残り53日(11月6日)
「いらっしゃいませ、お嬢様がた。どうぞこちらに」
あたしは恭しくお辞儀をし、部室にお客を迎え入れる。ボロボロの部室も、壁紙と調度品で一応英国貴族の部屋っぽくは見えていた。
優結のコネはなかなか大したものだ。テレビ制作会社志望らしいけど、知り合いの大道具さんに色々協力してもらったらしい。
この燕尾服の衣装も、彼女のつてだ。劇団「ヒイラギ」に所属している友人から借りたものだという。
あたしが例の件であまり動けなかったから、学祭の準備はかなり彼女に頼ってしまった。今度何か奢らないと。
「うわ、結構本格的。アフタヌーンティーセット、いいですか?」
「畏まりました」
高校生ぐらいの女の子2人組がきゃいきゃい言っている。この男装はちょっと胸の辺りが窮屈だけど、「すっごく似合ってる」と優結はいう。
ちらっと見たアプリゲームの登場人物に似てるかもしれない。フジ……なんだっただろうか。
とにかく、男装喫茶は今のところなかなかの集客だ。コストも相当かけてるけど、元くらいは取れそうな感じだ。
「あ、由梨花おかえり。すっごい評判だよ?」
バックヤードに入ると、優結が満面の笑みで出迎えた。彼女も男装姿だけど、胸の主張が強すぎて別のコスプレに見える。
「そう、かな」
「いや本当に。早稲田祭実行委員会がTwitterで流してるよ、ほら」
優結がTwitterのタイムラインを見せる。あたしの接客姿が写ったツイートには、既に2000近い「いいね」が付いていた。
軽い気持ちで撮影に応じたのだけど、急に恥ずかしくなってきた。
……そしてすぐに、血の気が一斉に引いた。
これじゃ、あたしがどこにいるか知らせるようなものじゃないか。
「……由梨花?」
「な、何でもない」
あたしは咄嗟に誤魔化した。大丈夫、そのはずだ。
なぜなら、あたしには毛利さんたちの警護が付いているはずだからだ。
*
「できるだけ、普段通りに振る舞ってくれ」
早稲田祭が始まる前日、あたしは毛利さんに呼び出されていた。
「えっ」
「周囲に気付かれると面倒だ、というのが1点。もう1点は、君が警戒しているという空気を奴らに悟られたくない」
「もう、あたしたちを狙っている人が誰かは、分かったんですよね」
「半分イエスだ。『グレゴリオ』という投資サークルである可能性が極めて高い。
ただ、『グレゴリオ』のトップが誰かまでは分からない。君が見たという男の正体も不明だ。
だから、もう少し泳がせる必要がある。君たちにちょっかいをかけてきたら、そこで確実に抑える」
「でも、向こうも2回失敗してるんですよね」
コーヒーを飲み、毛利さんが頷く。
「やるなら、確実を期すはずだ。早稲田祭の人混みに紛れて、強硬手段を取る可能性はある。
もちろん、無理矢理拐ったり襲ったりはしないだろう。ただ、ナンパを装ったり、数人で囲んで逃げにくくしたりする可能性はある。
東根は、安原という男に尾行の手解きを受けていたらしい。つまり、向こうも完全な素人じゃないってことだ」
「叫んで助けを求めれば、それでいいんじゃないですか?」
「その通りだ。ただ、どうにも胸騒ぎがしてね。『40年以上』刑事をやってきた、勘だな」
40年以上?……そうか、毛利さんも「リターナー」なのだった。こうして見ると普通の人に見えるけど、中身は大ベテランということか。
「もし、何かあったら」
「基本、俺かもう一人が君に付いている。多分、連中は俺が消えた時を狙って動くだろう。その時は慌てず行動してほしい」
「……分かりました。俊太郎にも、それは」
「藤原経由で伝えているはずだ。もっとも、藤原は警戒されている可能性があるから、狙うなら君だと踏んでる」
「……!!は、はい。ところで、もう一人って……『コナン』君は『隠し球』って言ってましたけど」
毛利さんが舌打ちをした。
「そういうのは言わない方が効果的なんだがな……まあ、そういうことだ。『出落ち』ではあるが」
「出落ち?」
「まあ、あいつの出番が来ないことを祈るよ。では、家まで送るとしようか」
*
とりあえず、午後2時の時点までは何の動きもなかった。さすがにここに乗り込んで騒ぎを起こすほど、馬鹿な連中じゃなかったらしい。
