第9話 森の中にある家(2)

 それから少しして、荷車は唐突に止まった。到着したようだ。


 わたしはまた花の服を頭から被り、トヲネに整えてもらう。

 荷車を降りて、あちこち痛む身体を伸ばしていると、ヒィリカに「何をしているのですか?」と咎めるような目を向けられた。彼女たちは何度か外に出ていたが、わたしはずっと荷車の中にいたのだ。この辛さがわからないに違いない。


 わたしたちを降ろすと、荷車はすぐに来た道を戻ってしまった。結局、操縦者と顔を合わせることはなかったな……と思いながら、結構な速度で走り去っていく荷車を見つめる。


「……レイン」


 と、ヒィリカに呼ばれた。


「この森の中心部に、わたくしたちの家があるのですよ」


 手で示されたほうに目を向ける。


「……森」


 わたしは、はぁ、と曖昧に頷いた。


 ヒィリカは森と言うが、人工林でも、木はここまで揃って生えていないはずだ。ずらりと整列して巨木が並ぶ様子は、森と言うよりもむしろ、並木道のように見える。並木道々だ。


 どの木にも丸い灯りがオーナメントのごとくぶら下がっていて、その一つ一つがじわり、じわりと優しく脈打つように明滅する。


 その灯りによって、森――これをそう呼ぶのなら、森なのだろう――全体がぼんやりと光って見えた。


「待たせた」


 静かで、それでもよく通る声が森の中から聞こえてくる。すぐに出てきたジオ・マカベの姿を認識した瞬間、わたしはぽかんと口を開けてしまった。


 ……う、浮いてる……!?


 それは、舟だった。

 木でできていて、川に浮かべて釣り人が乗るような、舟。


 しかしそれが、地面から一メートルほど離れたところを、飛んでいる。


 モーター音がしないので、電気系ではない。

 風が強く吹いているわけではないので、浮力でもない。……いや、このような普通の舟の形で宙に浮くはずがない。


 わたしが必死になって、自分の中の常識に当てはめようとしては失敗しているうちに、ジオ・マカベを乗せた舟はわたしたちの前まで来て、地面に底を付けた。


「どうせ通り道だ。トヲネも乗りなさい」

「ありがとうございます。そうさせてもらいますね」


 何でもないことのように、ヒィリカとトヲネは舟に乗り込む。そしてわたしに向かって手招きをする。

 両手に抱えた服をギュッと握り、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 よし、乗るぞ。そう意気込んで、わたしは舟の中に足を踏み入れ、女性二人の間に座った。


 下方にグッと力がかかってからの、浮遊感。


 心の準備をする間もなく、舟は滑るように動き出した。

 かなりの速さに、ひゃっ――と叫びそうになった口を押さえる。しかしその恐怖は一瞬だった。速度は出ているが、舟には安定感があることに気づくと、周りを見る余裕が出てくる。


 まずは、舟の操縦。

 船尾に座るジオ・マカベを見ると、その手にかいはなく、舟に取り付けられた台上、拳ほどの大きさの光る石に触れている。石は黄みがかった緑色で、複雑な紋様が描かれているのが見えた。

 ジオ・マカベが手を動かすたびに、石からはキラキラと光の粒が舞う。色は違うけれども、泉で見た光の粒と動きかたが似ている気がする。


 ……これが魔法、なのかな。


 そう納得してしまえば、いちいち驚かなくて済む。

 わたしはひとり頷き、今度は舟の外を見てみることにした。


 灯りがぶら下がっているため、森の中は明るい。木々が綺麗に並んでいることも相まって、少し遠くまで見通すことができるのだ。ヒィリカは森の中に家があると言っていたが、しかし、どこにも家らしきものは見当たらなかった。


「この辺りには誰も住んでいないのですか?」


 今日は一日中話していたので、わたしは気軽に質問できるようになっていた。何気なくそう訊くと、ヒィリカは何を言われたのかわからないというふうに目を瞬く。それから、あぁ、と微笑んだ。


「これはすべて家ですよ。木の中に住んでいるのです」

「……え?」


 予想もしていなかった答えに、一瞬固まる。


「そ、そうですか……」


 なんとか絞り出した反応はそれだけで、わたしは必死に思考を巡らせた。


 木の中、ということは、洞穴で生活するようなものだろうか。それは何だか原始的に思えて、これまでの彼らの印象との違いに困惑する。

 荷車やこの舟での移動も快適だったので、家も同じようなものだろうと勝手に想像していた。……いや、意識にすら上らなかった。それに、音楽に対する意識や、服や食事へのこだわりなどを考えると、とてもそのような生活をしているとは思えないのだ。


 考えている間に、かなり奥まで来たようだ。だんだん木がまばらになってきて、少し暗いが、それでもジオ・マカベは迷うことなく進んでいく。

 木の数と反比例して、その大きさが変化していることに気づいた辺りで、舟は止まった。


「送ってくださりありがとうございます、ジオ・マカベ。……ヒィリカ様。披露会、楽しみにしていますね」


 暗がりに、トヲネの白っぽい姿が浮かび上がっている。彼女はふわりと布を揺らしながら、ある大きな木の幹の向こう側へと消えた。


 更に進むと、今までに見たどの木よりも大きな木の前に着いた。この先に木の灯りは見えず、森の中心というより、端のように思える。

 わたしたちを降ろすと、ジオ・マカベは自分も舟から降りて、外側からあの緑色の石に触れた。

 石が光った、と思った瞬間、舟はしゅるりと石の中に消える。……へ? と間抜けな声がわたしの口から漏れたが、これは致しかたないだろう。


「レイン、これを」


 ぽかんとしたままのわたしに、ジオ・マカベが何かを差し出す。

 はっとして受け取ると、それは腕時計のような形をしていた。言われるまま腕に通し、かちりと金属の留め具をはめる。


 琥珀色の石が、ぽうっと光った。

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