137.獣道は世話要らず。


 左手の剣で裁を押し飛ばした。


 足は地に着いたままながら何十メートルも吹っ飛ばされる裁は踏ん張るも、何度も後ろへ空足からあしを踏む。


 私はかさず距離を詰めようと駆け出した。遮ろうと騎士が押し寄せる。だがどれも、先程蹴散らした三体より鈍臭い。主である裁が弱っている所為で命令が覚束無いんだ。木偶の坊みたいなそれらを斬り捨てこじ開けた視界の先、やっと体勢を持ち直した裁へ加速しようと右足を踏み出した。


 逆らうように右足が持ち上がる。


 いや、地中からアスファルトごと持ち上げられた。


 目をやった頃には全身ごと、高く宙へ投げ出される。


 風を切って遠ざかっていく足元だった地上から、バッタの後ろ脚みたいに異様に長い腕がアスファルトを破って突き出ていた。あの付与の魔法エンチャントの腕に掴まれ投げ出されたのか。


 目的を失ったように漂おうとしていたその腕は、突然何かを思い出したような奇怪な機敏さで指を伸ばし向かって来る。


 その病んでいるような挙動にぎょっとした瞬間に捩じ込むように、腕は私を掴むと握り締めた。いきなりコンセントを抜かれたPCみたいに、ぶっつりと意識が途切れる。


 次に目覚めた時には、眼下に広がっていた筈の大通りに空手むなでで倒れていた。目の端に映る周囲の瓦礫が、濃いビビットオレンジに染まっている。


 雨じゃない。私の血だ。


 瞬時に距離を取るべきだと本能が叫び、跳ぼうと尾へ意識を向ける。それを待っていたように、腹が小型爆弾でも仕掛けられていたように弾けた。


 排水溝が詰まったような濁った音が、血と一緒に喉から噴き出す。腹の血肉が皮と軍服を引き裂いて辺りに飛び散り、堪らず膝を折って崩れ落ちた。地に両手を着き、腹から喉へ迸る血を吐いて激しく咳き込む。阿部さんの刀を仕込まれた時と同じ手か……!


「あんたは何も分かってへんな」


 咳き込みながら顔を上げる。私に斬り刻まれガラクタに戻った騎士の山の向こう、丁度高架線の下に裁がいた。日没が近付いて濃くなって来た闇に紛れるように、奥の方で肩を上下させ呼吸している。その闇の中でも浮き立つ程、今し方よりも更に青白くなっている肌に分かってしまう。


 これ以上魔法を使わせてはいけない。明らかに危険な速度で寿命を削ってる。もう芋虫の呪いも関係あるか。今にも勝手に死んじまいそうだ。


 血でガラガラに濁った声で吐き捨てた。


「……馬鹿野郎が……!」


 裁は紙のように真っ白な顔で嗤う。


「握り潰されて一回リセット入った隙に、腹に瓦礫詰められた思たんやろ」


 裁は右足を踏み出すと左手の剣を振りかぶり、槍のように放った。切っ先が風を切り、私の顔へ直走ってショートボブの髪を揺らす。


 手足四本を使って上へ跳んだ。足元を通過して行く剣を見送りながら宙で前転すると足で着地し、その隙に腹の傷がリセットした身で裁へ駆ける。


「……だったら何だってんだ頑固者!」


 四足歩行の獣のように前傾姿勢を取り、伸ばした両手の指でアスファルトを抉りながら加速した。


 裁が目を見開く。


 厳密な条件設定を求められる付与の魔法エンチャントは、かける対象に少しでも変化が起きればそれに合わせた再設定をしないと満足に機能しない。私の足元にかけようとした付与の魔法エンチャントを、アスファルトを抉られる格好で妨害されたんだろう。読み通り、もうこれで足元は掬われない。


 裁が動揺した隙に尾でアスファルトを打ち、弾丸のように前へ跳んだ。着地点に定めた高架線上へ躍り出て裁の視線を断つと、尾と四肢を叩き込んで破壊する。


 瓦礫の山と化す高架線が噴き上げる粉塵に紛れ、かさず跳び退いた。私がゴーレムの腕に殴り飛ばされた際貫いて崩落した、大通り脇のビル群の山へ着地する。


 裁が丸ごと都心部を復活させたのは、事前に仕掛けた付与の魔法エンチャントを使う為。劇場支配人の悪魔との戦いで平原化したままで使おうにも、瓦礫に埋もれてしまって動けない。いや、そもそも付与の魔法エンチャントの対象物が事前に仕掛けた状態と乖離してしまっているので、機能しないのだ。つまりこの崩れたビル群の上なら裁が新しく付与の魔法エンチャントをかけるにも、雑多なものが積み重なっている瓦礫の性質上時間を要する。


 もう終われ。


 いい加減無視出来なくなって来た全身の苦痛に顔を顰めながら。高架線だったガラクタの山を睨んだ。


 二度も浴びた渾身の『一つ頭のケルベロス』で出来た傷と、その失血の所為だ。もうリセットを入れて他の負傷を無かった事にしても誤魔化せない。劇場支配人の悪魔との戦いで裁が大量の魔力を消費したのなら、私は血を失い過ぎた。だが裁も限界だ。あれだけフラフラだったんだ、もう魔術でなくても、決定打は与えられる。


 都心部が一斉に罅割れた。


 崩れはしない。だがこれは明らかに、裁が都心部にかけた付与の魔法エンチャントを保てなくなった証。つまり、戦力を失った合図である。


 早く引き上げないと。粉塵を吐くだけで黙りこくったままの、高架線だった瓦礫へ駆け出した。


「裁!」


 こんな下らない意地の張り合いで死なせて堪るか。そんなの何の為の人生だ。


 医者がいないなら私が悪魔のはらわたで治してやればいい。恨まれたって知るもんか。魔術師が何か言ったって聞かない。世間体だってどうでもいい。


 私は、私が、こんな散々な人生を今日まで続けて来た理由は。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る