俊太郎は、用事が済んでからこっちに来るという。最近は、非破壊検査に使う素材を色々調べているらしく、随分忙しそうだ。
「いらっしゃいませ、お嬢さ……ま?」
入ってきたのは、高校生ぐらいの小柄な女の子だ。ちょっとフリルが付いた青のワンピースにショルダーバッグを下げていて、なかなか可愛い。髪はショートのボブだ。でも、この子どこかで……
…………あ。
「俊太郎?」
女の子の顔が真っ赤になった。
「だ、誰ですか、それ……」
声も作ってるけど、間違いない。俊太郎だ。元々声は高めなこともあって、恐ろしく違和感がない。
確かに、何度か女装してみたらと冗談では言ったけど、これほど似合うなんて。
あたしはにやつく顔を必死で抑えて、彼を席に案内する。
「ご注文は」
「こ、コーヒー……」
「……畏まりました」
にしても、何故女装?まさかこれが、「コナン」君の言っていた「隠し球」なのかな。確かに「出落ち」ではあるけど。
「ねえねえちょっと、あの娘可愛くない?」
優結が耳打ちしてきた。正体を言うべきか迷ったけど、あたしは「そ、そうね」と言わないことにした。
俊太郎は落ち着かない様子で辺りを見渡している。警戒しているのかな。
「優結、彼……彼女と少し話してきてもいいかな」
「……?お客のピーク過ぎたから、ちょっとだけならいいよ」
俊太郎の席に向かうと、彼は俯いた。かなり恥ずかしそうだ。
「俊太郎、だよね。どうしてその格好なの?変装?」
コクン、と彼は頷いた。
「尾行を避けるために、念のためにって……浅賀っていう、『コナン』の仲間にやられた……」
「まさか、あたしのボディーガードのため?」
「そ、それもある、みたいだけど……何で下着まで……」
恥じらってる俊太郎が、あまりに可愛くてその場で持ち帰りたくなった。というか男の娘に興奮する人の気持ちが、少し分かったかもしれない。
「俊太郎、この後用事は?」
「由梨花のシフトが終わったら、深道光のトークライブに行こうと思ってた……けど、恥ずかしいから消えちゃいたい……」
「せっかく早稲田祭に深道光が来てるんだから、行けばいいのに」
「……うん」
深道光は、人気絶頂の格闘家だ。総合格闘技では、日本で唯一世界に通用する男と言われている、らしい。
1年前まではYouTubeでの露出がメインで、「ビッグマウスの割りに強くない」「パフォーマンス先行」という悪評も多かったらしいけど、今ではほとんど相手に攻撃を当てさせずに豪快に倒す「アンタッチャブル」という異名で知られている。
格闘技が好きな俊太郎の影響であたしも見始めたけど、確かにイケメンで強いから人気があるのは理解できた。
何か、投資家としても結構な評判であるらしく、アスリートファンドを立ち上げたと最近の毎経新聞に書いてあったっけ。
シフトが終わるのは2時半。俊太郎が少し待ってくれれば大丈夫そうだ。
「じゃ、ちょっとそこでお茶してて。隣のバックヤードで待ってるから」
*
「……何で男装のままなの」
消え入りそうな声で俊太郎が言う。
「こっちの方が目立つでしょ?これで迂闊に手を出したら、すぐに騒ぎになるからいいかなって」
「……まあ、確かに……」
深道光のトークライブは大隈講堂でやる、らしい。整理券が配られるほどの人気だけど、俊太郎は事前に確保していたようだ。
「まさか、その格好で整理券取ったの?」
「……拒否権、なかったから」
開場30分前だけど、既に長蛇の列ができている。これはしばらく並ぶことになりそうだ。
並んでいると、あたしたちと写真を撮ってくれないかという学生が何組か現れた。例のTwitterの効果、なのかな。
俊太郎はその度すごい嫌そうな顔をしたけど、結局一緒に写真に収まってくれるのは彼の優しさなんだろうな。あるいは、案外女装を気に入ってして。
彼が男の娘だということに気付いた人は、誰もいなさそうではあった。ずっと黙ってたから、それも当然かもだけど。
「ちょっと、いいですか」
また呼び止められた。今度は、かなり筋肉質の男性3人だ。体育会系、なのだろうか。
「あ、何ですか?写真、ですか」
「いえ、深道さんが、是非挨拶したいと」
……え。
……………まさかっ!!?
