5ー49
親父の話は、バンドメンバーにも話したことがない。
あ、話したことない訳でもないか。
聞かれれば答えた。
まぁ、自分から親父の話をしなかったって感じ。
龍聖も“櫻井家”の話をしなかったけど、考えてみたら俺もだなと思った。
小学生の時に、両親が離婚した。
アメリカ人の母さんはアメリカへ帰り、俺は 父さんの実家の長野のじじばばにあずけられた。
父さんに捨てられたと思った……
ちょくちょく電話は家にかかってきていたけど、俺は出なかった。
父さんと話すことはない。
俺が出ないから、じじばばが俺の様子を父さんに話していたと思う。
父さんは東京で3年、その後 台湾だか、タイだったか、忘れたけど、どこかへ転勤になって、また日本からいなくなった。
じじばばは、優しい人たちだった。
じじばばがいたから、俺は全然寂しくは なかった。
じいじは、俺に自転車を買ってくれて、自転車の乗り方を教えてくれた。
普通、何歳くらいで自転車に乗るようになるのだろうか。
幼稚園児くらいかな?
俺は10歳まで自転車に乗ったことなかったから、すごい怖かった。
全然乗れる気がしなかった。
だけど、じいじは優しく教えてくれた。
まずは、またいで、足で地面を蹴ってすすんでみ!って。
やってみた。
少しずつ足を地面から離して進めるようになった。
じゃ、ペダルを廻してみな!って言われて、言われた通りにしたら、自転車を漕ぐことができた。
真っすぐ真っすぐ、そしてカーブしてじいじのところまで足をつかずに漕いで行った。
「すごい!すごい!桂吾は、すごい子だな~!」って。
じいじは、なんでも俺を誉めてくれた。
一緒にタコを作って、河川敷で飛ばしたり。
じいじが作ったタコは、高く高く舞い上がった。俺が作ったのは、全然飛ばなかった。
それを、じいじが少し手直ししたら、上がるようになった。
「桂吾は、凧あげが上手だな~!」
って誉めてくれた。
若い時に、ちょこっとやってたんだって、物置きからアコースティックギターを出してきて、弾き方を教えてくれた。
俺のギターの原点は、じいじだ。
じいじが弾いてくれた曲は、“”エリーゼのために“”
昔はいろいろ出来たけど、今 楽譜を見ないで弾けるのはこれだけだなって笑った。
優しくキレイな、それでいて物哀しいその音色は、なんだか、衝撃的だった。
母さんに教わって、ピアノとバイオリンを習っていたけど、それらと違って、ギターは堅苦しくなくて、気軽に音楽を楽しめるものだなと思った。
じいじにもらった、コード進行の本を見ながら、独学で弾けるようになった。
「マリアさんちの血筋は、音楽の才能があるからな~!桂吾は、音楽のセンスがあるな~!」
そう言われて、その気になって、いっぱい弾きまくった。
俺に、音楽の才能がほんとにあったのかはわからない。
だけど、誉められて、またやって、出来たらまた誉めてもらえてって、とにかく楽しくギターを弾くことが出来た。
母さんは、割りと厳しい人。
子供だからって、手加減しない。
あまり、誉めることもなかった。
誉めるにしても
「good!」
って言うくらい。
それ以上、誉めることはしない。
誉められた記憶よりも、怒られたり、注意されたりした記憶しかない。
父さんも、厳しい人。
いい大学を出て、いい会社に勤め、バリバリの商社マンとして世界各国で仕事をする。
優秀な人だから、自分の息子がデキが悪いのが気に入らなかったんだろう。
なんで、こんなことも わからないんだ!!
なんで、こんなことも できないんだ!!
よく、怒っていた。
だから、じいじが俺を誉めてくれることに、最初は戸惑った。
俺をおだてて、機嫌を取ってるんだな、と思った。
だけど、違った。
じいじは、本当に優しくて、俺のことも、本当に可愛がってくれていた。
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