第19話 手を振る母

 それっきり、恵美とは会うこともなく夏休みは終わった。


 「次、いつや?」


 母は、執拗にそう訊いてきた。

 僕は、適当に返事をして実家を後にした。

 自宅を出て、十三メートルくらい歩いた後に、後ろを振り向くと母がいた。

 玄関先で僕の後ろ姿をずっと見ている。葉から地面へ落ちる水滴くらいの間が空き、手を振る母へ、手を振り返した。


「いって来ます」


 母の耳には当然届かない声で言ってから、振る手を下ろした。


 冬休みを終えた僕は、大学へ戻り、いつもの生活を始めていた。それでも早矢香の死は、ずっと体の真ん中にあって、不自然な形のままで毎日を何とか過ごしている。

 真っ暗な部屋に閉じ込めらたこの感情は、溶けずに佇む氷の様に心底を漂っている。そんな状態のまま、春を目の前に僕たちは卒業する。

 今年は寒さが長引いているのか、それとも咲き忘れているだけなのかキャンパス内の桜はまだ半分も芽吹いてはいない。僕たちは、そんな桜とは違い、早矢香の事を忘れようとしていのだろうけど……。そんな気がした。


 卒業式の日、僕は治夫に尋ねた。


「治夫、覚えてるか?」

「何が?」


 治夫は、誰からか貰った花束を両手に抱え嬉しそうに笑いながら言った。

 僕には、耳を塞ぎたくなるような大き過ぎる声だった。


「皆で卒業したかったな」


 僕がそう言うと、治夫は、「したじゃん。皆で」と、笑いながら言った。

 確かにそう言った。

 僕は敢えて名前を出さなった。出さなくても通じるものだと思っていたんだ

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