俊太郎の顔色も変わった。そうだ、その可能性を、なぜ考えなかったんだろう??
深道光が、「グレゴリオ」の一員である可能性を。
「な、何でですか」
あたしは言葉を絞り出した。もうこれは、明らかな異常事態だ。浮かれていた気分は、すっかりどこかに消えた。
逃げないと。……でも、どうやって?
一重の目の男が微笑んだ。
「いえいえ、早稲田祭で評判になってる子がいるって聞いてましてね。話の種に、記念撮影をと」
左手を握る、俊太郎の手が震えていた。俊太郎は、一般人に比べれば明らかに強い。ただ、目の前の3人をどうにかできるのだろうか?
ここで助けを求める?……いや、もし深道がここに現れたら、逃げる理由はなくなってしまう。
あたしは辺りを見渡した。毛利さんも「コナン」君も、その姿は見えない。誰かが来る気配もない。
……そんな、何で来ないの??
「ねえ、おねえちゃんたちいやがってるよ」
不意に、下の方から声がした。……小さな女の子だ。いや、この子には……一度だけ会ったことがある。
「あいちゃん??」
そうだ。この子は毛利さんの娘さんだ。でも、なぜここに。
「……なんだこのガキ」
「いやがってるひとに、むりやりしちゃいけないんだよ、おじさん」
「平川さん、どうします?」
刈り上げの男が、一重の男に訊く。
「……こうするか」
平川と呼ばれた男が、あいちゃんにしゃがみこんでニヤリと笑った。
「お兄さんたちは、お姉ちゃんたちに大事な話があるんだ。申し訳ないけど、どいてくれないかな?」
「やだっ!!」
「聞き分けが良くないと、いい大人になれないぞ?それじゃこうしようか、君も一緒に来るかい?」
「平川さんっ!?」
後ろの男たちが焦った様子になった。まずい、これは……あいちゃんごと拐おうとしてる!!
その刹那。
「聞き分けが良くないのは、どちらかしら?」
あいちゃんが、平川という男の顎先を蹴り上げた!!?
「ぐあっ!!?」
男は尻餅をついて倒れる。そして素早く懐から何かを取り出し、彼に突き付けた。……警棒?
「これ以上は、あなたたちが痛い目に遭うことになる」
「ふっざけんなあ!!?」
男は跳ね起きると、あいちゃんに掴みかかろうと襲い掛かる。その出鼻に、彼女はまるで剣道の「面」のように警棒を脳天に叩き込んだ!
バシイイイイッッッ!!!
「ギャアアアッッッ!!!?」
バタリ、と男はそのまま俯きに倒れる。一体、これは……!?
俊太郎が、あたしの手を離した。目が、初めて会った時のような、冷徹なものに変わっている。
「平川さんっ!?」
駆け寄る男の側頭部に、俊太郎は右拳を横殴りに叩き込んだ。男はそのまま白目を剥いて昏倒する。
「嘘、だろ……!?」
残った金髪の男に向け、あいちゃんが警棒を構えた。
「深道に伝えなさい。もう手遅れだ、と。そろそろ、私の『上司』たちがこっちに着く頃だから」
「……は?」
あいちゃんがあたしたちに振り返って微笑んだ。
「もう大丈夫です、竹下さん、木ノ内さん」
「……これは、どういう」
あいちゃんは警棒を折り畳み、懐にしまう。そして、あたしたちに向けて敬礼した。
「失礼しました。私は毛利亜衣。毛利仁警部の義理の娘にして、『リターナー』が一人です。階級は警部補。19年後のことですが」
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