第21話 秋冬 ボウエンアイランド その2
コテージの中は静寂に包まれている。どうやら、皆んな眠りについたようだ。
持参した小柄なガス灯の下で一人で読書を続けていたオリヴィアは、読書用の縁の赤い目鏡を外し、目の間を指で摘んだ。
見ると、窓の外は暗闇が支配する世界へとすっかり変貌を遂げている。
ブレンダは大丈夫だろうか。
夕食後、少し具合が悪いと言い始めたブレンダは、偶々、近くに来ていた島の友人リンダの車で送ってもらい先に家に戻った。皆心配していたが、疲れが出ただけで休めば問題ないという本人の言葉と、それを支持する日和の口添えを信じて先に返したのだ。
顔色が悪かった訳でもないし食欲もあったように見えたから、大丈夫なのだろうが。
明朝にでも電話してみようと決めて、オリヴィアは本を閉じた。
それにしても、日和があれほどあっさりブレンダを返すとは意外だった。彼女なら自分が世話するから大丈夫とか言い出しそうなものだが。最近、彼女がブレンダを過剰に気にかけているような、そんな気がする。
否、思い過ごしだ。
ブレンダは普通の状況ではないのだ。記憶も戻ってないし、そんな娘を目の当たりにすれば、誰でもあんな風に気に掛けるだろう。
オリヴィアは消灯し、机の隣のベッドへ潜り込んだ。一瞬、カーテンを閉めるかどうか逡巡したが、そのままにして置くことにした。
オリヴィアの視線の先には、ガラス越しに見える無数の星が散りばめられた大空が広がっていた。
六十年か。亡くなる直前まで父はあの事件について考えていた。二人になると、いつも繰り返しその話を聞かされたものだ。お陰で忘れたくとも忘れられなくなってしまった。
オリヴィアは目を閉じる。
——あの白い壁の家には、本当に幽霊が居るのだろうか。
「これは?」
「あの父親の書斎で見つけたものです」男は茶色の革表紙で綴じられた日記帳を机の上に置くと、こっくりと頷いた。
二十台中盤に見える若い男は、日焼けした精悍な顔の上で褐色の瞳を輝かせながら、「ここを見て下さい」と言って最後の頁を開けて、椅子に腰掛けている男に向かって差し出した。
『何故だ何故、愛しているのだ。私にはあの子を手放すことなど出来やしない。手放すくらいなら壊れてしまえ。いや私が壊すのだ。この手で永遠に始末を付けなければ——』
カールは固まってしまった。
殴り書きされた筆跡そのものにすら、狂気を感じずにはいられない。それほど、このたった数行の文字は、彼の脳に直接的且つ強烈なインパクトを与えた。
——これは、本当に彼が書いたものなのか?
「あいつは——」若い男は険しい目で、カールを見た。
「実の娘を殺したんです。そして遺体をどこかに隠した。恐らく……海にでも沈めたのでしょう」
「しかし、捜索を依頼してきたのも彼、あの父親だ」
「それは! ……それは、遺体が見つからない自信があったからでしょう。隠しても、娘が居なくなったことはいつかバレる。そうすれば、自分も疑われるかも知れない。その前に捜索を依頼しておけば自分が疑われる心配はない。そのために——」
あいつは敢えて申し出たのです。と青年は言った。
それも一理ある。確かにその通りだろう。ただ出来過ぎだ。釈然としない。何かが彼の中で引っ掛かっている。
「あの屋敷には、もう一人居ただろう。失踪した少女とは随分仲が良くて、いつも一緒だったというじゃないか。あの子に感づかれる危険を冒してまで、父親はそんなことをしたというのか」
「屋敷は広い。時間帯さえ考慮すれば、誰にも感づかれることなく犯行に及ぶことは可能です」
「もう一人の娘は何と?」
「何も見ちゃいないし、聞いてもいないってことです」
本当だろうか? 失踪するまで二人の少女は常に一緒だったと聞いている。それがあの日に限って。
証言では、最後に少女を目撃したであろう者から、あの日もう一人の少女が彼女の後を追って行ったとあった。それなのに。
「君はもう一度、彼女に会って確かめてみてくれ。僕は父親から直接話を聞いてくる」
若い男は、仕方がないと言わんばかりに肩をすくめたが、帽子を被り直してそそくさと表へ出て行った。
オリヴィアは目を開けた。
眠っていた訳ではない。父の話してくれたストーリーを思い出していたのだ。父は本当に心残りだったに違いない。そうでなければ、誰が一体、こんなベッドタイムストーリーを子供に話すだろう。
何だか眠れなくなった彼女は、気怠そうに上半身を起こし、枕元のテーブルに置いてあったグラスから一口だけ水を飲んだ。
「——誰かが嘘を吐いている。俺は間違っていたのかも知れない」
今際の際に、病床の父が囁いた言葉が思い出された。
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