チグのヘルメットに運転席のナツメの声が聞こえる。

『チグ──ティマは? 合流出来るの⁉︎』

「トレースは出来てる──近くのドローンの信号がどんどん消えてるよ──」

『さすがティマ──こっちの最新のルートを教えてあげて』

「了解──すごい……けどまだ一〇機以上は……」

 そして、続けてチグが声を張り上げる。

「──! 出るよ!」

 雲に遮られた僅かな月明かりが、雨と共に装甲車を出迎えた。

 大きく右に旋回し、アクセルを踏み込む──狭い路地に入るとチグが再び声を張り上げた。

「シーラ──最新データを送ります! 前方にティマがいる! 指示を!」

 助手席のモニターを見たシーラが応える。

「後方はだいぶ抑えた──ヒーナ、ライフルに切り替えて後方の警戒を続けて! スコラはそのまま前方に切り替え!」

 重機関銃の台座が回る──前方に向けた銃口を見ながらスコラは思った。

 ──あの先にティマが一人で……?

 そのスコラのヘルメットにヒーナの声がした。

『後ろは振り切れる──後退しかけてるから──任せて』

 スコラはいつの間にか口元に笑みを浮かべていた。

「民間部隊の割にはやるじゃない」

『まあね』

 続けてチグの声──。

『会敵距離‼︎ 警戒‼︎ ティマに気を付けて‼︎』

 全員が一斉に目を凝らした──。

 チグの声が響く。

『残機──三⁉︎』

「…………悪魔だ…………」

 ヒーナの呟く声が全員のヘルメットに届いた直後、ナツメが叫ぶ。

「──〝堕天使〟だ‼︎ 十二時‼︎ 上‼︎ スコラ‼︎」

 辺りを爆音が包む──激しいナツメのハンドル操作でも、スコラは狙いを外さない。

 一機──また一機────

 そのスコラの横に、突然飛び降りてきたのは──ティマ────。

 ────‼︎

 銃口の向こうから目を離さないまま、スコラの横に顔を出した。

 横目でその顔を確認したスコラに、ティマは前を見たまま。

「ただいま。やるね」

「ティマ確保!」

 いつの間にかスコラが叫んでいた。

 シーラの声が響き渡る。

「撤収‼︎ チグ!」

『変更無し‼︎ 正面のビル地下!』

『オッケー!』

 ナツメのその声で、装甲車が地下へと飛び込む──素早く方向転換させてエンジンを切った。

 突然辺りが静かになる。

 それから三〇分────

 全員が息を殺した。

 そして、最初に助手席のシーラが口を開く。

「チグ──索敵状況の報告を」

『周囲一キロ──レーダーに反応無し』

 一人だけ冷静なティマを除いて、全員が同時に大きく溜息をついた。

 思い出したかのように、全員の耳に外からの雨の音が聞こえる。

 シーラが貨物スペースとの間のドアを開けて指示を続けた。

「ナツメとヒーナは哨戒に行って。チグは最初のドローンの……多分ドローンだと思うけど、あいつのデータをまとめて。ティマ──」

 貨物スペースで自動小銃を抱えて座り込んでいたティマがシーラを見る。

「あなたは近くで〝アレ〟を見たの?」

 そのシーラの言葉に、ティマは静かに応えた。

「初めて見た──銃火器じゃなくて……一部をロケットのように打ち出して攻撃してくる。爆発はしない。ワイヤーみたいな物で繋がってた」

 重機関銃のシートと一緒に貨物スペースに降りてきたスコラにもその声はもちろん届いた。

「あっ……」

 ティマの話に思わず声が出る。

 すかさずシーラが口を開いた。

「なに? スコラ」

「……ワイヤーみたいな物……付いてた」

 シートから足を下ろしながら、スコラはティマに目をやる。

 スコラと目の合ったティマはシーラに視線を戻して続けた。

「そのワイヤーを使って引き戻す。そしてまた攻撃してくる」

 シーラが軽く溜息をついて応える。

「そんな非効率な攻撃……そんな兵器は聞いたことがない……」

 するとラップトップを見つめたままのチグが口を開く。

「銃火器で攻撃するのが一番いい……火薬も使おうとしないでぶつけてくるだけなんて……」

「ワイヤーすら破壊出来なかった──」

 そう言ってティマが続ける。

「ただ、一瞬だけ〝あいつ〟の動きを止めた時、こいつをもぎ取ってやったよ」

 ティマは手の中の小さな物を、チグの足元に転がして続けた。

「それが何なのかは分からない。見たことない兵器なら気になるでしょ? 任せる」

 チグはそれを拾い上げて、ただ、見つめ続けた。

 シーラとスコラもその手を覗き込む。

 ティマの言葉が続く

「ただ破壊しようと思っただけなんだけど……手土産になるかな」

 チグが顔を上げて頷いた。

 まるで見たことのない物だった。

 何かの部品なのかすら分からない。それどころか素材すらも分からなかった。いくつかのギミックのようなものは見えるが、デザイン的にも自分達の想像の中にあるものではない。

 シーラがそれを見つめながら口を開く。

「ナツメが戻ってきたら、彼女にも聞いて見るけど……今は少し休んで。二人が戻ってきたらスコラとチグで哨戒を交代。全員が休んだら……少し情報をまとめる。以上」

 こういう時、大概ティマには指示が無い。ティマはいつも一人で判断をし、休める時に休む──シーラもその方が一番いいと感じていた。そのくらい信用できる兵士でもあるが、もちろんそれは今のような特異な状況だからだ。通常の戦時状態ならシーラもそんなことはしないだろう。

 やがてナツメとヒーナが戻ると、スコラとチグが哨戒任務を交代する。

「二人とも休んで」

 助手席でラップトップを見続けていたシーラが二人に声をかける。

「はーい」

 そう言って貨物スペースに乗り込むヒーナを見送ると、ナツメが口を開いた。

「ちょっとだけ、整備してもいい? さっきので、結構無理させたから……チェックだけ」

 シーラは口元に笑みを浮かべて応える。

「いいよ。でも休める時に休んでね」

 ナツメのこういう真面目な部分をシーラは買っていた。ムードメーカーとして周りに気遣いをしながら、自分の役割も忘れない。

「分かった──ティマは?」

「多分、上の階っていうか、一階にいると思う。後で声をかけてあげて。彼女のお陰で、また切り抜けることが出来た…………六人になってからは初めてね…………」

「うん……そうだね。凄いでしょ? 私の相棒は」

 ナツメもシーラのこういうところが好きだった。最初はエリートのお堅いタイプかと思ったが、しっかりと周りを評価出来る柔軟性。だからこそのリーダーシップ。

「〝堕天使〟だなんて……誰が付けたのかしら……」

 シーラは少しだけ寂しげに、呟いていた。





〜 第一部・第2話へつづく 〜

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