残り59日(10月31日)




……暗い、暗い部屋の中にいた。




モニターの鈍い光だけが、その存在を誇示している。何かがカビた臭いが、僅かに鼻を刺した。

「俺」は視線を上げる。もう、曜日も時間も分からなくなった。涙もとうに枯れ果てた。心にあるのは、ただ……たった一つの、昏い感情だけだ。




…………全てを壊してやる。




そうだ。この世界を、理不尽に死んでいったあいつのためにも、ぶち壊さないといけない。

そのための主段を、俺は知っている。それを具現化することもできる。


これは終わりじゃない。序曲だ。どんなことがあっても、俺は成し遂げないといけない。



まずは三友グランドタワー。由梨花を死に追いやった、あの企業を、この世から消し去るのだ。



*


……



…………



「はっ!?」



……背中が、汗で濡れていた。一体なんだ、今の夢は。

凍てつくような憎悪と、破壊衝動。その余韻が、まだ「僕」に残っている。



……あれが、未来の僕だというのか。



頭を強く振る。確かに、「未来の記憶」は日々鮮明になってはきていた。

それでも、ここまで強い感情……「未来の感情」に触れたのは、今回が始めてだ。


毛利さんは、人格まで未来のそれになった時を「覚醒レベル4」だと言った。そして、それが危険な状態であるとも。

僕は、ようやくそれがどうしてか少し理解した。



「全てを壊してやる」なんて感情を、僕は持ち合わせてはいない。

そんな危なすぎる考えに自分が至るなんて、想像だにできない。


ただ、もし僕の人格が未来のそれになったら……僕は、どうなってしまうのだろう?



「ピンポーン」



チャイムが鳴った。ふと壁に掛かった時計を見ると、もう10時を過ぎている。深夜までオルディニウム関連の論文を読んでいたから、随分寝てしまったらしい。


「……誰だろう」


こんな最悪の気分の時に、人に会いたくはなかった。セールスなら、居留守を決め込もう。

それに、ただでさえ僕は狙われている。迂闊に顔は出せない。


モニターに映っていたのは、意外な人物だった。



『おはようございます。今、話せるかな』



……「コナン」!!?



僕は通話ボタンを押す。


「何だよ」


『失礼、起こしたかな?今日、予定はあるかな』


「……ないけど」


まるで子供が友達を誘うノリだ。だが、彼は友達ではない。

「コナン」はモニターの向こうでニッコリと笑った。


『じゃあ、今から下に来れるかな。ちょっと、ドライブでも』


「電話じゃダメなのか」


『ああ、木ノ内さんも一緒の予定だよ?まだ拾ってないけど』


「……は?」


確かに、昨日由梨花からは「コナン」に会ったというLINEが入っていた。尾行されていたのを、彼が捕まえたらしい。

昨日、夜が遅かったのは不安に思っている彼女を宥めてたというのもある。

「コナン」は、尾行者の詳細が分かったら連絡すると言っていた、らしい。それにしても、うちに直接来るとは……どういうつもりだ?


『あなたも木ノ内さんも、随分消耗してるみたいだったからね。気分転換に、というわけさ。

もちろん、僕がついているから身辺に気を付ける必要はない』


「それだけじゃないだろ」


『ああ、話は木ノ内さんから聞いてたかな。先週、あなたを襲った男のグループの素性が、少し割れた。その報告も兼ねてさ』


やはりか。こんな気分の時に顔を出すのは、正直気乗りはしない。ただ、気分転換が必要だというのも、また確かだ。

由梨花も一緒なら、少しは気晴らしになるかもしれないな。


少し考えて、僕は「分かった。10分ぐらい、時間をくれ」と告げた。


*


「やあ、早かったね」


ミニクーパーの助手席から、「コナン」が手を上げた。今日はいつものジャケットではない。髪型も、少しオールバック気味に整えられている。運転席には、いつぞやの女性がいた。


