第9話 愛愛しい

 寂しがり屋で誰に対しても平等に接する物静かな彼女。黒髪を後ろで括るシンプルな髪型は清潔感を漂わせる。口を閉じたまま恥ずかしそうに笑うその表情は、正義感の強い男性のみならず、女性までもの心をくすぐるだろう。白色が好きで、派手な色は好まないところも僕は好感を持っていた。もしかしたら、誰もが知らず知らずのうちに彼女を目で追っていたかもしれない。何もしなくても男性を魅了する早矢香に嫉妬する女性も少なくはなかった。

 彼女が、いつもの場所、いつもの時間に来ないのは病欠以外では初めての事だった。その事に真っ先に気が付いたのは僕で、奈津子はそんな事よりもこの夏みんなで行く予定のキャンプの話をしたがった。


「ねぇねぇ。キャンプのことだけどさ。雨降ったらどうする? もちろん、雨天決行だよね!」

 満面の笑みを浮かべると奈津子は言った。


「そりゃぁ。行くでしょ、雨でも。俺、そのために生きてるみたいなものだもん」

 治夫は奈津子へ一歩近づき惚けて言った。


「安い命だこと」

 昭夫は言った後、冷めた目で治夫を見た。

 僕以外の皆が笑い声を上げる。愛想笑いが出来るほど、今の僕は冷静ではなかった。

 いつまで経っても来ることのない早矢香に痺れを切らし、昭夫がスマートフォンをポケットから取り出した。コールする。僕は視界の隙間からそれを見る。彼がイライラしているのは、ぼやけた動きの中でも直ぐに分かった。


「アハハ! アハハ! アハハ! ……ンフフフ」

 一瞬の静寂を狙ったかの様に、突然聴こえてくる笑い声。

 僕達だけじゃなく周りの生徒達にもそれに気が付き動きを止めた。


「覚悟はありますか? 貴方に、その覚悟がありますか。これから変わりゆく世界を受け止める覚悟。貴方に、それがありますか?」

 その声は、確かに早矢香の声だった。

 僕は、両手で口を覆う。聴こえる……。はっきりと聴こえる……。それは、確かに早矢香の澄み渡る美しい声。

 彼女の声がこんなにも綺麗だなんて初めて気が付いた。何度も、何度も言葉を交わしていたのに、いままで感じたことのない愛おしさ。僕は、辺りを見回し彼女を必死に探したけど、僕以外の皆は何故か笑っていた。

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