どうしてライトノベルを批判するのか?
最近、カクヨムでライトノベルを批判している人たちと、そうでない人たちとで論戦になっているようです。ヒートアップしたことを理由として運営にアカウントを削除された人も出たと聞きます。
私はここで、どちらが正しいと論ずることはしません。
ただ、ライトノベルを批判している人たちを眺めていて『何かに似ているな』と感じたので、そのことを書いてみたいと思います。
ライトノベルを批判して人たちと似ているのは、ズバリ『明治維新前夜の志士』です。
幕藩体制(出版業界)の矛盾と腐敗、それによる日本国(小説界)の衰退に危機感を覚えた草莽の志士(市井の表現者)。彼らは強烈な使命感を持っていました。
しかし幕府(出版社)は自分たちの声を聞いてはくれず、誤った考え方を持つ俗物に支配されているように見えます。
理想と現実との差が大きければ大きいほど、ストレスもまた大きくなります。自分の胸を掻きむしりたい程の苦痛を和らげるためにも、彼らは同志たちと自分たちの思想を語り合ったことでしょう。時にそれは過激な議論に発展します。
体制に寄生して利をむさぼる俗物(読者に媚を売る作家)を大いに糾弾して溜飲を下げたり、体制に疑問を持たない愚人(読者)を罵倒したり。
少なくとも、初期の維新の志士はそうでした。大河ドラマの渋沢栄一も、横浜を焼き討ちして異人を殺そうとしたそうですからね。
ここで問題なのは、これが正義感から生まれた自然な感情だったことです。理想と現実のギャップからくる怒りが、自分の理想を邪魔する存在に向くのは当たり前のことなのです。
私はそのような思想や感情を理解します。それどころか、自分でも全く同じような気持ちになることがあります。
しかし現代ではどのような理由があれ、一方的に他人を傷つけることは許されません。だからせめて、理想に身を投じようとする崇高な意識が攻撃性に転化する危険性だけは知っておいてほしいと思うのです。
幕末には、志士と称する人たちが、怒りに任せて異人をはじめとする多くの人を斬りました。
歴史は再現性のある教訓である。
私はそう考えています。
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