「運転は、母親……いや、お姉さんか」


「ハハハ、どちらも外れさ。僕の担任教師だよ、表向きは」


「……は?」


女性がふうと息をついた。


「堂々と関係を口にできるのは、あと何年かかるかしらね」


「7年だね。まあ、愛結さんにはそれまで負担をかけるけど」


そういうことか。どうもこの2人は、恋人同士らしい。完全に見た目は犯罪的だが。

実際、表沙汰になったら女性の逮捕は免れないだろう。

ただ、「コナン」の実年齢は確か31、らしい。外見はともかく、内面は釣り合ってるってことのようだ。


「それで、向かう先は?」


「埼玉県鶴ケ島市。ここからだと2時間弱のドライブになるかな。

ああ、着いた先には仁さん、それに水元さんもいる。今後の善後策を話し合おうかと思ってね。美味しいコーヒーとシフォンケーキ付きだ」


「鶴ケ島……随分遠いな」


「僕らの上司の1人がそこにいるんだ。指揮系統は網笠さんとは少し違うが、信頼の置ける人物だよ」


「上司?警察なのか」


「『元』、ね。今は喫茶店のマスターということになってる」


……また謎の人物だ。多分、「リターナー」なのだろうけど。


車はゆっくりと走り出した。僕は後ろを振り返る。


「尾行されてるってことは」


「それは大丈夫。昨日ので、一旦打ち方やめになってるみたいだ」


総選挙の日だから投票に行きたいと告げると、「コナン」はあっさりと応じた。投票所は少々混んでたけど、時間には余裕があるらしい。

戻ってくると、「コナン」が「僕に選挙権が与えられるまでは、まだしばらく掛かりそうだ」とぼやいた。


「ま、それはともかくだ。改めて行こうか」


由梨花に連絡すると、彼女は投票を済ませたばかりらしい。今日は家にいるつもりだったらしいけど、「コナン」のことを伝えると「分かった、行く」と返ってきた。


中目黒から15分ちょっと。エバーグリーン自由ケ丘のエントランスに、由梨花が現れた。


「ごめん、急に呼び出して」


「ううん。あたしも、ちょっと気が滅入ってたからちょうどよかったかも」


化粧で隠してるけど、目の下に僅かに隈のようなものが見えた。あまり眠れてなかったのだろうか。遅くまで付き合わせたことに、僕は申し訳なさを感じた。


*


ロータリーに停まっているミニクーパーに乗り込むと、車は環八方面に向かった。僕は運転している女性に話し掛ける。


「関越道から、ですか」


「そ。私も昔、鶴ケ島に住んでたの。今は朝霞に越したけど」


女性は吉岡愛結さん、というらしい。職業は本当に小学校の教師とのことだ。


「『コナン』の担任、って言ってましたけど」


「それは本当。ま、色々あってね」


コホン、と「コナン」が咳払いをした。


「それを話すのは、まだ時期尚早だよ。少なくとも、この件が決着して竹下さんたちの処遇が決まるまでは」


「……処遇?」


「ああ。あなたは『リターナー』の存在を知ってしまった。木ノ内さん、あなたもだ。

少し竹下さんには話したかもしれないけど、この件は国家機密級なんでね。ペラペラと口外されては困る」


「もし、話したら」


「記憶を消すしかない。リスクがある手段だけどね。そして、できるならそうしたくはない」


ゴクリ、と由梨花が唾を飲み込んだ音がした。僕の背筋にも、冷たいものが伝わる。


「……いつ、その処遇って決まるの」


「この件が終わってからだね。もちろん、全てが上手く行くのが前提だ。失敗は許されないけど。

今までの場合、記憶を消して一般人として生きてもらうか、僕らの協力者になってもらうことになるか、大体はどちらかだ。ま、9割方は後者だけど」


「協力者?」


「ま、それはおいおい……だね。先の話をしても仕方ない。少し休憩していこう」


三芳パーキングエリアに車が入る。パーキングエリアというけど、ほぼサービスエリア並みの規模だ。こんなに大きかっただろうか。


「あ、スタバがある。寄っていいですか?」


「もちろん。私たちも、何か買っていく?」


「コナン」が吉岡さんに頷く。


「そうだね。トリック・ウィズ・トリートフラペチーノを」


「了解」


由梨花が僕を見る。


「俊太郎は普通のコーヒーでいいよね」


「あ、うん」


女性陣はなにやら話しながらスタバに向かっていった。取り残された僕らに、気まずい沈黙が 流れる。


「……」


「……」


「……さっきの、トリック・オア・トリートみたいなのって」


「紫芋のフラペチーノだよ。旨いよ」


「そ、そうか……」


スタバのメニューをいちいち覚えているのか。実はこいつ、かなりの甘党なんだろうか。


「……学校でも、そんな感じなのか?」


「さすがに精神年齢が20以上違うと、会話もできない。例えばポケモンなんて、もう随分やってないからね。ま、友人なんてなくてもそれなりにやっていけるさ」


乾いた笑いを「コナン」は浮かべた。……多分、こいつは元々陰キャなんだろうな。僕と同じように。

そう思うと、妙に可笑しくなった。吉岡さんも社交的な人のようだし、案外同じような組み合わせなのかもしれない。


「……何が面白いんだ」


「いや、何となく、ね」


由梨花たちが、コーヒーを持ってやってきた。目的地までは、ここから30分ほどらしい。


「あ、音楽入れていい?」


「いいですよ」


吉岡さんがカーステレオを起動すると、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの曲が流れてきた。


「あ、『BSSM』ですか?これいいですよね」


「分かる?」


「ええ、父が聴いてたんで。昔の洋楽、結構好きなんですよ」


由梨花と吉岡さんは2人で盛り上がっている。「コナン」はというと、何だか嬉しそうにどぎつい紫色のフラペチーノを味わっていた。僕だけ、手持ち無沙汰だ。


*


そうしているうちに、車は鶴ケ島インターを降りて一般道に入る。しばらくすると、こじゃれた洋風の建物が見えた。


「あれが今日の目的地『カフェ・ドゥ・ポアロ』ね」


結構大きめの駐車場なのに、停まっている車は2台しかない。繁盛してないのかと思ったら、入口には「本日都合により休業」とあった。


「もう、来ているようだね」


カランという音とともにドアが開く。「コナン」は迷わずに、誰もいない店内を奥へと向かった。

そして、奥の個室をノックする。ここに、毛利さんたちがいるらしい。


「入ってくれ」


「失礼しま……」


「コナン」が言葉を失った。毛利さんや水元さんの表情は険しく、何かが起きたとすぐに察した。


白髪の老人が、「コナン」に話し掛ける。


「緊急事態だ」


「……え?何も、連絡がなかったじゃないですか」


「さっき分かったことだ」


老人は水元さんの方を見る。




「水元さんにコンタクトを取ろうとしていた丸井が、死んだ」



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