第11話 新しい生活と新しい楽器(1)

 ……はぁ。

 そう大きく溜め息をつきたくなるのを堪え、喉の奥で飲み込んだ。


 視線を向けられて、わたしは憂鬱な気分を顔に出さぬように笑顔で塗り替える。


「太陽の温もりと、その下で光を反射してきらめく泉を感じました。……わたしが連れてこられたあの場所のように、美しいと思います」

「ありがとうございます、レイン。……シルカル様?」

「そうだな、私もあの泉の美しさを思い出した。ただ、この陽の位置であれば……光が多すぎるのではないか? この辺りは不要だと思われる」


 その・・部分を示したシルカルに、ヒィリカは、あら、と微笑んだ。


「では、レインと出会ったとき、ということにしてくださいませ。時間は違いますけれど、このくらいは光っていたでしょう?」


 ――それなら、こうすれば良い。

 そう言って、シルカルは夕食の載った皿・・・・・・・を回し、少しだけ向きを変えた。




 この家に来てから、三日が経った。

 マクニオスでの生活は、日本でのそれとは何もかもが違う。ありがたいことに不便に思うことは滅多にない――それこそ、インターネットがないことくらいだが、今は覚えることがたくさんあってそれどころではない――のだが、衣食住のどれをとっても、いつもと同じようにはいかないのだ。


 その最たる例が、食事である。


 ……いけばな、かな?

 最初に出てきた感想はこれだ。その思いは三日経った今でも変わらない。


 目の前にある二枚の大皿、その一方には花のように美しく切られた野菜が盛られていて、鮮やかな赤色の葉野菜が軽くうねりながら上へと伸びている。わたしが先ほど、「太陽」と表現した部分だ。


 もう一方には肉や魚。魚が規則正しく並び、その隙間を縫うように、肉がそそり立っている。

 翼を広げ、風を切って飛ぶ鳥のように見えるこちらは、シルカルの料理だ。

 わたしはそれに対して「大空を羽ばたく鳥の力強さを感じ……力強さが美しいと、思います」と言い、ヒィリカは「風の流れが美しいですね。春が終わる今の季節のやわらかさが、よく出ていると思います」と言った。


 このやり取りを経てようやく、夕食にありつくことができるのだ。

 荷車での食事をヒィリカたちが「美しくない」と評した意味を、わたしはわかりすぎるほどに理解した。


 ……いや本当に。もはやこれは芸術品だ。情景が浮かんでくるのは確かで、このような繊細な料理、よく作れるな、と思う。

 それも家族だけの、何でもない日の夕食で。


 ちなみに、料理を取り分けるのはそれを作った人である。崩さないようにすることは勿論、残った部分も美しさを損なわないようにしなくてはならないらしい。取り分けたあとのことまで考え、逆算して盛りつけているのだ。


 学生時代、少し良い雰囲気のレストランでアルバイトをしたこともあったが、ここまで大変そうな給仕など、したことがない。せいぜい、客の前でフランベをしてみせたくらいである。

 この芸術品のような料理を取り分けろと言われたら、きっと、手が震えてしまうだろう。


 絶妙な均衡を保つ造形を前に、わたしがほっとしたことは言うまでもない。


 しかし、わたしは取り分けてもらうのをただ待っていれば良いわけでもなかった。変化のあった大皿を見て、また感想を言わねばならないのである。

 今回の場合は、こうだ。


「陽が沈んだあとの、静謐な空気を感じます。光が強まって見えるので、星空が地上に降りてきたみたいに美しいですね」


 三人の皿は彩り豊かで、反対に、大皿には寒色系の野菜だけが残っている。

 ちらりとヒィリカを見ると、彼女は「よくできました」というふうに笑みを深めた。わたしもにこりと微笑み返す。


 ……面倒くさい。本当に面倒くさいけれど、決まりだから仕方がないのだ。


 楽しくない食事が哀しくて、わたしはこれを作詞の特訓だと思うことにした。毎日続くなら、表現力がぐんと高まることだろう。


 そういうわけで、時間が経って冷めてしまい、また、感想を言うことに対する緊張でほとんど味の感じられない料理を口に運ぶ。

 身も蓋もない言いかたをすれば、今日の夕飯はサラダと肉の丸焼き、魚の煮付けだ。


 ……今日というより、この三日間、昼と夜はすべて同じ献立なのだけど。見た目だけが毎回変わっている。


 実際、味はまずまずといったところだと思う。

 学校給食をより平坦にしたような、何とも言えない、そつのない味。


 野菜は新鮮で、水っぽすぎることもないけれど、シャキシャキとした歯ごたえを楽しむことはできない。

 肉には臭みも固さもないけれど、ほろほろと口の中でとろけることもなければ、ジュワリと幸福感の溢れるような肉汁に出会うこともない。


 栄養バランスに重きを置く給食のように、この料理は味よりも見た目の美しさに重きを置いていることがよくわかるのだ。


 味気のない夕食を、それでも丁寧に食べ終えて、わたしは席を立つ。


 湯浴みは済ませてあるため、あとはもう寝るだけだ。

 ヒィリカから朝食の入った籠を受け取り、踵を返そうとしたその時。


「レインの楽器ができたので、明日の昼食後にお渡ししますね」


 そのたったひと言で、わたしの憂鬱な気分は消し飛んだ。

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