これって、どうなの?

千の風

鬼滅の刃は凡作か?

 いよいよアニメ版の続きが放映されることになった『鬼滅の刃』。

 個人的には、今から放映が楽しみでたまりません。


 しかし史上空前の大ヒット作であることは間違いないものの、その評価についてはかなり意見が分かれているようです。もちろん絶賛する人も多いのですが、ネットで検索すると『大した作品ではない』という意見も複数出てきます。また、商業雑誌の記事でも、あれは過去の傑作には及ばないと言い切った論評を読んだことがあります。


 個人の評価が完全に一致することはないのは当然ですが、批判の中身を読んでいると単純な嗜好だけではないようにも思えます。どうしてそのような食い違いが起きるのか。今回はそれを考えてみようと思います。



 まず、それぞれの意見。

 鬼滅の刃を絶賛する人のほとんどはキャラを推します。炭治郎、善逸、富岡さん、とにかくグッとくる。感動する。素敵。反面、鬼退治のアイディアがいい、とか言う意見はあまり聞きません。


 逆に『大した作品ではない』という人は、過去の名作と比較することが多いようです。斬新さとアイディアでは○○に及ばない。ストーリーは○○に及ばない。水準作であることは認めるが、あそこまで絶賛されるのはおかしい。

 そこに推論が加わります。作品の価値と評価との差は、ある種の市場の連鎖反応ではないか。アニメと主題歌が良かったからではないか。中には、作品の受け取り手が劣化していて良し悪しを評価する能力を失ったからだと主張するものまであります。


 私は最後の『受け取り手の劣化』という意見には同意しませんが、それ以外は全て同時に成立すると考えています。つまり実は対立した意見ではなく、互いに別の側面を語っているだけではないかということです。


 私は鬼滅の刃の最も優れた点は『圧倒的な共感力』であると考えています。

 たとえば柱の面々。個性的を通り越してみんなぶっ飛んでいます。みんな頭がオカシイ。普通なら絶対にお近づきになりたいなんて思わないはずです。

 しかし、例えば煉獄さんは弁当を『うまい、うまい、うまい』と食うだけで一瞬にして読者との距離を消してしまいます。根暗で何考えてるかわからない冨岡さんは『だから嫌われるんですよ』のツッコミに『嫌われてない』と返すだけで身近なキャラに変身してしまいます。

 善逸も猪之助も決して扱い易いキャラ設定ではありません。この設定で書いてあれだけ感情移入できる。これはかなり凄いことだと思います。

 この意味で評価するならば『鬼滅の刃』は傑作である。私はそう考えます。


 もちろん、共感というのは受け取り手があってのものです。

 共通体験、倫理観や作品の嗜好などが影響されます。比較的共感しやすい作品であっても、全ての人が共感できるわけではありません。その結果、共感しない人はその部分の評価をしていないのではないでしょうか。



 私の現在の結論は作品としての価値はある。(ちゃんと売れるだけの理由はある)ただし共感できるかできないかで、受け取り手にとっての主観的な価値は大きく変わる。というものです。

 

 作者が引退したのは惜しいな……と思いつつ、それも自分の主観だ。別の角度から見れば別の価値があるんだろうな、などと考えてしまいます。

 

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